26人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
「お布団もね、ちゃんとあるだに。黴臭いかもしれんけえが」
そう言いながら幸江さんは布団を敷いた。確かに、少し黴臭かった。
でもいい。私たちは川の字になった。隆さんが奥にいて、幸江さんが真ん中。そして私。
「真弓さん」パジャマに着替えて、石油ストーブの火を消そうとして、幸江さんが言った。
「何?」
「この家は処分しようと思ってるだに。住む人もいないもんで。蜜柑の山も、この家も、全部」
「うん」
「それでさ、何か持って行きたいものあるかいねえ。何かあったら持ってってくれていいだけえが」
「ううん。無いよ。何も無い」
「そうじゃんねえ。無いよねえ。何十年も前に別れた旦那の実家から持ってくものなんてねえ」
「形見もいらないし、財産もいらない。私にそんな権利無いし」
「大丈夫大丈夫。財産は無いだに。山だって売れるかどうかわかりゃあせんし、この家だって解体費用で赤字になるくらいだにきっと」
「幸江さんはどうしているの?」
「私? 私はアパート。一人暮らし。気楽なもんだに」
「そうなんだ。仕事は?」
「農協。まだ農協にいるだに。職場結婚バツイチでちょっと気まずいかんじだけえが」
「ここには戻らないの?」
「うん。戻らない。何か押しつぶされそうじゃん。このおっきな農家に。代々蜜柑農家だもんでさあ、寝たらきっと祖父ちゃんとか夢に出てきてさあ、幸江~蜜柑やらんといかんに~蜜柑だに~、とかさあ、絶対言ってくるに。やだやだやだ。あとそれからさあ、地震来るじゃん。80%以上来るとか言うじゃん。東海大地震。ここにいたら死ぬに。屋根に瓦これだけ載ってりゃさあ、それこそ押しつぶされて即死だに。やだやだやだ」
「そうね。それは危険。アパートがいいかもね」
「真弓さんは?」
それから私は自分の境遇を話した。お布団の中で。川の字になって。
隆さんと別れて佐藤家を出た後、東京に戻ったこと。出戻りで体裁が悪くて八王子の実家には戻れなかったこと。東京で会社に勤めて、三年前に定年退職したこと。
幸江さんはうんうんと頷き、わかるわかると言ってくれた。
「あ」と突然幸江さんが言った。
「見せたいものがあるだけえが」
奥に行った幸江さんが、多分隆さんの部屋から持ってきたもの。
それは煎餅の缶箱だった。
緑色で草加せんべいと書かれている。
「昨日兄ちゃんの部屋で見つけただけえが」言いながら箱を差し出す。
私は箱を手渡された。
開けるのか?
開けろというのか?
私に?
戸惑った。
小さい頃読んでもらった昔話のワンシーンが、私の頭の中でリフレインした。
玉手箱を開ける。煙が出る。お爺さんになってしまう。
パカッ。
間抜けな音がして、箱が開いた。幸江さんが開けたのだ。
そこには。
最初のコメントを投稿しよう!