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新月の夜に
まだ夕日の差し込む頃から、秋山美玲はホテルロビーのソファーに座っていた。
このホテルは、高級ホテルとして知られているが、美玲は立ち入ったのも初めてだった。
自分でも場違いだと思うこの場所に美玲が訪れたのは、ある人物と会うためだった。
ただし、美玲はその人物に会ったことはない。外見も全く見たことがない。
次に回転ドアを抜けてくる人物こそが、その人物ではないかと期待に胸を膨らませた。しかし、誰一人として美玲を見ることはなかった。
(また、ハズレか……)
期待が外れる、その回数が増えるたびに美玲は見えないナイフで刺されているような気持ちに陥っていた。
待ち合わせ予定の時刻を一時間も超えてくると不安にもなってきた。
『待ち人、来らず』
昔、何かの物語で聞いたそんな言葉が脳裏に浮かぶ。やはり眉唾ものの話など信用するものじゃないなと美玲は大きく溜め息をついた。
もう待ち人は来ないのだろう、そう思いながらも美玲はソファーから立ち上がることはできなかった。
ほとんど諦めつつも、心のどこかで、その人物はやってくるのではないかと信じている自分がいた。
あと一人だけ、もう一人だけ。
回転ドアを抜けてくる人影が見えるたびに、美玲はそんなことを考えていた。
そして、更に時間が過ぎた頃、回転ドアを抜けて、若い男が入ってきた。サラサラとした茶色の短髪で、薄手のパーカーを羽織っている男だった。まだ少年っぽさを感じさせる外見だった。
(さすがにあんな若い子じゃないよね)
と美玲は思っていたが、予想に反して、その男は美玲に向かって手を挙げた。
一瞬、戸惑った美玲だったが、背後から
「マナト」
と呼ぶ女の声がした。男が手を挙げた相手は、後ろに座っている子だったらしい。目線を斜め後ろに向けると黒髪のセミロングヘアの可愛らしい女の子が座っていた。
(なんだ、こっちの子ね……)
美玲は溜め息をついた。
後ろの席に座っていた女の子が立ち上がる気配を感じた。まだ男女ともに高校生ぐらいに若いようだが、こんな高級ホテルに用があるのか、今時の高校生事情はわからないなぁ……、と考えている時だった。
「マナト」と呼ばれた男は、美玲の前へと歩みを進めてきた。
そして、後ろに座っていた女の子は美玲の右隣に座った。
「えっ……?」
戸惑いを隠せず左へ逃げようとする美玲に対し、
「秋山美玲様ですね?」
と男は言った。突然、名前を呼ばれ美玲は戸惑った。
「お待たせして申し訳ありません。私、ムーンリバー代表の月島真那斗と申します」
男はにっこりと優しく微笑んだ。
「あなたが……?」
予想に反して若い男が現れたことに美玲は驚き、戸惑いを隠せなかった。マナトは「はい」と頷く。
「ユイカ、そこのカフェに席はある?」
彼が指差す方向を視線で追うと、落ち着いた雰囲気のカフェがあった。
「うん、問題ない」
ユイカと呼ばれた少女が答える。
「わかった、ありがとう。では、秋山様、こちらへ」
マナトの声で、ユイカと呼ばれた女は立ち上がった。美玲もまた立ち上がった。
「あ、『時の分岐点』へ遡りをご希望……でよろしかったですね?」
微笑むマナトに、意を決した表情の美玲は頷いた。
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