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そういえば、と思い返す。何度もメシを食わせてもらっていながら、啓太郎は裕貴のことを何も知らない。引きこもりだということしか。
たとえば、引きこもって生活するにしても、生活費はどうしているのか。家族に援助してもらっているのか、何かしら仕事をしているのかも知れない。ゲームをやっていて、金が入ってくるとも思えない。
「ということは、恋人は……」
「いたら、部屋が隣だけの他人に、甲斐甲斐しくメシなんて作ってやるはずないだろ」
甲斐甲斐しい、という表現には疑問が残るが、裕貴の言うとおりだ。
だいたい裕貴の部屋には、他人の存在を感じさせるものは一切ない。誰かと一緒に写った写真もないし、細々とした小物だって、異性を感じさせるものはない。だからといって、友人が遊びに来ているといった様子も皆無だ。
妙にしんみりとした気持ちになり、啓太郎はそんな自分の気持ちを誤魔化すように、性質の悪い冗談を口にしてみた。
「女嫌いということは、もしかしてロリコンだったりして――」
フライパンを手にした裕貴が振り返り、にっこりと笑いかけてくる。だが次の瞬間、大きく右足を動かしたと思ったときには、啓太郎の顔の横を何かが素早く通りすぎた。背後で音がして振り返ると、スリッパが床に落ちたところだった。
「――おれ、そういう冗談嫌い」
左足のスリッパも脱ぎ捨てて、裕貴が言う。啓太郎としては、機嫌を損ねてはいけないと、テーブルに額を擦りつけるようにして謝るしかない。
「すみません。もう言いません」
限りなく啓太郎の立場は弱かった。年下に頭を下げる屈辱に耐え切れないなら、自分の部屋に帰ればいいのだが、帰ったところでメシは食えない。そう思うと、頭を下げるぐらい安いものだ。それぐらい啓太郎のプライドが安いのかもしれないが――。
再び背を向けた裕貴に、懲りずに啓太郎は話しかける。
「なあ、お前って生活費をどうしてるんだ?」
「何、そんなこと聞くなんて。おれを養ってくれるわけ?」
「……んなわけねーだろ」
今日は魚料理らしく、いい匂いが啓太郎の鼻腔をくすぐる。たまらず立ち上がって冷蔵庫を開けると、飲み会では飲めなかった缶ビールを取り出す。ちなみにこの缶ビールも、まとめて酒屋に注文して配達してもらっているのだそうだ。
冷蔵庫にもたれかかってビールを飲んでいると、そんな啓太郎を押し退けて、裕貴が冷蔵庫からネギを取り出す。
「株やってるんだよ」
ネギを切りながら前触れもなく裕貴が言う。一瞬、なんのことかわからなかった啓太郎に、裕貴は言い直した。
「ネットトレーダー。わかる?」
「ああ……。たまにテレビに出てるよな。一日中、パソコンに張り付いて、ネットで株の売買するんだろ」
「それだよ、おれがやってるのは」
啓太郎は冷蔵庫の前から動き、隣の部屋を覗く。啓太郎が買ってきたキューブパソコンも鎮座しているこの部屋の意味が、やっとわかった。ゲームをやるだけにしては、モニターもパソコンの数も多いと思っていたのだ。
「儲かるのか?」
「引きこもり生活を維持できる程度には。おれは派手に儲けようとは思わないから、気が向かないときは一日中、ゲームしてたりする」
はあ、とため息を洩らした啓太郎は、改めて室内を見回す。この生活を、一歩も外に出ることなく持続させているのだから、ある種才能といっていいだろう。
「そりゃあ……、大したもんだ」
啓太郎の言葉に、振り返った裕貴は意外そうに目を丸くしていた。
「どうした?」
「楽して儲けていいな、と言われるかと思った」
「楽かどうかは、本人にしかわからんだろう。俺も一日中パソコンのモニターを睨みつけてるが、仕事でこれやってると、本当につらいぞ」
笑った裕貴は、思いがけず――こういう表現も変だが、可愛く見えた。
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