家・庭・訪・問

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「家庭訪問!?」 ダイニングテーブルの上に山積みにされた紙の中から、クシャクシャになって出てきたプリントを見た古谷千春(こたにちはるは)は思わずコーヒーを吹き出していた。 プリントには「家庭訪問のお知らせ」というタイトルの下に、各家庭に回る訪問日と順番が記載されている。 古谷家の名前は今日の日付けの一番最後の時間帯に載っていた。 「パパ汚い」 実の息子、古谷一葉(こたにいちは)は五歳児とは思えない冷ややかな眼差しで千春を一瞥してくる。 「だって家庭訪問って聞いてないし…ってしかも今日だよ!?パパ休みもらってないよー」 「一葉はちゃんとパパに渡した。見てなかったパパが悪い」 「それはそうなんだけどさー」 千春は情けない声を出すと、とてもじゃないが人を招けるような状態じゃないリビングを見渡した。 この春から古谷家は父子家庭になった。 去年のクリスマスからパッタリと行方をくらましていた元妻との離婚が漸く成立したのだ。 離婚の手続きは結婚の倍時間がかかる、と離婚経験者の友人に言われたが、正にそうだった。 財産分与や一人息子の一葉の親権、離婚に至るまでの手続きはかなり大変だった。 そのゴタゴタが漸くひと段落し、これで解放された…と思っていたのだ。 しかし、離婚が成立したからといって生活が穏やかになるわけでもなく。 一人息子を引き取った千春の毎日は仕事に加え、家事、育児が合体してとんでもない事になっていた。 それまで元妻に任せきりでやってこなかった家事は半分もこなせていないし、育児に関して全く把握できてない。 一葉のしっかりした性格のおかげで何とかやっていけているといった感じだ。 ダイニングテーブルは持ち帰った仕事の書類でテーブル本来の姿は見えていない。 キッチンの流しには二日前に使ったコップや箸がまだ転がっているし、洗濯物だって辛うじて干してはいるものの取り込んでから畳むことなくあちこちに山積みになっている。 千春と一葉はその今にも何かが湧いてきそうなほど散らかった部屋で、毎日買ってきた弁当や惣菜を並べて食べているのだ。 その中でたまたま目についたプリントが一葉の通う幼稚園のお知らせで、たまたま家庭訪問を知らせるプリントを発見できたのが奇跡に近いと思う。 これを見ていなかったら一葉に悲しい思いをさせるところだった。 こんな状態でも息子には父子家庭である事を重荷に感じて欲しくないし、それを不憫だと思って欲しくないからだ。 自分がダメな父親だっていうのはわかってはいるのだが。 何せ家事に対してのセンスが全くもって皆無に等しいのだ。 こういう所がいけなかったんだろうか… 千春は時々こうして自分のどこがいけなかったのか離婚の原因を考えてしまう。 確かにおっちょこちょいだし、よく天然だとか言われるし、一葉にもパパもっとしっかりしてよなんて言われるけど… そもそも千春は未だに何故自分が離婚されたのかはっきりとした原因がわかっていない。 仕事は真面目にしていた。 給料だってそこそこ稼いでいたし、年に一度は海外旅行だって行けていた。 元妻には働いてほしいなんて一言も言った事ないし、わりと厳しめだった小遣い制にも反論した事はない。 それなのに、彼女はある日突然出て行った。 理由も言わず突然に。 その理由は離婚の協議最中にも明確に告げられる事はなかった。 千春は何度も相手に訊ねたのだが、最後まで「性格の不一致」という曖昧な理由しか返ってこなかったのだ。 でもいくら鈍い千春にだって何となくわかる。 彼女にとってお金や生活の安定さは関係なかったのだ。 要は、人として千春に魅力を感じられなかった、そういう事なんだと思う。 会社に電話して事情を話すと何とか休みを貰えた。 が、やはり肩身は狭い。 父子家庭とはいえ、このままこんな事を繰り返してたらいつか会社をクビになるかもしれない。 一抹の不安が頭を過るが今はとりあえずこのゴミ溜めのような家を何とかしなければ。 今は家庭訪問のことだけ考えよう。 千春は幼稚園バスに乗る一葉を見送ると、ゴミ袋を片手に戦闘態勢に入ったのだった。
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