新月の夜に

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「事情はよくわかりました。では、妹さんがその日亡くならない世界に行きたい、ということでよいですか?」  表情をほとんど浮かべず、マナトはキーボードを叩いた。  莉愛の死なない未来。  十二年間、何度も願った未来だ。 「はい。そこへ行けるならーー」 「いくつか忠告があります」  美玲が決意表明をしようとしたところをマナトが遮った。 「さっきもお話させていただいたとおり、該当する時の分岐点が本当に存在するかはわかりません。また存在したとして、妹さんが生きていること、それ以外が都合よく『今』と同一とは限りません」 「……どういうことですか?」 「この世界は妹さんが亡くなった上で成り立っています。というのは、この世界から見ると『歪み』が生じているわけです。妹さんが亡くならないことで、はみ出すものが出てきます」 「はみ出す?」 「例えば、妹さんが大学に進んだとしましょう。この世界では合格していた誰かが、妹さんがその一枠を取ったので、そちらの世界では不合格なり、不合格になったその人が滑り止めに入学すると、その影響でまた誰かが……ということですね。  変えたいこと以外、そのほかは同じにっていうのは無理なんです」  話を聞きながら美玲は『バタフライ・エフェクト』という言葉を思い出した。 「また、お連れした世界に発生した『はみ出し』が納得できないとしても、こちらに戻ることもできません。僕らは連れていくだけです。ご一緒するわけではありません」 「……つまり、片道切符ってことですね」 「そういうことです。元の世界のほうがよかったと悔やまれることがありそうならば、もし悩まれるならば、一時間ぐらいなら待てます。それまでにご決断できなければ、またいつかということになります」 「いえ……、行きます。今日」  そう言うと美玲はカバンから何かを探した。そして、大手銀行名の書かれた封筒を取り出した。厚みのある封筒だった。 「代金の百万円です。お願いします」  美玲はその封筒をマナトへ差し出した。 「ありがとうございます。頂戴いたします」  マナトは軽く頭を下げた。ユイカも続いて頭を下げた。 「僕たちもお安くしたいところなのですが、生活ややりたい事がありまして」 「妹が生きている世界に行けるなら……、百万円なんて大したことじゃないです」 「そうですか……」  微笑むマナトの隣に座るユイカが一枚の紙切れを差し出した。 「この世界を離れる貴方には不要かもしれませんが、領収書です」 「……頂いておきます」  美玲は領収書を二つ折りにしてカバンの中に丁寧にしまった。カバンにしまい終える姿を待っていたかのように、マナトは軽く両手を叩いた。 「では、行きましょうか。時間も頃合いです」  美玲の腕時計はまもなく九時になろうとしていた。
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