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小学校入学して数日経っても
話すことができない私は
「おはよう」って声をかけられても
下を向いているだけ。
知らない子達が沢山
先生も沢山いる。
なぜか恐怖だった。
馴染めなくていて
話せなくていて
学校に行きたくないと毎朝泣いていた。
小学校1年生の担任は
50代の女性ベテラン先生だ。
学校に行きたくなくて玄関の前で泣いている
すると
担任が学校に出勤する為に
家の前を自転車で通るのだが
いつも先生の自転車の後ろに乗せられて泣きながら先生と登校していた。
学校に着いて校内に入っても
泣いていた。
1つ上の兄の担任(男性)が
私を抱っこしてくれ廊下を
散歩して泣き止ませようとしてくれた。
兄は 「またお前の妹泣いてるし。」っと友達から
からかわれている
だが兄は「おっこ。お兄ちゃんも学校に居るから泣き辞め!
大丈夫だから。」
そう言ってくれていた。
先生「ほら、お兄ちゃんも一緒だよ?だから学校頑張ろ」
私「……」
嫌だ。家に帰りたい。
それすら言えずに声を殺して
ヒクヒク過呼吸を起こしながら泣くだけだった。
チャイムがなると強制的に教室に入らせられる。
泣き疲れて寝てしまって先生から起こされる。
そんな1年生の日々が夏まで続いた。
当時 学校側から あまりにも学校に慣れないのなら
特別学級に行くことも出来ますよ。
と親は言われていたみたいだったが母は
「普通学級でいいです。
手のかかる子ですが、お願いします。」と言っていたそうだ。
親としては普通学級に通わせたい。
特別学級なんて恥だ。と思っていたらしい。
なので私が泣く度に
母親から「特別学級の馬鹿な子達の学校に行かせられるから泣くな!!」そう言われていた。
泣いているのをバレなければいい。
次第に私は、涙が出そうになると下を向いてポロポロ涙を零す癖がついた。
下を向いて泣いていると今度は
親戚や親から
「根暗な子だね。泣くなら子供らしく声を出して泣きなさい!!」
と言われてきた。
泣く事ですら叱られる。
自分の居場所が無いように感るようになる。
その頃
両親はパチンコが好きで よく行っていた。
当時はパチンコ店に子供も入店できた。
保育園の頃は
良く連れられて行っていた。
夕飯はパチンコ店の自販機で兄と私で
カップラーメンを食べらせられていた。
景品のサイコロキャラメルや
サラミ、ガムなども与えられ
「これ食べながら待ってて。」と。
眠くなると父親にパチンコしている最中抱っこされながら寝ていた。
けれど 私はパチンコ店で 処女を
失う事になる。
パチンコに夢中な母に
「お母ちゃん、おしっこ。」
と言いに行った。
母「おっこ1人で行けるでしょ。行ってこい!!」
1人だけで行く時もあったパチンコ店のトイレ。
いつもの様に1人だけで行った。
小太りで黒の革ジャンと色褪せたジーンズ姿の男性が私が女子トイレに入ってドアを閉めようとした時ドア隙に手を入れて開けられた。
あれ、ここ女のトイレ??
間違って入ってしまったかと思いトイレに入らず戻ろうとしたら
手を引っ張られる。
「お嬢ちゃん、おしっこ?」
怖くて黙っていた。
「漏らしちゃうからトイレ入ろう。」
ガチャンと鍵を閉められた。
震えてる私のスカートをたぐり
和式トイレに足を跨がせると
パンツをおろされた。
「しゃがんで。ほら。
ちーって おしっこ出しな。
それとね、大きな声出したら おじさん
お嬢ちゃんを殺すから。」
怖くて言うことを聞くしかなく
しゃがんだ。
あまりの恐怖で出ずにいた。
「出ない?これで出るかな?」
指で私の割れ目を触ってくる。
「出る?」
私「………。」
恐怖で泣いた。
すると おじさんは私を立たせ
立った私の片足を上げて
顔を近づけてきた。
何?そう思ったと同時に
ヌルっとした感触がした。
ジュルジュルと音を立てて
舐めているのだ。
唾液でヌルついた私のそこに
太い指で撫でられ入れてきた。
激痛だった
「痛い。」と叫んだが
辞めてくれなかった。
私は痛さで泣きながら座り込んだ。
おじさんは
硬く太くなったアレを出し
私の中に入れようとしたが足を閉じて震えていたからか
うまく入らなかった。
先っぽが、当たると痛さで
また「痛い!!」と叫んだ。
おじさん「ったくっ!
騒ぐなって言ってんだろが!!」
そう言い
自分の硬くなったものを
私に握らせ私の手をおじさんが
握り上下に早く動かされた。
あっとゆーまに白くドロっと臭い液体が出てきた。
おじさんはトイレットペーパーで拭き取るとトイレから出て行った。
おじさんがトイレから去っていくと
私もトイレから逃げるように出て母に
触られた事を話した。
母は父に言いに行った
母と父は私を連れて
どのおじさん?と聞き探す
父の服をギュッと握り
母の手も握って探す。
居た。
何事も無かったように
パチンコをしていた。
「いる!あの黒いジャンバー着てる人!!」
父と母は、何かコソコソと話ていたが
「帰ろ。」
そう言い何も無かったかのように
私達家族は帰ったのだ。
家に帰ってきてからも痛い。
トイレに行こうとパンツを下ろすとパンツに血が付いていた。
母を呼んでパンツを見せたら
「お風呂で、ちゃんと洗いなさい。それと
この事は絶対誰にも言うなよ!」だけだった。
助けてくれなかった両親。
幼い私はショックを受けた。
この事がきっかけで両親はパチンコに行くと
兄と私を置いて留守番させるようになった。
パチンコで勝ってくると兄には
ゲーム機のカセットやら
おもちゃを景品で持ってくる。
私にはヤクルトやサラミそんな物ばかり。
寂しかった。
だから母親から離れたくなくて
学校にも行きたくなかった。
学力にも遅れが出てきた。
メンタルクリニックで
心理テストとIQテストを受けてみて分かった事。
虐待による
"学習障害"
になっていたのだった。
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