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玄関のインターホンが鳴った。同時に連動しているタブレットが起動する。
「どなたですか?」
僕がタブレットに答えると、相手は認識IDをセンサーにかざした。ピッ、と読み取り完了の電子音が鳴る。
『こういう者ですが』
ディスプレイを見ると、特殊認識IDの赤い表示が出ている。
来客認識システムの認識IDには何種類かある。普通の客はその場で発行される一回限りの簡易認識ID、約束のある客は日時制限のある予約認識ID、運送業者などは会社単位で発行される法人認識IDといった具合に。どの来客を通しどの来客を弾くかは、認識IDの種類ごとに設定が出来る。
その中で、警察庁や国税局などに発行されるのが特殊認識IDだ。捜査や監査などの権限を持つ者に発行される認識IDで、場合によってはセキュリティレベルに関係なくロックを解除出来る。
ディスプレイには「M県警 中央署 捜査課」の文字が表示されていた。僕は急いで玄関のロックを解除した。
「どうも、お忙しいところ済みませんねえ」
入って来たのは、風采の上がらない感じだが、妙に愛嬌のある笑顔を浮かべた小柄な男だった。刑事は警察官専用の携帯端末を取り出し、ディスプレイに身分証明書を表示させた。警部補という文字が見えた。
「私、中央署捜査課の名越と申します。酒巻雄一さんでよろしかったですね? 手紙作家の」
「作家だなんておこがましい。僕はただの代筆業者ですよ」
手紙作家。僕のこの肩書は、最近は僕自身を縛り付け始めているようにも感じる。
「いえいえ、手紙をアートの域まで高めた方だと、評判はおうかがいしておりますよ。……よろしければ、お仕事場を見させてもらってよろしいですか?」
「ええ、いいですよ」
「どうもどうも」
刑事はにししし、と奇妙な笑い方をした。
「ほう、これは壮観ですなあ!」
僕の仕事場を見て、名越刑事は感嘆の声を上げた。
ずらりと並んだストッカーには紙の種類、色、縦書きか横書きかによって分類された便箋がしまわれている。中には透かしの入ったものや模様の入ったもの、イラスト入りのものもある。
戸棚にはペン、万年筆、筆などの筆記具の数々が。本棚には国語辞典や漢和辞典、類語辞典といった各種辞書の類が。
「まるで文房具屋だ……いや、今時文房具屋でもこれほどの品揃えはないでしょうな」
デジタルが発達した現在、文房具というものはほとんど趣味として使うものになっている。文章はもちろん、マンガやイラスト、製図などもすでにほとんどがアプリでの作成だ。
学校でも、昔はランドセルに重い教科書を詰め込んで運んでいたそうだが、今は教科書もノートもタブレット一つで事足りる。保護者への通知などはスマホに一斉送信されるので、プリントという存在もなくなって久しい。
そんなわけで、文房具を使うのは趣味や職業でわざわざ使っている者達が主流だ。その中でも、こんなに揃えているのは本当に僕くらいだろう。
「手紙を送る人、受け取る人、伝える内容によって便箋も筆記具も変えているんですよ。それぞれのシチュエーションにぴったり合うものをと探していて、気がつくとこうなっていました」
「なるほど、こだわっていらっしゃるんですなあ」
「手紙は、心を伝えるものですから」
それが僕のポリシーだ。手紙を一通書くのにも、依頼主と何度も面談をして、伝えたい事柄をつかんでからでないと書かない。文面はもちろん、字面からでも依頼主の伝えたいことが感じ取れるように、言葉も表現も充分に吟味する。
刑事は机の上にあった白紙の便箋を一枚手に取り、光に透かして見た。
「こちらの便箋は、酒巻さんのオリジナルですか?」
「はい。紙から作らせてます」
書きやすさも読みやすさも極上の、僕の自慢の紙だ。
刑事は便箋を元の場所に置くと、部屋の片隅に目を留めた。
「あれは? ドローンですか?」
「はい。配達用のドローンです」
「配達までご自分でされるんですか?」
「手紙は伝えることが重要ですから。今は個人事業者でも配達ドローン免許は取れるんですよ。小さいですが、10kgまでの荷物は運べますし、自律AIを搭載しているので、目的地の設定さえしておけば自分で行って帰って来れますし、遠隔操作も出来ます」
興味深そうにドローンを見ている刑事に、僕は声をかけた。
「ところで、刑事さんはどうしてこちらに……?」
「ああ、失礼。──資産家の町田和真さんが殺害されたのはご存知ですか?」
「はい、ネットニュースで見ました」
町田は僕のスポンサーの一人だ。商機を読むのに敏く、投資や事業への融資で巨額の富を得た男だった。最近は現代アートを中心とした文化事業への出資も始め、その恩恵を得た一人が僕である。
「町田さんからもお手紙の依頼を?」
「いえ、町田さんは手紙自体には興味はないようでした。あの人は、『手紙を書く』『手紙を送る』という行為自体をアートとして面白がっていたようです。ご自分が手紙を出そうとしたり、受け取ったりということはありませんでした。……僕に『手紙作家』という肩書をつけたのも、実質的にはあの人ですよ」
町田に手紙への愛があったかどうかはわからない。町田にとっては、僕の手紙もただの投資対象だったのだろうと思う。
「なるほど。……これは形式的な質問ですが、一昨日の夜10時頃、どちらにいらっしゃいました?」
「その時間は、ここで仕事をしていましたよ。とは言っても、この家には僕一人しかいないので、アリバイにはなりませんね」
「いえいえ、あくまで形式的なもんですよ」
にしししし。この小男の笑い方は妙に気にさわる。
「──ああ、そう言えば酒巻さんは、『渡辺』という人物をご存知ですか? 町田さんの関係者で」
「渡辺ですか? ああ、町田さんのご友人の方ですね。なんでも、たびたび借金を頼まれていたとか、町田さんがぼやいてましたよ」
「ほほう」
名越刑事は、携帯端末に何やらポチポチとメモっている。
「いやあ、実はですね、町田さんの殺害現場は自宅なんですが、被害者が倒れていたデスクの陰の、見えにくいところに血で『渡』と書いてあったんですよ。関係者を洗ったところ、渡辺の名前が上がりまして」
「……そうなんですか」
「この事件、色々妙なところがありましてねえ」
刑事は思わせぶりに言った。
「現場から持ち去られていたんですよ──床掃除用の小型ロボットがね」
掃除用ロボット。僕はちらりと床に置いたままのダンボール箱を見た。町田の家にあったロボットは、ちょうどあの大きさだ。
「それは……犯人が持って行ったんじゃないですか? 自分の痕跡を掃除させてから、足がつかないように」
「そうですな、我々もそう考えています。現場にはホコリ一つ落ちていませんでしたから」
僕は思い出す。ちらちら散った紙吹雪、それを吸い込んで行く小さな機械。それは僕の絶望そのものに他ならない。
「ちなみに来客認識システムのデータは消されていましたが、どうも何処かの運送業者のIDが使われた形跡がありまして」
「ハッキングでもしたんでしょうかね」
「来客認識システムも、これで結構脆弱ですからね。ただうちのサイバー担当によれば、運送用の法人認識IDを持っている者なら、ゼロからIDを偽造するより書き換えが容易らしいです。……まあ、渡辺は運送業で働いていたことはないとのことですが」
名越刑事はにこやかな顔を崩さない。
「何よりもおかしなことは、先程も言いましたデスクの血文字でして」
……え? 僕は思わず刑事を見た。どういうことだ。
「字が書けない筈の被害者が、どうやってあんなものを残せたのか、とね」
字が……書けないって?
僕が口を開こうとした時、名越刑事の端末のアラームが鳴った。
「おっと、本部への連絡の時間だ。すみませんねえ、外回りをしてる時は定期的に連絡入れないといけないんですよ。長居をしてしまいましたし、また改めておうかがいいたします。では」
一方的に言って、名越刑事は部屋を出て行った。僕は一人、仕事場に取り残された。刑事が中途半端に語った言葉にかき乱されたままで。それが本当なのか確かめたくて、いても立ってもいられなかった。
──もしそれが本当なら、僕のしたことは足元から崩れ去ってしまう。
僕は思わず、刑事の後を追っていた。
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