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第三章 飯事のような
「次これー!」
ここなが差し出した洋服に、
「あのさ、ココ」
「ん? あ、サイズ違う?」
「じゃなくてさ」
「好みじゃない? でもキョースケ似合うと思うよ?」
「そうじゃなくてさ?」
「じゃあ、何?」
「……もう、いいんじゃないかな?」
足元に置かれたいくつかの紙袋を見ながら、頬を引きつらせていう。
お昼からずっと洋服を試着し、ここなが気に入ったら全てお買い上げしている。京介がどう思ったかではない、ここなが気に入ったら、だ。
正直、疲弊している。
「でも、これ、似合うよ?」
「いや、じゃなくて。これだけあれば十分だと思うし、悪いし」
「んー?」
ここなは持っていたシャツを棚に戻し、
「まあ、確かに」
紙袋を見て呟いた。
「もうすぐ季節の変わり目だから今こんなに買ってもしょうがないよね」
そういう話ではなかったが、納得してくれたようでよかった。
思ったのも束の間、
「じゃあ、これだけ」
とびっきりの笑顔で差し出された、青いボーダーのシャツを、
「……はい」
素直に受け取った。
「あー、楽しかった」
コーヒーショップでカフェラテを飲みながら、ここなが嬉しそうに言った。四時間ぐらい歩き回っていたのに、疲れを見せない。
「それはそれはようござんした……」
対照的にぐったりしながら京介が言った。
「付き合わせてごめんねー」
「いやいや。俺のものだし。ごめん、ありがとう。全額出してもらっちゃって……」
所持金が全くないというわけでもないので、多少は自分で払おうと、当初京介は思っていた。まさかこんなに沢山買うとは思わなかった、という言葉を飲み込む。
とても持ち帰れなかったので、二日分を残して宅配便に託して来た。
「でもまあ、こんなの初めてだったし、楽しかった」
疲れてはいるけれども、心地の良い疲労感だ。
「あら、カノジョと買い物とかなかったの?」
「普通はこんな怒濤の買い物しなくね?」
「そう?」
ここなが不思議そうに首を傾げる。
「でも、カノジョと買い物をしたことはあるんだね、その言い方だと。まあ、まったく今までカノジョいないって感じじゃないけど」
当たり前のように言うここなに、なんとなく後ろめたい気分になる。
「ん、まあ」
別に後ろめたい気分になることなんてどこにもないのだが。だってここなは、京介の恋人ではないのだから。
「でも、まあ、ココが選んだ服はどれもかっこよかったね。センスがいいっていうか」
取り繕うような言い方になったけれども、それは本心だった。
「でしょ?」
ここなは嬉しそうに笑う。
「お洋服、好きなの。出来れば、ショップ店員とかやりたかったんだけど、まあもう無理かなー。大変そう」
「似合いそうなのに。店員。ちょっと強引だけど。売りつけそう」
「ホント? ありがと。……ん? ショップ店員の評価で売りつけそうっていいのかなぁ?」
「ココはいいの? 自分の買い物」
「私は別にー。あ、でも、一カ所いつも行っている店あとでよっていい?」
「勿論」
「あとは、布団買わないと」
「布団?」
「キョースケ、いつまでもソファーってわけにもいかないでしょう? ダイニングに一枚ぐらいなら布団ひけるでしょー」
「ああ、別にいいのに。悪いし」
「だーめ」
むうっとここながふくれるから、京介はコメントをそれ以上つけたさなかった。つけたせなかった。
布団なんて用意してもらったところで、いつまで同居人ごっこを続けるのかわからないのに、と少し思う。
布団まで用意されたら、ますます立ち去りにくくなるじゃないか。
お人好しの自分に笑う。お人好しというか、主体性がなさ過ぎる。
小さくため息。
「……ここって禁煙?」
「ううん」
「吸って良い?」
「どうぞ」
ポケットから、かろうじて残っていた煙草を取り出して口にくわえる。間髪おかず、ここながライターを差し出して来た。
ありがたくその火をもらい、
「……それ、自前のライター? いつも持ち歩いているの?」
「今日はたまたま」
鞄に投げ入れる。
「癖なのよ」
「なるほど」
詳しいコメントは差し控えた。
「キョースケ、煙草吸うのね」
「うん、まあ」
「うちでは我慢してたの? 別によかったのに」
「いやー、居候の身でどうかと思ったし。煙草、残り少なかったし」
「言ってくれれば、買うのに」
「どんだけヒモ状態だよ、俺」
苦笑。自分で言っておきながら、自分に呆れる。これだけ大量の洋服を買ってもらって、ヒモじゃないと思っていたのか。
「気にしなくて良いじゃない。だって、私たち」
「あー、そのあとは言うな」
遮るとここなは少し不満そうな顔した。いくらなんでも、外で心中する仲でしょう? なんて言われたくない。
「私ね」
不満そうな顔は一瞬で、また笑顔になったここなが、京介の煙草を持つ右手を指し、
「煙草を吸う男の人の、その手の感じが好き」
当たり前のように言った。
今回は心構えが出来ていたので、慌てるようなことはなかった。男の人っていう一般論だし。
「キョースケの手、ちょっとちっちゃくて、そこが好き」
そこにさらりとここなが続けて、今度はむせそうになった。
「……ちっちゃくて悪かったな」
「頭ぽんぽんってしてもらったら、おさまりがよさそう」
京介の悪態はさらりと無視し、ここなが続ける。そして、少し頭を前に乗り出す。
「……しないから」
「えー」
少し頭を下にしたまま、上目遣いで京介をみる。
京介はその視線から逃れるように、視線を横に向ける。
ここなは視線を動かさない。
たっぷりの間のあと、困ったようなため息とともに、
「また今度」
かすれた声で呟いた。
「ふむ、じゃあ、今日のところはいいでしょう」
ここなが満足そうに言い、身をひく。何故だか、譲歩されてばっかりだ。
「キョースケが煙草吸い終わったらいこっか」
「ああ、ちょっと待ってて」
少し険悪な空気になっても、それを引きずらずにすぐに明るい声をだすところが、ここなの良いところだと思った。
「ゆっくりでいいよ、待ってるから」
ここなは頬杖をつき、微笑んだまま、答えた。
「短いと思う」
京介は腕組みをしたまま、いささかしかめっ面で答えた。
「そう?」
ここなは自分の体を鏡で見回し、
「普通じゃない?」
首を傾げた。
「短い、見えそう」
「何が?」
ここなが首を傾げたまま、微笑む。にやり、と。
「わかってて尋ねてるな、それは」
「えー、ここなちゃんわかんなーい」
頬に拳をあてて、ここなが身をよじる。
「うぜ……」
「何か言った?」
微笑んだまま、ここなが言う。顔は笑っているけれども声が笑っていない。
「言ってない」
「ふーん。で、何が問題なの?」
その細い腰に右手をあてて、ここなが尋ねる。試着室の鏡でもう一度、自分の全身を眺め、
「なにも問題ないじゃない」
試着したショートパンツから、すらりと細くて長い脚が見える。
京介としてはもう少し肉付きが良い方が好みなのだが、それはそれとして、
「短いって」
「そんなことないって」
「見えそう、下着が」
早口で言った。
そのショートパンツは、いささか丈が短かった。というか、その布は一体何を守っているのか、と問いたいレベル。
「そんなことないのに」
「あるってば」
ここなは鏡をみて首を傾げて、
「まあ、じゃあ、これはやめとこう。キョースケ嫌がるならしょうがないや」
さらっと言った。
そのまま、しゃっ、と試着室のカーテンを閉める。
なんとなく、京介はそこから視線を逸らし、後ろを向いた。
「可愛いのにー、これ」
「いや、でもさー」
「はいはい、買わない買わない」
着替え終わって出て来たここなは、京介に全否定された割には、どこか満足そうだった。
店員に、またきまーす、と笑顔で手をふって店を後にする。
こころなしか、足取りが軽い。
「……なんか、ご機嫌?」
弾む茶色の毛先を見つめながら尋ねると、
「だって、嬉しかったんだもん」
振り返り、後ろ向きに歩く。
「危ないって。前向け」
「ショーパンは短ければ短い程正義! っていう人が多いのに」
「え、多いの? それ」
「キョースケは嫌がったじゃない。気、使ってくれたんでしょう? っていうか、それが普通だよねー」
うっれしー、とくるりと前を向き、弾むように歩く。
「……どういう付き合いしてんだよ」
今朝だって、もう少し長いスカートを選べと散々やりあって、マキシスカートをはかせたところなのに。
マキシスカートはマキシスカートで、長過ぎると思ったけど。
「あんまり見せてまわると、減るぞ」
「減らないよー」
「減るよ」
自尊心とか、そういうものが。
「減らないよ。もともと、もうないもの」
言わなかった言葉の続きが聞こえたかのように、ここなは言い、
「0からは何もひけないでしょう?」
当たり前のように、笑った。
「ココ?」
小さく名前を呼ぶ。
確かに、どんなに険悪なムードになっても、もめても、すぐに笑うのが彼女のいいところだと、思っている。ずっと怒ったまま、むくれたままの女は扱いにくい。
でも、今のは、
「笑うところじゃ、なくね?」
小さく呟く。はっきりとは声がかけられなかった。それは、踏み込んではいけない場所のような気がして。それは、ここなを気遣ったのか、面倒に巻き込まれるのが嫌だったのかは、わからない。
「あ、そうだ、布団! 布団ってどこに売ってんのー?」
ここなが、ぽんっと両手を打ち鳴らし、明るい声を出した。無駄に高い声。
「布団、なー」
京介は、それに乗っかった。
「買う必要性が俺にはわからんが。でもまあ、寧ろスーパー的なとこの方が売ってんじゃないのか? 知らんけど」
「そーなの? わかんないけど」
ここなに歩調を合わせ、隣に並ぶ。
「じゃあ、帰りに寄ろう!」
「ああ、うん」
そのままゆっくりと二人は歩き、
「待って」
ここなは京介の腕をひっぱって、引き止めた。
「っと、どうした?」
「あれ」
見つけたものを指差す。
小さなゲームコーナー。
「何? ユーフォーキャッチャーなら、俺得意だよ?」
「マジで? じゃあ出来れば後でぬいぐるみとって欲しいんだけど。ずっと狙っててとれなくって」
「いいよー。失敗したらごめん」
「ううん。って、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「プリクラとりたい」
ここなが京介の腕を抱えこんで、言った。
「えー」
京介は露骨に不愉快そうな顔をする。
「お願い」
両手を合わせて、下から顔を覗き込む。
京介はしばらく困ったようにここなを見てから、
「まあ、いっか」
困ったように笑いながら頷いた。ほら、主体性がない。
ここなは散々プリクラ機を吟味し、決定する。
「……何か違うのか、これ」
「色々違うよー。あれはね」
と別の機種を指差し、
「色白になってデカ目になるんだけど、デカ目になりすぎる」
「でかめ?」
「んっと、機械が勝手に目の辺りを判断して強調してくれるの」
いいながら京介を見て、にやりと笑う。
「そういうキョースケもちょっと見てみたいけど」
「……いやだな」
「でしょ? だから、まあまあ普通のこれ」
少し間が抜けた会話をしながら、ここなが硬貨をいれる。
甲高い機械音声にも、ここなは慣れた手つきで対応する。
「……初めてなんだけど」
京介が小さく呟くと、
「ほんと? やった、はつたいけーん」
ここなが明るく返した。
「それじゃあ、撮るよ。ポーズを決めてね」
機械音声に、ここなは京介の右腕をかかえるようにして組むと、空いた手でピースサインを作る。顔の横で、小顔に見えるように。
京介は少し慌てたあと、ここなに掴まれていない方の手で、同じようにピースした。
カウントダウンの後、写真が撮られる。
「次のポーズ行くよ」
機械音声。
「って、まだあるのかよっ」
「そうだよー、六パターンぐらいかな」
にっこり微笑むここなに、困った顔を返すしかできなかった。
「落書きコーナー」
高い機械音声と、片手に持たされたペン状のものに、京介は固まる。
横のここなを見ると、慣れた調子で何かを書き込んでいる。
「あの、ココ?」
「んー」
「どうすれば?」
ここなは顔をあげ、
「任せた」
凄くいい笑顔で親指を立てた。
京介はよくわからないまま、スタンプとやらを押してみることにした。
出てきた写真を見て、ここなは満足そうに頷く。
「どう?」
京介に見せると、
「あー、俺、顔が強張ってる」
苦笑い。
「確かにー。でもキョースケっぽい」
「えー、どういうことだよ」
ここなは楽しそうに笑う。
ここなが落書きしたプリクラには、初プリとか二人の名前とかが、女の子女の子した丸文字で書かれている。
京介が一枚だけかろうじて落書きしたものには、
「でも、何故これ、大仏?」
大仏のスタンプが二人の間に押されていた。
「いや、よくわからなくて」
ごにょごにょっと答える。
「キョースケらしくていいね。これが一番好きかも」
ここなは楽しそうに笑った。
「っていうか、大仏のスタンプなんかあるんだねー。知らなかった。誰得なのかなぁ?」
機械の横にぶらさがっていた鋏でプリクラ台紙を半分に切ると、
「はい」
京介に手渡した。
十六分割の半分、八枚が京介の手元にきた。
「……俺がこんなにもらってどうしろと? ここな持ってなよ」
そういって返そうとするのを、
「いいから。キョースケも持ってなさい」
ここなは少し睨んで押し返す。
「いや、でも本当……」
「私だってこんなにもってても困るもん。ほらほら」
「……ん、わかった」
京介は少し迷ったあと、素直に頷くと、財布にそれをしまった。
それをみてここなは満足そうに頷いた。
「帰ろうか」
京介が言うと、
「あ、でもぬいぐるみとってね」
ここなが当たり前のように、ユーフォーキャッチャーを指差し、笑った。
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