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雪女「満月にまた会いましょう」
満月の町を鼻歌混じりに闊歩するは、真っ白な浴衣を着た、真っ白な髪した少女。
名を霜乃という雪女である。
夏が去り、だいぶ過ごしやすくなってきた。
ここ数年で最高の秋だ。早々に寒々しい。
いよいよ自分の天下が来た。そんな心持ちだった。
住人のほとんどが妖怪の町だから、零時を回っても、フラフラしている者は少なくない。
けれど霜乃は、むしろ静かな夜こそ感じたくって、大通りではなく裏通り、商店街ではなく住宅地を歩いていく。目的なんてものはない。
気まぐれに、なんとなく。
右に曲がって左に曲がって、真っ直ぐ行って引き返して。
コンビニ寄って酒買ったなら目的は出来た。
一人酒の、良いロケーション。
思い浮かんだのは、十分ほどのところにある、通称えこの山だった。
由来はよくわからない。
山と言っても、まるで高いものではない。小山。
周りにぐるりと設置された階段を上がれば、一分かからず頂上につく。
幼稚園の裏にあって、格好の遊び場となっている。
(てっぺんが開けているし、月見酒に良いかも)
霜乃は、あと三段ほどで頂上というところで、さっと木陰に隠れた。
先客がいたのだ。
それは真っ黒な人影だった。
女性……らしい。
少女かもしれない。
と言うのも、本当に影なのだ。
薄っぺらくはないけれど。
普通の人――人型の妖怪――みたいに厚みがある。
肩くらいまでの長さの髪、なだらかな起伏ある体型、そしてスカートの裾がシルエットから見て取れる。
だから、きっと女性だろうと、霜乃は思った。
バレリーナなのかも、とも。
広場の中央を舞台に、月明かりをスポットライトとし、彼女はすらりとした手足を伸び伸び躍動させ、飛び跳ね、くるくる回る。
夜の静寂の向こうに、彼女のメロディが聞こえてくるようだった。
喜と楽のダンス。
その終わりに彼女は、無人の観客席へと、スカートの端をちょんと掴んで一礼する。
霜乃は少し悪戯心が湧いた。
木陰からそっと、彼女の頭上に目掛けて冷気をふんわり放つ。
それは月明かりに煌めくパウダーになって降り注ぐのだった。
影の女性は不思議そうに首を傾げ、それから辺りをきょろきょろ見回した。
霜乃は拍手と共に姿を現す。
「ごめんなさい、驚かせて。とっても素敵だったから。ちょっとした、お礼のつもりだったの」
彼女は答えず、コンクリートの地面を指差した。
すると指先から黒い煤のようなものが噴き出し、文章が浮かび上がってくる。
『ありがとう。きれいだった』
「ふふ。良かった。ね、一緒に飲まない?」
『お酒は、ちょっと……ごめんなさい』
「あら残念。それじゃあ、アイスを半分あげる」
『いいの?』
霜乃は頷きベンチに座る。
そして、どうぞ、と言うように隣を手で叩いた。
腰掛けた影女にアイスを半分ほど蓋に取って渡す。
残る器のほうにはお酒を入れた。
「わたしは氷河崎霜乃。かんぱーい」
『乾杯。月影映子です』
「っはぁ……おいし」
『お酒、好きなんだ』
「どっちかって言うとアイス! 今日みたいな満月の夜は、格別だわ」
『本当にきれいね、お月さま』
二人は天を仰ぎ見ながら、ほう、と息をつく。
それから霜乃は彼女に視線を移し、お酒に溶けたミルクアイスをくいっと呷った。
「綺麗なものを見た後は、格別ね」
『うん。アイス、おいしい。ありがとう』
「ふふん。雪女の選んだアイスにはずれ無しってね」
『初耳。でも納得』
「味はもちろん、値段もお手頃なのよ~。ほんと、いい時代になったわよね、こうして人間の食文化を手軽に楽しめるんだもの」
アイス酒をまた一口含み、
「えっちゃんは、あれなの? バレリーナ? 舞台があるとか?」
『えっちゃん?』
「うん、えっちゃん。だめ?」
映子は首を横に振った。
『ダンスは……趣味、かな』
「へえ。なんか、いいわね。素敵」
『ありがとう。それに、約束したの』
「約束?」
彼女の手が止まる。
なにか困らせてしまったみたい。
「ダンスしてるときの貴女、表情はわからないけれど、とっても楽しそうだった」
『たのしいよ。霜乃さんも、どう? もし、よかったら』
「ふふん。いいわよ? ちゃんとエスコートしてくれるならね?」
そんなこんなで。
アイスを食べ終わった二人は、月光に散るパウダースノウのなかを踊って、他愛もない話に笑い合って、なにも喋らずぼんやり満月を眺めて、夜が明ける前に別れた。
特に再会の約束もしなかったけれど、次の日も霜乃は山頂を訪れた。
やっぱり彼女はいて、ダンスを見せてもらった。
お礼に粉雪を降らせ(彼女は随分とこれを気に入ったらしい)一緒に踊って、お菓子とジュースをお供に他愛もない話をした。
そんな夜を繰り返すにつれ、霜乃の目にも、その異変は明らかだった。
(やっぱり……薄くなってる)
映子の、凝縮された闇のような体。
それが少しずつ、本当に少しずつ薄まっていく。
月が細くなるにつれ、その明かりが弱まるにつれ……とうとう十日が過ぎた頃には、向こう側が透けて見えるようになっていた。
本人に訊ねてみても『よくわからない』との返事。
霜乃はガラ代に話してみた。
「ふぅん。最近、夜にいないと思ったら、逢引してたんだ」
「妬いてる?」
鼻で笑う蛇女だった。
「で? 調べて欲しいわけ?」
「顔広いから普通に知ってるかなって思った」
「別にそんなことないけど」
彼女はスマホを取り出して、
「ま、巣の広いやつにあたってみるわ。名前と住処わかってんなら余裕でしょーよ」
「ありがとう、ガラちゃん」
霜乃は封筒を差し出す。
「これ、依頼料」
「あー? いいって、いいって。今回は訊くだけだろうしさぁ」
ガラ代は持ち込まれる相談事に対して、一応は、料金を設定している。
ただ、たまにこうして、なあなあにする。
そもそもが、彼女の面倒見の良さから始まったからなのかもしれない。
霜乃も今回の件でなければ、それに甘えても気にならなかっただろう。
けれど彼女の設ける依頼料は、手間賃であり、しょうもない頼まれ事までは受けたくないがための、ふるいなのだ。
「大事なことだから。そのヒトにもなんか奢ってあげてよ」
「ま、そういうことなら断る理由もないけどさ」
調べは本当に早いもので、十分後にはガラ代のスマホが鳴った。
資料がメッセージに添付されてきたようだ。
「へえ。随分と年上な友達だな」
「そうなの? 最近の子かと思った」
ガラ代が眉間に皺を作った。
「……ある意味では、そうとも言える」
「どういうこと?」
「その人の種族は、魔影ってやつみたいね」
これは実に個体差の激しい妖怪なのだそう。
映子は実体のある影とでも言えようが、そうではなく平面に映し出されるタイプの妖怪もいれば、自由に動き回れるもの、長く長くその場に残り続けるものもいる。
影女のみならず、影男もあれば、影猫もあるし、影竹もある。
ガラ代の説明に、霜乃は頷いた。
「月が欠けて薄くなるのは、えっちゃん個人の特性みたいなものってことね?」
「ん、まあ……そう、ね」
「良かった。それじゃあ新月を過ぎたら戻っていくんでしょう? 古くからいる子みたいだし」
「……いや、満月になったら、だ」
「そ。良かったぁ」
ホッする霜乃の一方、ガラ代は余計に難しそうな顔。
その様子に霜乃は少し震える声で「違うの?」と問うた。
ガラ代は逡巡する素振りを見せ、
「いい? 霜乃。落ち着いて聞いて」
静かにそう切り出した。
* * *
二人が出会ってから、二度目の満月の夜。
霜乃は少しばかり緊張していた。
映子とまた会うべきか否か。迷う気持ちもあった。
いつもより遅く、アパートを出た。
コンビニで適当な雑誌を、ぼんやり立ち読む。
三十分ほどして、ようやく決心がついた。
アイスとお酒を買って向かう。通称、えこの山。
いつしか、その古き住人、月影映子の名を冠して呼ばれるようになった山。
と言っても、ものの一分も掛からず登り切れる、小高い盛り土のようなもの。
麓から見上げれば、かすかに人影の踊る様あり。
霜乃はホッと息を漏らし、枯れ葉を踏みしめながら、階段をあがっていく。
あと三段ほどで頂上というところで木陰に隠れた。
彼女の舞いが終わるのを見計らって、空に向けて冷気を放つ。
水気が氷の粒子となって、月明かりに照らされながらキラリキラ。
映子に降り注いだ。
彼女は、驚いた様子で辺りをキョロキョロ見回す。
霜乃は胸の鼓動を抑え、そんな彼女の前に姿を現した。
「素敵なダンスのお礼だったんだけど、ごめんなさい、驚かせちゃった?」
彼女は首を横に振って、いつものように、コンクリートの地面を指差す。
『ありがとう。きれいだった。あなたは、雪女さんね』
月影映子は満月に生まれ、新月に死ぬ。
そしてまた満月に生まれる。
それをかれこれ数十年、繰り返している。
けれど……その年月が彼女の中に蓄積されることはないのだそう。
妖怪の世界では、百年二百年の付き合いもあれば、一年一日の付き合いだってある。
霜乃はまだ若い。そういうものだと知ってはいても、経験はなかった。
この寂しさはきっと、これから先にも待ち受ける、その一回目なのだろう。
霜乃は微笑み、ベンチに誘う。
「良かったらアイスでも一緒にどう?」
『いいの?』
「もちろん」
霜乃にとっては二度目の自己紹介をしながら、カップアイスを一つ渡す。
『アイス、とってもおいしい。ありがとう』
「ふふん。雪女が選んだんだもの」
それに、あなたが好きだと言っていたから。
言葉にはしない。どっちがいいのか、まだわからないから。
本当は、短いけれど付き合いのある仲だよと、告げるが良いのか。悪いのか。
告げたとして結局はそれだって、新月になれば失われてしまう。
ふと彼女の、アイスを食べる手が止まる。
『もしかして』
と首を傾げ
『わたしたち会ったことある?』
霜乃はドキリとしながら訊き返す。
「え、どうして?」
『だってアイス、二つ買ってきてるから。それに』
「それに?」
『なんか、なんだろう、嬉しい味がする』
霜乃には、それで充分だった。
たとえ全てでなくても、ほんの欠片でも残っているのなら。
霜乃が努めて明るく、
「あははっ。バレちゃった? 実はそうなのよー!」
そう返すと彼女もクスリと微笑んだようだった。
『やっぱり。それじゃあ、霜乃との約束だったのね』
初めて会った日も、言っていた。
もしかしたら彼女は、誰かが遺した約束の影なのかもしれない。
それとも影になった後の、わずかに残った記憶の欠片だろうか。
霜乃のアイスのような。
確かなことは、誰にもわからない。
当の本人はもちろん。
最初の約束を交わした者だって、ここには、いないのだ。
それが死によるものか、単に、彼女に付き合いきれなくなったのかは、わからないけれど。
「……うん。そうだよ。また貴女のダンスを見たかったの」
ただ確かなことは、これからは、霜乃が果たしていく。
最初の新月を迎えるときに交した、その約束を。
彼女の寿命が尽きる、その日までは。
* * *
――それじゃあ、また来るね、えっちゃん。
――わかってるって。あのアイスね。
――氷のやつ? もちろん。ってーか、毎回やってるじゃーん。
――ふふ。本当にあれ好きね、貴女。
――それじゃあ代わりに……またダンス見せてくれる?
――あはは。うん、約束ね。でもいいのー? 雪女と約束しちゃって。
――あら、知らない? 雪女はね、約束を破らないのよ。
――でも逆に、破ったら怖いんだから!
(了)
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