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ああ。足が震える。
目の前には人だかり。場所は、校舎の前。教室の窓から興味深げに見下ろす人たち。
どうしてこんなことになったんだっけな。
「体育館でやるんじゃないんですか?」
演劇をするのに最適な場所は、体育館だ。だから、てっきり今回もそうだと思った。
「誰がそんなこと言ったかしら」
キョーカ先輩は、にやりと笑った。意地の悪い人だ。
「あんたら体育館でやる前提で稽古してただろ」
もちろん、そのつもりで芽衣たちにも指導とは言えないようなことを言ってきた。初心者ながら、わたしが引っ張らないといけない。そう思って、今までやってきた。後ろを振り向く。不安そうな、二人の顔。
「さあみなさん、これから演劇部の若き星が、皆様に最高の舞台をお見せ致します!」
よく通る声。体に電流が走ったみたいだった。アンナ先輩だ。すごい。さすがだ、と思った。開いた口が塞がらない。
「みなみなさまお立ち会い!これを逃しては損ですよ!」
鈴の転がるような、透き通る、しかし耳によく届く声。祥子先輩。見ると、「堪忍な」と申し訳なさそうにしている。
「これを乗り越えなさい。そしたら文句なしで入部は認めるし、私たちも演劇部を盛り上げるためにまた尽力を尽くす。だからやってみなさい」
キョーカ先輩。見たことのない、真剣で、でも優しい顔をしていた。
「…はい、やってみせます。位置につこう、二人とも」
「う、うん!」
「さあ!オリジナル劇、『青い空の下で約束を』、開演です!!」
強く、響くキョーカ先輩の声。拍手がどこからともなく湧いてくる。好奇の目がわたしたちを刺す。この先輩たちのあとに、わたしたちの声がこの後響くのだ。いや、響くだろうか。
いきなり、不安が襲う。だって。わたしだって。演劇未経験だもん。一生懸命やってきたけど、二人に偉そうに色々言ってきたけど、本番のことなんか何もわからない。怖くて、足が震える。声が出るかどうかもわからない。最初のセリフはわたしだ。わたしが、声を出さなければ始まらない。声を出さなければ。声を。声。が、出ない。
「……あ」
「ねえねえ、アキ、マナツ、屋上って行ったことある?」
後ろから、芽衣の声。それは本来、わたしのセリフだった。汗をかきながら、震えながら、わたしを真っ直ぐに見つめる芽衣。
「大丈夫だよ」
静かに、しかしはっきりと聞こえた。芽衣。
「屋上って、旧校舎の?立ち入り禁止でしょ?行ったことあるわけないでしょ」
次ぐ、凛の声も震えていた。しかし、瞳は真っ直ぐにわたしと芽衣を見つめる。大丈夫。目で訴えるように。私たち二人は、大丈夫。そう聞こえた気がした。
「行ってみようよ!幸い、立ち入り禁止、って言われてるだけで、なんのバリケードもされてないよ」
声が出た。やった。それだけで、喜びが体の奥からふつふつと湧いてくる。でも喜んでいるだけじゃだめだ。この劇をやり遂げるんだ。
「じゃあ、行ってみよう!」
てくてくと、歩く真似をする私たち。
「旧校舎って、意外とでかいのね。階段も、古めかしくて、壊れないか不安だわ」
「大丈夫大丈夫。とりあえず行ってみようよ」
階段を上るふりをする。
「ねえ、フユカは入学式の前日、眠れた?」
「うーん。緊張してたのかな。あまり眠れなかったよ」
「それがあたし爆睡でさあ。遅刻しちゃったんだよね」
「その話なんども聞いた。で、先生に怒られて入学早々廊下に立たされて「入学おめでとう」を廊下で聞いたんだろ」
「よく覚えてるね。じゃあさ、修学旅行の日。バスでトランプしたよね!懐かしいー!」
ここから、三人は思い出話に花を咲かせる。どんどん屋上に近付き、顔が暗くなる三人。これを登り終えたら、終わりが来てしまう。今日は卒業式。
「ねえ、アキは東京の大学に行くんだよね」
「そうね。福祉の勉強をしたくて。フユカは、介護だっけ」
「うん。マナツは…こっちに残るんだよね」
「そう、だね。うち貧乏だからさ、大学行くより働け、って言われてさ!」
「そっか。離れ離れ、だな」
沈黙が流れる。そのまま、三人は屋上に出る。ああ、来てしまった。
「どうする、ここから何か叫ぶか?」
「へへん、私、0点の数学のテスト持ってきたんだよね。あとは、古典の18点と、理科の37点と…」
「多すぎだろ!で、それどうすんだよ」
と、ビリビリにテストを破くマナツ。
「おい、何やってんだよ!」
風に煽られ、散らばる紙切れ。
「だって、もう必要ないでしょう?」
自虐的に微笑むマナツ。
「私たち、もう会えないのかな?」
「どうして?会おうと思えば、会えるよ!」
「だって。二人は大学に行って、新しい友達を見つけて。わたしのことなんか…」
「ばか!私たちはずっと友達だよ。テストはもう要らないかもしれないけど、この絆は絶対に手放したくない」
そうアキが言って、抱き合う三人。
「うん、ずっと一緒!」
フユカが微笑む。
「やば、下で先生めっちゃ怒ってるよ」
「じゃあ、最後に記念な怒られにいこっか」
「うん、三人で!!!」
三人で手を繋ぎあい、終演。一瞬の沈黙。のすぐあと、沸き起こる拍手。体が、ぞわっとした。感じたことのない感覚。こんな感覚、二度と味わえない気がした。
見ると、開演の頃よりも多くなった人だかり。教室の窓から興味本意で見ていた生徒たちも、みな拍手してくれている。
「あ、ありがとうございました!!」
ぺこりとお辞儀をすると、それに倣って芽衣と凛もお辞儀をした。鳴り止まない拍手。興奮が冷めやらない。この感情は、舞台に上がるものにしか感じることができないものなんだ。わたしは、感動すら覚えていた。芽衣も凛も同じみたいで、みんなボーっとしていた。
そこに、ひとつの影。
「入部、おめでとう」
キョーカ先輩が、手を差し出した。手を握り、「よろしくお願いします、先輩」と笑顔を見せると、フッと笑って、「容赦しないからね」と不敵に微笑んだ。
こうして、私たちの初演は幕を閉じた。
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