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ホテルの裏側に大きな公園があった。緑が生い茂り、石畳の道が公園の中へと続いていた。
「この中に、世界で一番景色が綺麗だっていうカフェがあるって知ってます?」
少しはしゃぐようにユイカが言った。その噂ならば美玲も聞いたことがあった。とても綺麗な景色が見えるのだと聞いたことがある。
「もう閉店時間ですけどね」
マナトが指差す方向には、明かりの消えた建物が見えた。
「さて世界で一番ではないかもしれないですが、月もなく綺麗な空です。こちらへどうぞ」
マナトは白木のベンチを指差した。美玲は頷き、そのベンチの左端に腰かけた。
美玲は空を見上げた。新月なので、月の姿はなく、星がはっきりと見えた。確かに綺麗な星空だった。
「失礼します」
美玲の前に立ったユイカは右の掌を座っている美玲の額に近づけた。
「目を閉じてください」
美玲は目を閉じた。そして、マナトの説明が始まった。
「これから、貴方の頭の中にアクセスします。そして僕と一緒に記憶の川を遡ります。そして、妹さんが亡くならない分岐点へとお連れします」
「頭の中に……アクセス……?」
「詳しく理解できなくても大丈夫です。もう一度確認しますが、本当に分岐点にお連れしてもよいですね?」
「……大丈夫です」
「……わかりました。では、目を開けずそのままで。薄くでも目を開けると失明しますので」
「え!?」
驚きの声をあげた美玲に構うことはなくマナトは説明を続ける。
「これからおでこあたりが少しポカポカすると思います。痛くはないと思いますが、耐えられないとかあれば手を挙げてください」
美玲は頷いた。
「この後、満月の出口を出ると……、あちらの世界の重力を感じると思います。そうしたら、目を開けてください。そこは、妹さんが亡くならなかった世界です」
「あちらの世界の重力……、はい、わかりました」
「では、僕たちと会話できるのはここまでです。よい旅路を」
マナトの言葉が終わると同時に美玲は額に暖かさを感じた。ユイカが何をしているのかはわからないが、マナトが言ったとおりポカポカする感覚があった。ストーブに手を差し出して暖をとるときの感覚に似ていた。
その暖かさは全身に広がっていき、毛細血管の隅々まで行き渡っていくようだった。とても心地よい感覚だった。
ベンチに座っているはずだが、身体が少し浮いているような気がした。白木のの硬さが感じられず、周りの葉擦れの音も消えてしまった。
頭の中に、川が見えた。
オレンジ色の水が流れる川だった。幾重にも分かれた川だった。その川の上を自分が遡っている。身体は浮いていて、何かが美玲を引っ張っていく。
この川を見たのは初めてのはずなのに、美玲は不思議な懐かしさを感じていた。いつどこで見たのか、何も思い出せない。
だんだんと暖かさに溶かされるように、思考が停止していく。オレンジ色の景色は次第に白くなっていく。
痛くも、熱くも、冷たくもない感覚に美玲は、ただ堕ちていった。
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