家・庭・訪・問

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刻一刻と迫る時間に、千春(ちはる)はずっとソワソワとしていた。 「パパ、動きすぎ」 所在なくウロチョロと動き回る千春に対して一葉(いちは)は椅子に腰掛けて落ち着いている。 「だって緊張するよ〜〜家庭訪問なんて初めてなんだし」 半分べそをかきながら、一葉に抱きつくと怪訝な顔であしらわれた。 「もう、いい大人なんだからしっかりしてよね」 腕を組みながら毅然とした表情の五歳児に注意されて、三十六歳の千春は「……はい」と項垂れる。 一葉の性格は千春と違ってしっかりしている。 これまでわがままを言ったり、駄々をこねたりして親を困らせた事がほとんどない。 こうして父と子、二人だけの生活が始まってからは特にだった。 だらしのない千春に対して注意はするものの、夕食が買ってきた弁当や冷凍食品でも文句一つ言った事がないし、休みの日にどこかに連れて行ってほしいとも言わない。 しかし、千春には逆にそれが心配でたまらなかった。 一葉が子供らしい我儘を言ったりしないのは、色んな事を我慢しているからではないだろうか。 千春に遠慮して、本音を隠しているのではないのだろうか。 ずっとそれが気になって引っ掛かっているのだ。 これでも離婚を突きつけられた時は千春も精一杯反論した。 親の都合で片親になり、嫌な思いをするのは間違いなく一葉だ。 母親がいなくなるという事が子供にとって今後どれだけ負担になるか、離婚の協議中何度も話しに上がった。 せめて一葉が小学校を卒業するまで延期できないかと訴えたが、どんなに話し合っても彼女の心は変わらず、結局離婚を余儀なくされた。 残酷ではあるが、父親か母親を選ばなければならないという選択をさせるわけになったのだが、一葉は迷う事なく千春を選んだ。 理由を訊ねると「パパは一人で生きていけないから」だそうだ。 もしかしたら一葉は、本当は母親についていきたいという意思を我慢して、ポンコツでダメな自分を選んでくれたのかもしれない。 千春は何となくそんな気がしていた。 それでなければ、わざわざ苦労をする方の千春を選ぶはずがない。 だから今日は幼稚園での一葉の様子を知るチャンスだと思っていた。 もしかしたら、担任の先生や友達になら本音を話しているかもしれない。 そう思ったからだ。 一葉の本心を聞くのは少し怖かったが、もしも彼が本当は母親の元へ行きたいと願っているなら千春は父親としてそれを叶えてやるつもりだった。 本音を言えば凄く寂しい。 多分…いや、確実に泣いてしまうだろうけど。 ぐすりと鼻をすすると、来客を知らせるインターホンの音が響く。 「先生だ!」 嬉しそうに玄関に向かう一葉の小さな背中を見つめながら、千春は唇を噛みしめるのだった。 やっぱりどう見ても若いよな。 背筋を伸ばしお手本のように椅子に腰掛ける男を千春はまじまじと見つめた。 左右対称しっかりと収まったパーツはまるでいい男のお手本のようだ。 身長も高いし、細身だが筋肉もしっかりついているのが服の上からでもみてとれる。 子供向け番組の歌のお兄さんと今時のアイドルを合体させたような、爽やかな好青年という感じだ。 「今年度、一葉くんの担任を務めさせていただきます:中村琉矢(なかむらりゅうや)です。よろしくお願いします」 ハキハキとした誠実な挨拶と共に、真っ白な歯を見せて中村が笑う。 黄色い声援でも聞こえてきそうなほど、爽やかで眩しい中村の笑顔に千春は思わずドキッとしてしまった。 しかしすぐにハッと思い直す。 男相手にドキッだなんておかしい。 千春は心の中で「ないない」と首を振った。 多分、人を惹きつける:先生|としての魅力が備わっているから男の千春でもドキッとしてしまったに違いない。 若くてかっこよくて優しい先生。 きっと幼稚園でも人気なのだろう。 ニコニコと中村を見ている一葉の表情からもそれが伝わってくる。 「一葉の父親です。よろしくお願いします」 千春もギクシャクしながら挨拶をして「家庭訪問」が始まった。 中村はまず一葉の園での生活を細かく教えてくれた。 正直、幼稚園でどんな活動をしているのか全く把握してなかった千春にとって、園の方針や活動が聞けたことはとてもよかった。 それに彼の説明はとても分かりやすかった。 冗談を交えたり、一葉と楽しく会話しながら話を進めていく中村の手腕に、千春は感心するばかりだった。 それに彼がしっかりと子どもの目線になって接しているのが話していてよくわかる。 この先生ならきっと一葉の事もきちんと見てくれているはず。 中村の話がある程度終わると、千春は一葉を自分の部屋に行かせ、思い切って訊ねてみた。 父子家庭になったことについて一葉がどう思っているかを。 「心配しなくて大丈夫ですよ。一葉くんはお母さんも好きだけどお父さんの事はもっと大好きらしいです」 「ほ…ほんとですか!?」 千春は思わず前のめりになって聞いていた。 「本当に。お父さんはドジでおっちょこちょいだけど、優しくてかわいいから僕が守ってあげるんだって毎日言ってますよ」 中村が思い出したようにクスクスと笑う。 「か、かわ?…え、ええ?」 嬉しい…でも喜んでいい…のだろうか? 何なのかよくわからないが、一葉が仕方なく千春を選んだわけじゃないという事がわかって安心した。 母親の元に行きたいなら行かせてもいいと思ってはいたが、本心はやっぱり手放したくないのだ。 緊張の糸が解けたようにへたへたと机に突っ伏す。 すると、ふふ…と少し艶を含んだような声が聞こえてきた。 「僕もね、ずっと気になってたんですよ」 「え?」 顔を上げると驚いた。 中村の顔が思いの外近くにあったからだ。 やっぱり近くで見てもカッコイイ。 千春は思わずその完璧な顔に見惚れてしまった。 するとその整った顔が、テーブルを乗り越えるような勢いで近づき千春の顔を覗き込んでくる。 「:一葉(いちは)くんがあまりにもかわいいかわいいって言うから気になってたんです。一葉くんのお父さんの事」 爽やかな笑顔から一変、妖しげに変わったその表情にぞくりと肌が粟立つ。 「そんな…かわいいなんてものとは程遠いっていうか…かわいいと言われても微妙っていうか…はは…」 千春は苦笑いを浮かべると、ずり下がった眼鏡を戻しながらさりげなく中村から離れた。
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