知らない手紙

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知らない手紙

『亜由美、元気でいるか? こっちはもうすでに秋の風、というより、朝は冷え込んで結構寒いよ。 そっちはまだまだ暑い日が続いてるみたいだけど、朝晩の気温差には十分気を付けてな。 俺は相変わらずこっちで頑張ってるよ。 早いもので、亜由美が上京してもう5年になるんだな。最初は寂しかったけど、亜由美が夢のために頑張ってるんだって思えば、俺も頑張れる。 亜由美なら可愛いから大丈夫!オーディションなんて一発で受かるさ。 でも、亜由美が有名になって、俺の手の届かないほど人気が出ちゃったらどうしようかなぁ、なんてな』 その手紙には、真っ青な大空と白い雲、果てしなく広がる大地に点々と白黒の牛が映し出されたピンナップ写真が添えてあった。 私は亜由美ではない。恐らくこれは、前の住人に宛てた手紙だろう。私はうっかり、その手紙の封を他の自分宛ての郵便と一緒に切ってしまったのだ。あらためて表書きに「前田 亜由美様」と書いてあるのを確認してしまったと思った。手紙から、はらりと落ちたその写真に魅せられた。 なんて綺麗なんだろう。たぶん、どこか牧場かどこかなんだろう。 こんなところでのんびりと暮らせたら、どんなにか良いだろう。 私は疲弊していた。毎日仕事に追われ、やりがいの無いくせに終わりの見えない仕事、上司のパワハラ、要領の良い同僚への恨みつらみ、どうして自分ばかりがという思いばかりが自分の中だけでせめぎ合うのだ。 私は罪悪感にかられながらも、それに添えてあった手紙を読んでしまった。 この内容を読めば、これは上京してしまった彼女への手紙であり、送り主は男性で彼女はたぶん芸能界、あるいは、モデルなどを目指して上京したことがうかがえた。 きっと前の住人は綺麗な子だったんだろうな。 前の住人に思いをはせたが、すぐに人様の手紙を開けて読んでしまったことの罪悪感にかられた。たぶん、管理人に聞いても、前の住人の引っ越し先なんて知らないだろうし、誤ってやったこととしても、私は他人あての手紙の封を切ってしまったのだ。申し訳ないと思いながらも、私はその手紙をゴミ箱へ捨てた。  一か月後、また前田亜由美宛ての手紙が届いた。ため息をつく。前の住人は転送手続きをしていないのだろうか。普通、郵便物の転送手続きをしていれば、一年間は次の住所に転送されるはずだ。そのままゴミ箱へ捨てようと思ったが、また写真が同封されていたのが、封書の上からでもうかがえたので、私は興味に勝てずに、また封を開けてしまった。 「うわあ、綺麗」 思わずため息が出た。この人はなんて美しい写真を撮る人なんだろう。 今度は、色とりどりに色付いた紅葉の写真だった。まだ緑の葉もあり、黄色くなりつつある葉もあり、また完全な紅に染まった葉もあった。その葉には無数の朝露が光り輝いていた。 『うちの庭の紅葉も色付いてきたよ。綺麗だろう?亜由美は今何してるんだろうな。辛いことがあったら、いつでも帰ってきなよ。俺はずっとここにいる。遠い空から、お前の幸せ、祈ってるからな』 胸が締め付けられた。この人の思いは、亜由美さんには届いていないことを思うと、罪悪感にしめつけられる。どうして彼女は彼に次の引っ越し先を知らせなかったのだろう。  そして、その手紙は一か月ごとに続いた。季節の移ろいがこちらより早いところから、どうやら東北以北からと思われる。彼の名前は、津田 正樹。住所はいつも書いていないのでわからなかった。消印もいろんなところからなので特定はできないが、いずれも東北の町には違いなかった。  いつしか私は、その見知らぬ津田正樹からの手紙を心待ちにしていることに気付いた。最初に感じた罪悪感はとうの昔に薄れ、まるで彼が遠くに住む自分の恋人のような妄想を抱きながらその手紙を待っていたのだ。  ところが、半年後、その手紙は途絶えてしまった。私は心寂しく思った。インターネットで津田正樹という名を検索してみた。数々の人間が検索にヒットしたが、どれも彼ではない。 「何やってるんだろう、私。」 そう、あれは私に宛てられた手紙ではなく、彼が愛しい彼女に宛てた手紙なのだ。それでも、彼の人柄に、手紙越しにとはいえ触れ、私は彼に特別な感情を抱いていたのかもしれない。せめて、彼の思いを、彼女に伝えてあげたい。  私は、前田亜由美についても、検索してみたが、これが不思議と一つもヒットしなかった。まあ、若い人の全てがSNSを利用しているとは限らない。数日間、そういう不毛な作業をしていると、津田正樹の名で一つだけヒットした。  それは随分と更新されていないSNSだった。これが彼のものかどうかの核心はない。しかし、その自己紹介の欄には住所があった。その住所は、東北のとある市の住所であり、私はもしかしたらという淡い期待にソワソワした。  手紙を出してみようか。このSNSは随分前の更新で止まっているから、おそらく放置されているのだろう。それならば、手紙を出したほうが、早いのではないかと思った。誤って手紙を読んでしまったことを謝罪し、自分が前田亜由美でないことを伝え、前田亜由美はここから引っ越したことを伝えてあげたい。私は自分の名を伏せて、彼に手紙を書いた。  彼に初めて返事を書くことに、私は、自分が前田亜由美でないのにドキドキした。 『はじめまして。 差出人不明の手紙が届いたことに驚かれたことと思います。 名を伏せたご無礼をお許しください。 もしも、人違いだったら申し訳ありません。 あなたの知人に、もしかしたら前田亜由美さんという方はおられますでしょうか。 私はその前田亜由美さんが住んでいたアパートに引っ越してきた者です。 もしも、あなたが前田亜由美さんにお手紙を出しておられる方でしたら、お伝えしたいことがあります。 前田亜由美さんは、お引越しされています。ですから、この住所には不在です。 誤ってあなたの前田さん宛ての手紙を開封してしまい、読んでしまいました。 本当に申し訳ありません。 本来であれば、もう少し早くあなたにお伝えしなければならなかったのですが、差出人のお名前しかわからずにお伝え出来ずにいました。まことに失礼ながらも、私はあなたのお名前で調べさせていただき、ようやくこの住所へとたどり着きました。 もしもこの手紙が見当違いであり、人違いであるのなら無視して廃棄してくださってかまいません。ただ、あなたの亜由美さんへの思いを読んでしまうと、亜由美さんから返事が来ないことに不安を感じられるといけないので、お手紙いたしました。』 これで、彼からもう手紙がくることはないのだと思うと一抹の寂しさを感じたが、これでいいんだと自分を納得させた。  そうは言いつつも、私はつい気になって、津田正樹のSNSを、手紙への反応があるのではないかと、妙な期待をして覗いてみた。更新はあった。そこには、思いもよらぬことが書いてあった。 「誰ですか?」 題名にドキっとした。彼は怒っているのだろうか。 そこには、私の書いた手紙の画像が添えられている。 「どうしてこんな悪戯をするのですか?  弟の死を何だと思ってるんですか?  振られた女の名前まで知ってるってことは、弟の知人ですよね?  弟は一年前に亡くなりました。  弟はこの女のために自死したんです。  この手紙を送った人、絶対に許せません。  もう二度とこのような悪戯をしないでください。  このアカウントは消します。」 私は愕然とした。 津田正樹は一年前に死んでいる? では、この半年間、手紙をよこして来た人間は誰なのだ。 郵便受けの蓋があけられ、コトリと郵便物の落ちる音がした。 私は、玄関に向かい、ポストの郵便物を取り出し、差出人を見て、小さく悲鳴をあげた。 そこには、津田正樹と記名されている。 震える手で、封を切る。 「やっと返事をくれたね、亜由美。」 白い便せんに一言。 私は恐る恐る、インターホンのカメラを点け目を向けると、そこには今、手紙を投函したと思われるものが立っていた。 郵便配達員ではない誰か。 見知らぬ男性が、満面の笑みをたたえてこちらを見ている。 ピンポンとチャイムが鳴らされた。 私の心臓は跳ね上がった。私が動けずに固まっていると、またチャイムが鳴らされる。しまった。たぶんインターホンのカメラで確認した時に、ライトが点灯して中に居るのがバレてしまったのだ。 「亜由美~、居るんだろぉ~?無視しないでよぉ。開けてくれよぉ、亜由美~。」 私はパニックになった。 手紙で私が亜由美でないのは伝えたはず。 なのに、何故?しかも津田正樹は死んでいるはず。 じゃあ、あのSNSの書き込みも本人の自作自演? 怖くて仕方ないけど、何とかしなくては。 「私は、前田亜由美さんではありません。前田さんのあとに引っ越してきたんです。」 震える声でインターホンを通じて、彼に伝える。 「嘘こけぇ、亜由美~。俺ぁ、騙されねっど~。他人のふりさしてもダメだぁ~。」 始終その男はニヤニヤして、執拗にチャイムを鳴らし続けた。 私はたまらず、警察に電話した。 するとその気配を察したのか、彼は 「また来っからなぁ」 と言い残して画面から消えた。 警察官がその後訪ねて来た時に、私は経緯を説明した。 数日後、また警察官が私の部屋を訪ねてきて、驚くべきことを伝えて来た。 津田正樹は、本当に亡くなっていて、あのSNSの書き込みも彼の姉が実際に書き込んだものだと言うのだ。 では、あの訪ねて来た男は誰なのだろうか。 玄関のチャイムが鳴らされた。 「亜由美~、また来たどぉ~。開けてくれ~。お前の顔さ、見してくれよ。」
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