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「――買ってきたぞ」  啓太郎が袋を突き出すと、今日はシャツの上からぶかぶかのカーディガンを羽織った格好の裕貴が、淡々とした表情でまずスーパーの袋を受け取り、中身を確認する。 「うん、OK。頼んだものが入っている。あとは……」  もう一つ、ケーキ屋の袋を受け取った裕貴は、すぐに眉をひそめる。自分が頼んだ店の袋ではないと気づいたのだ。 「これ、違う」 「俺が行ったときには売り切れてたんだよ。だけどそんなこと言ったって、お前は納得しないだろうから、お前が付箋をつけていた別の店に行って、そこのケーキを買ってきた。これで文句ないだろうが」  最初に行った店にプリンが置いてないとわかると、啓太郎は一度会社まで戻り、車を運転して二軒目の店にケーキを買いに向かったのだ。こいつのために。 「文句?」  外の冷気よりも冷たい眼差しを向けられ、啓太郎はすかさず言い直す。 「……これで勘弁してください」 「仕方ないなあ。まあ、おれも鬼じゃないし」  うそを言えと内心で突っ込みつつ、啓太郎は玄関に入り、さっそく靴を脱ごうとする。すると、何かに気づいたように裕貴が露骨に顔をしかめ、急に啓太郎に体を寄せてきた。  肩の辺りに顔を寄せられたときは何事かと思ってしまい、反射的に両手を上げてしまう。 「どうか、したか……?」 「羽岡さん、先に自分の部屋で風呂入って、着替えてきて」 「へっ。いや、俺、腹減って――」 「どうせすぐに出来ないんだから、その間に入ってきたらいいだろ」  一気に裕貴の機嫌が悪くなったことを察し、仕方なく啓太郎はレシートを裕貴に渡してから、自分の部屋に帰る。  コートとジャケットを脱いでから、気になってコートに顔を寄せてみる。まず匂ったのは煙草の匂いだ。煙草を吸う啓太郎としては、これは当然の匂いだ。あとは、少しきつめの香水の香りだった。  明らかに女物とわかる甘い香りは、少しばかり不快だ。どこでついたものだろうかと考えたが、居酒屋で脱いだコートを、女性もののコートの側にかけたときに香りが移ったとしか思えない。 「もしかして、これか?」  独り言を洩らしながらワイシャツも脱ぎ捨てた啓太郎は、さっさと着替えを準備してシャワーを浴びる。  鍋を少し食べたとはいえ、そのあとに動き回ったので、また腹が減っていた。  シャワーを浴び、着替えを済ませてから、髪を乾かす間も惜しんで隣の部屋へと戻る。不機嫌そうな顔をした裕貴は、何も言わず部屋に上げてくれた。  テーブルの上にはいつものように封筒が置いてある。この中には、啓太郎が頼まれて買ってきたものの代金が入っている。片付いた部屋を見ていてもわかるが、裕貴は律儀で几帳面だった。  キッチンに立ち、黙々と料理を作る裕貴の後ろ姿を眺めながら、啓太郎はついこう話しかけていた。 「なあ、もしかして、香水の匂いが嫌だったのか?」 「鼻がむず痒くなるから嫌いなんだ。いかにも女の匂いという感じで、吐き気もする」  忌々しげな裕貴の口調は、単に苦手だという以上のものを感じさせた。まさか、と思いながら、啓太郎は核心を尋ねた。 「――……もしかして、女嫌いか?」  振り返った裕貴が無表情にこちらを見る。素っ気ない口調で答えが返ってきた。 「嫌い。そもそも、母親という女からして嫌いなんだ」  予想以上に重い言葉に、啓太郎はすぐには声が出なかった。
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