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いかに嫦娥の女官であったとは言え、おいそれと天帝に目通りなど叶うものではない。
否、玉座に近付くことはおろか、本来ならば、王宮にだって入ることの出来ない身分だ。
父の従者に変装してなんとか宮城の門はくぐり、その後は、自分も実際に行ったことはないがという父に聞いた道筋を頼りに、広い王宮内を駆け抜けた。
無鉄砲の極みだが、天は珠玉に味方したらしい。見咎め、呼び止める者は、いなかった。
「姫様が仙薬を持ち出したのは本当だし、それはお返ししなきゃならないと言うなら、仕方がないわ。だけど――」
父にも、母にも、こればかりは口が裂けても打ち明けることが出来なかったが、珠玉はもう一つ、固く心に決めていることがあった。
「いくら姫様が、自分は不老不死など望まないと、そんなことよりも、下界では今、大変な疫病に人々が苦しんでいる。人間ならばほんの一舐め程でも命が助かるのだから、この薬を細かく砕いて分け与えれば、多くの民を救うことが出来る筈。どうか、万民をお助け下さいませと頼んだのに、あの野郎はちっとも耳を貸さなかった。それどころか、姫様を閉じ込めて婚礼の日取りを早めようと画策したりしたわ。それで仕方なく姫様は、仙薬を持ち出して逃げたのよ」
嫦娥は、仙薬を持って下界へ降り、疫病を癒やして数多くの人間の命を救ったのだ。
「姫様は、決してご自身の美しさを永らえようつもりで仙薬を持ち出したんじゃ無い。ご自身はひとかけらだって飲んでなんかいないのよ。それなのに、あんまりよ。この分からず屋のくそじじいっ!」
けれど、ひとたび天帝の口から発せられた言葉は取り返しが付かない。もう、決して翻すことの出来無いものなのだ。
だから――
「だからせめてどうか。醜い蟇蛙の姿は、あたしが代わりに引き受けます」
天帝は、やや目を眇めるようにして、突然闖入してきて威勢良くまくし立てる少女の姿を眺め、表情も変えずにしばらくは黙って聞いていたが、やがて、
「騒々しい小娘じゃ。少し、その口を閉じておれ」
重々しく言われた途端に口が聞けなくなってしまったばかりか、なんと真っ白でふわふわとした毛玉のような姿に変じていた。
「望み通り月へと送ってやろう」
パン、と天帝が両手を打ち鳴らすや否や珠玉は眩い光に包まれ、そしてやがて、光と共にその姿は薄らぎ、跡形もなく消えてしまったのである。
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