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第四章 続く日常
「ここなちゃん、最近ご機嫌だねー」
「えー、そうですかー?」
常連の言葉に、ここなはいつものように微笑んで、首を傾げた。
「なんか楽しそうだよー。いいことあった?」
「えー、新山さんが良く来てくれるからかなー」
はいっと、水割りを手渡す。
「またまたー」
「あー、あとは」
小首をかしげて、自分が機嫌のいい理由を思い浮かべる。本当に嬉しくて笑みがこぼれた。
「美味しいお惣菜のお店、見つけたから。最近、食生活が充実」
「俺はデリカテッセンか」
朝食の鮭をほぐしながら京介が言った。
「だってー、美味しいレストランにしたら同伴かアフターで行こうとかになりそうだし、心中相手が見つかったなんて言えないしー」
ほうれん草のお味噌汁を一口飲み、ここな。
「そりゃそうだろう」
「それで指名減ったら困るから。恋人が出来たからって」
「え? そういう? 人としてドン引きされそうとかじゃなくて? ってか恋人じゃねーし」
「だって、私のお客さん、私の名前に同情してる人が殆どだし、趣味趣向を愛してくれてるし」
「どんな客でどんな店だよ」
苦々しく呟く。
「不幸は明るく話せば笑い話になるの、知らない?」
「だからって」
「さすがに誰にでも心中して、ってお願いしているわけじゃないから安心して」
私には貴方だけだから、と囁くように告げると、京介はうんざりしたような顔をして、五穀米を頬張った。
京介がここなの家に住むようになって、かれこれ一カ月が経った。
今や立派なヒモである、と京介は自負している。まったくもってすべきではない自負だが。
京介が家事を引き受けていることの報酬、という名目で金銭まで受け取っている。それは完全なるお小遣いではないか、と思う。
あとは多分、心中しない代わりに家事を引き受けるという京介の提案を、家事の対価としての金銭を支払うという形で却下したものだろう。
二言目には、「心中してくれる気になった?」だから困ったものだ。
「まだ恋仲になっていないだろ?」
「それもそうね。でも、私、京介のこと好きよ」
というのが、最近のお決まりのパターンだ。
さっさと出て行こうと思っていたのに、ずるずると居座っている。
ここなは何を作っても美味しいと、幸せそうな笑顔で食べてくれるから作りがいがある。
三食作って、掃除洗濯など一通りこなすだけでいい、という生活は家事全般が割と好きな京介にはありがたいもので、楽な生活だった。
懸案事項だった洗濯も、下着類だけはここなが自分で洗う、でけりがついたし。
二言目には心中をほのめかすが、心中希望者であるという点を除けば明るい性格も、顔も、京介の好みである。
でも、なによりも一番の理由は、
「ほっとけないもんなー」
「ん?」
「なんでもない」
そう? とここなは首を傾げた。
明るくて朗らかな性格も、ちょっとだけひねてはいるけれども、すぐに気を取り直すところも、ここなはの良いところだと京介は思っている。
でも、それと同時に、あまりにもすぐに機嫌を直す事に戸惑っている。
一カ月の間、京介はここなの笑顔以外の表情を見た覚えがない。確かに、頬を膨らませて拗ねたり怒ったりした顔は何度も見た。
けれども、それは一種の演技のような、パフォーマンスのようなもので、感情に左右された表情の変化ではない、と思う。でないと、あんなにすぐに微笑めないし。
それはとても、危ういものだと思う。
心中相手が見つからなくても、いつかすぱっと自殺してしまいそうで怖い。
一緒に心中する気も、恋仲になる予定もないし、ここなの自由気ままな行動に振り回されてはいるけれども、それでも、京介はここなに自殺されたら困る。良心が咎める。悲しいと思う。
それぐらいの情は移っている。
ごちそうさま、と両手を合わせたここなを見ながら思った。
そしてそれは京介にとって、ここに留まらせるに十分な理由だった。
「あ、そうだ、ココ」
食器を台所に下げ、緑茶をいれて戻ってくると京介は言った。
「うん?」
ソファーにあぐらをかいてテレビを見ていたここなは、声だけで答えた。
「花火、見に行こうか」
「花火?」
顔が京介に向けられる。その隙にお茶を渡した。
「花火大会、あるんだって?」
ソファーの背に体を預け、問う。
「あー、市のね。そうそう、土曜日だっけ?」
「うん。いつもの八百屋のおばちゃんに教えてもらって」
「すっかり顔なじみだねー」
誰とでも仲良くなれるのは才能だよねーとかいいながら、ここながお茶を啜った。
実際、この一カ月で近所の商店街の皆さんとは仲良くなった京介である。
それなりに人懐っこい性格と、毎日新鮮な食材を買い求め、料理の話題で盛り上がったことがその要因だ。
「あ、そうそう。八百屋のおばちゃんの紹介で、喫茶店手伝うことになった」
「ん? 喫茶店とかあったっけ? 商店街だよねー?」
「あるある。なんかこう、割とレトロな感じの」
「ああ。ちょっとドアとか開くの? みたいなところね。あそこ、営業してたんだ。潰れているんだとばっかり」
「……これから働くからあんまり言わないでくれる?」
「ごめんごめん。でも、手伝うって、バイト的な?」
「うん。今マスター一人しかいなくて、マスター結構なご老人だし」
「八百屋さんの紹介?」
「そう、何故か俺、商店街の皆々様に絶大な信用を置かれているし」
「キョースケ、良い人だもんねー。優しいし。これで心中してくれたら、申し分ないんだけど」
「しないから」
さらっと流す。かっこいいとか良い人とか好きだとか、そういう単語に過剰に反応しないようにはなった。
「ふーん、でも、よかったねー。キョースケずっと家にいても暇でしょ?」
「……反対しないんだ?」
「なんで? しないよー」
当たり前のようにここなが笑う。
ほんの少し、反対されるかと思っていた。
自分で財力を身につけたら、よりいっそう簡単に逃げ出せるようになってしまうから、この小さな鳥籠から。
それは考えつかなかったのか、それとも考えた上で京介を信頼しているのかはわからない。それでも、少しでも変な事を考えたことをこっそり胸中で謝った。
「で、ええっと? なんだっけ? 花火大会?」
「っと、ああそうそう」
話がずれてきたことを思い出し、本筋に戻す。
「行かないかなーって。せっかくだから」
「行くー」
ここなは片手を高くあげて、返事をした。
「キョースケが誘ってくれるとかはじめてじゃない? 絶対行くー。浴衣着ようっと」
はしゃいだ声をあげて、勢いをつけてソファーから立ち上がる。空になった湯のみを、京介に手渡す。
そのままはずむように寝室に歩いて行き、がたがたとタンスを開ける音がする。
喜んでくれたようでよかった、とひとまず安心していると、
「キョースケも浴衣ねー!」
「は?」
ドアの向こうから聞こえて来た声に、すっとんきょうな声を返す。
「持ってないし……」
「買ってきてさー」
「着付けできないし」
「私、男の人も着付けできるから大丈夫」
なんでそこだけ無駄にハイスペックなんだよ。
「……恥ずかしいし」
「平気平気」
ここながドアの隙間から顔をのぞかせた。
「絶対約束」
弾んだ声と満面の笑みで言われて、京介は嘆息しながらも頷いた。
ほら、振り回されている。
「どう?」
一足早くここなに浴衣を着付けてもらい、ぼんやりとテレビを見ていた京介は、その声に顔を上げた。
「……おお」
ここなの姿を確認すると、感嘆の声を漏らす。
そこから沈黙。
「……なんか気の利いたコメントないわけ?」
片眉をあげてここなが言うので、
「似合ってると思います!」
慌てて京介は言った。
ここなが満足そうに笑う。こんな簡単な言葉で、とても幸せそうな顔をするなんて反則だ。
「でも意外だった。なんかこう、もっとピンクとかでレースとか付けちゃう系のを着るのかと思っていたから。丈短かったり」
「キョースケは、こういう方が好きでしょう?」
ここなは当たり前のように言って、微笑んだ。
紺地に金魚柄の極めてクラシカルな浴衣。帯は少しピンク色の平帯。上から小さな兵児帯をふわふわっと重ねていた。
「それに私も、フリルとかレースとかを浴衣につけちゃうのはちょっと違うなーって思うの。和風を楽しみたいよね」
化粧もいつものばっちり化粧ではなく、ビューラーを使わず、マスカラで少し睫毛を目尻に流しただけだ。
髪は簪でまとめていた。
「うん、その方がいいと思う。似合っている。綺麗」
改めてここなを眺め、京介は頷いた。ここながくすぐったそうに笑った。
「さて、行きましょ」
小首を傾げてここなが言った。
たこ焼き、かき氷、焼きそば、林檎飴、それから何故かアニメキャラのお面。
思いつくままに買い、満足そうにここなが歩く。右手にかき氷を持ち、それをたまに食べながら。
その他の荷物を、全部持たされた京介がその後をついて行く。
京介の頭の上で、小さなハットを被った黒髪の女の子がずっと笑顔を浮かべている。この子は一体なんのキャラなのか、と尋ねたら、知らないとあっさり答えられた。でも可愛いでしょ? とここなは悪びれず笑う。
「キョースケ、かき氷いる?」
カップを差し出しながらここなが問う。
「……いや、遠慮しとく」
そんな殆ど食べ終えて、水みたいになった状態で聞かれても。どうせ聞くならもうちょっと早い段階で聞いて欲しかった。どこまでもマイペースだ。
「そー? じゃあ食べちゃうよ」
ここなは最後の方に残った氷を喉に流し込んだ。
「唇、青いけど」
少し笑いながら指摘すると、
「やだ、マジ? これだからブルーハワイは」
ここなは慌てて口元を片手で抑えた。
「あ、ここら辺」
人ごみから少し離れた、公園のベンチにここなは腰掛ける。
遊具のおいてある場所を囲うように、木々が生えている。この辺りには人がいない。
「遠くない? 木もたくさんあるし」
「だからここは穴場なんだよ。でもね」
どーんっとここなの言葉に合わせて、花火が一発あがる。
「あ……」
「ね?」
木々の微妙な隙間で花火が咲いた。
「丁度、ここのベンチに座ると綺麗に見えるの。まあ、一部見えないものもあるんだけど、なかなかでしょう?」
ここなが自慢げに笑うから、京介は頷いた。
「はい、キョースケも座って。それからたこ焼き!」
「はいはい」
ここなの隣に座り、たこ焼きのパックをあける。
「あーん」
迷いなく、ここなが口をあけた。
また花火が一つ咲く。
花火のあかりに照らされたここなの顔をしばらく見つめ、
「熱いよ?」
たこ焼きを一つ、彼女の口に差し出した。飲み込まれる。
「はふ」
「……だから熱いって言ったのに」
はふはふ言いながら、少し涙目になりつつたこ焼きを咀嚼するここなを呆れて笑いながら、自身も一つ。
また花火があがった。
「……驚いたわ」
たこ焼きの熱さから解放されると、ここなは、涙の浮かんだ目元をそっと抑えながら呟いた。
「てっきり、バカじゃないの? とか言われて終わるかと思った」
「こういう時ぐらいは趣向を変えてもいいんじゃないかと思って」
誰も見てないし、と小さく続けた。
「ふーん」
また花火があがる。
「綺麗だねー」
「そうねー」
舞い上がり、はらはらと落ちる火の粉を見つめる。
ふっとここなは横の京介に視線を移し、
「やだ、キョースケ、いつまでそれつけてるの?」
頭のお面を指差して、声にだして笑う。
「え、あ」
慌てて京介はそれを外した。すっかり忘れていた。
ここなはそれを奪い取り、自分に付けてみる。
楽しそうな逆三角形の口をした少女に、ここなはなる。
「似合ってる似合ってる」
適当に言ってみると、
「絶対、嘘だ」
少し笑ってここながそれを外した。
また花火があがる。
「私ねー、花火大会とかお祭りとか小さい頃来たことなかったの。母、夜は仕事だったし。だから、このお面って憧れてたんだよねー」
お面の目の穴に指をつっこむ、幼稚極まりないことをしながら呟く。
「前、人と来たときは、恥ずかしくてこれが欲しいなんて言えなかった。だから、今日、買えて良かった。ありがとう」
言って、柔らかく微笑む。
いつもと少し質の違う微笑に、京介は少し照れくさいものを感じる。
「俺なら恥ずかしくないわけ?」
それをごまかすように尋ねると、
「だって、キョースケは基本的にバカにしたりしないじゃない、人のこと」
何故それを聞くのかわからない、とでも言いたげな口調でここなが言った。
上がった花火に視線を移す。
「……散々、心中バカにした気がするけど?」
「それはまた話が別でしょう?」
呆れたようにここなが笑った。
「心中しましょう? って言ってさ、うん、わかった。一緒に死のう、なんて答える人間、信用できない」
「……なんか矛盾してね?」
「してないわよ」
くすくすと、ここなが笑う。
「かき氷」
「ん?」
「さっき、私ブルーハワイのかき氷食べたじゃない?」
「うん、唇が青い」
「そう」
ここなは一つ頷くと、
「ブルーハワイが一番好きなんだけど、唇が青くなってしまうじゃない? だから、基本的に男の人と一緒のときは、苺にするの。ほんのりピンクに染まるから。口紅を塗ったみたいで、可愛いでしょう?」
でも、とここなは笑う。
「キョースケは、別に笑わないでしょう? 唇が青くなっても。淡々と事実を指摘するだけで」
「笑うとこじゃないし」
肩をすくめる。
どどどどん、と幾つかの花火が続けてあがった。
京介はそちらに視線を移した。
「花火はずるい」
小さく呟かれた言葉に、横を向く。
ここなは花火を睨みつけるようにしながら、言葉を続けた。
「と、思わない?」
「ずるい?」
「誰かが花火は一瞬で消えてしまって儚いって言っていたの。でも、花火は一生で一番綺麗な瞬間を、こんなに大勢の人に見てもらえるのよ。ずるいと思わない?」
花火があがるのに合わせて、ここなの顔に光があたる。消えたり、現れたり。
「私は、自分の一番輝ける瞬間がいつだかわからないし、それを誰かに見ていてもらえるかどうかも自信がない。もう、この後の人生はくだるだけかもしれない。輝けないかもしれない。だから、今のまだ若いうちに死んでしまいたい」
「……飛躍していないか?」
「心中という人生で一度しか出来ないパフォーマンスを行うの。心中相手は少なくとも、私の一番輝ける瞬間を見ていてくれるわ」
ここなが目を閉じる。
「ここで最後に花火を見たのはね、去年なの。その当時、付き合っていた人と」
「……うん」
目を閉じたまま、ここなが言う。
また上がる花火を、二人は見ていない。
「あの人はね、心中しようっていう私の提案を割とあっさり受け入れたの。私、彼のことが本気で好きだった。心中しようなんて言ったけど、彼となら結婚して、子ども産んでっていう普通の人生を生きるのもいいな、って思ったの。ばかばかしいけど、それぐらい、好きだったの」
「うん」
「でもね、私が結婚の話をしたら、彼は豹変した」
花火の光に合わせて、一つのしずくがここなの頬を伝うのが見えた。
「私ね、彼にしてみたら不倫相手だったの。彼には奥さんも子どももいた。全然気がつかなかった。彼、頻繁にうちに泊まってたし」
それが、あのジャージの持ち主か、と京介は思った。自分の服を買ってもらった時に、さっさと捨てて良かった。
「私が死にたがってたから、いざとなったら心中するふりして私だけ死なせればいいや、って思ってたみたい」
「……最低だな、そいつ」
京介が苦々しく呟くと、ふっとここなが笑った。
「キョースケは本当、優しいね」
目を開き、京介の顔をみて下がった眉で笑った。
「でも違う。そんなのにひっかかった、私が一番最低だわ。結局、私も、ママと同じ……。ママみたいにだけはならないって、ずっと決めていたのに」
ぽたり、とここなの胸元に水滴が落ち、それと同時に花火があがった。
「キョースケが花火大会誘ってくれた時、嬉しかったけどどうしようかなって思ったの。彼と見に来た思い出しかないから。でも、キョースケならお面買ってもバカにしないだろうし、それに」
膝の上に置いた手を、祈るように組んだ。
「キョースケに聞いて欲しかったの、この話。本当はずっと。だけど、どうやっていったらいいかわからなかったから。いつ言えばいいか、わからなかったから。こんなこと言っていいか、わからなかったから。」
利用してごめんなさい、と小さく呟く。そのまま俯いてしまったここなを困ってしばらく見つめた。
そして京介は右手をあげ、ここなの頭を撫でた。
ここなの肩がぴくり、と動く。暗くて、俯いたここなの顔は見えない。
「……やっぱり、キョースケの掌、小さくておさまりがいいね」
花火と花火の間を縫って、小さい声が聞こえた。
京介は少し笑う。
「小さくて悪かったな」
少し、ふくれたような口調でいうと、ここなが顔をあげた。
京介は二度頭をぽんぽんっと軽く叩いてから、手を離す。
「ありがとう」
そう言って、ここなは笑った。はにかんだような笑みだった。
京介もそれに笑い返す。
「あーあ、ちっとも花火見てないねー。ごめんねー。でもまだ最後のが残ってるよね!」
ここなはいつもの明るい口調でそういうと、また空を見上げる。京介の膝の上から、たこ焼きを奪うのも忘れなかった。
「そうそう」
冷めてきたお好み焼きたちのパックもあけて、ここながとりやすいようにベンチに並べて京介が頷く。
一つ、大きい赤い華が咲いた。
「来年も、来よう?」
それを見ながら京介が小さい声で呟いた。
「死なないで、生きていて、来年も花火見よう?」
次にあがった緑の華がそれを遮る音を立てて、ここなに届いたのかはわからなかった。
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