16人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
「それがさー。嫦娥様が落として行った羽衣を使ったら、羽みたいに体が軽くなって。いやぁ、あれは最高だった。で、そのままふわりふわりと天帝の御前へ直通さ」
のほほんと答えて蛙は、けろけろ笑った。
「まさか。いくら羽衣があったって……」
人間が、おいそれと飛べるわけは無い。普通は、空高く浮き上がった所で墜落し、地面に激突して一巻の終わりだ。
「あー、実はちょっとだけ、仙道の修行をしたことがあったんだよね。それこそ空が飛べたら楽しそうだなとか思ってさ。まあ、わりとすぐに破門になったんだけど」
仙には三種類ある。
天界で生まれ育った珠玉のような、生まれながらの天仙。元は人間ながら、后羿のように天帝に許された者や、天仙と契りを結び西王母の祝福を受けた者がなる地仙。そして、厳しい修行の末に神通力を得た、人仙である。
その修行の厳しさは並大抵のものではないと聞くし、人間には仙骨のある者と無い者がいて、どんなに修行を重ねても、仙骨が無ければ仙にはなれないらしい。
半端な修行でも天界へ辿り着けたところをみると、おそらく彼には仙骨と、持って生まれた素質のようなものがあったのだろう。
「ともかく。嫦娥様には親兄弟の命を、助けてもらった恩があるからな」
はっとした。
「じ、じゃあ、あんたが姫様の代わりに――」
珠玉とて、訳も分からず嫦娥の宮殿を追われて家へ帰された後、間なしに行動に移したつもりであったが、捕らえられ、天界へと連れ戻される嫦娥を追って、すぐさま羽衣で天へ駆け上った人間の男の方がはるかに早く、目的を遂げたのだ。
真っ先に馳せ参じて、呪いを我が身に、と思っていた。
もし先んじていたなら自分がこんな姿にと思うと身震いが出るが、それでも、負けた……という思いも、多少はある。
だから、一応は敬意を込めて、幾分、言葉と態度を改めた。
「あたしは珠玉よ。嫦娥様の女官をしていたの。姫様のお側にと天帝に願ってこっちへ来たのよ。あなたは?」
「俺のことは……まあ、桂とでも呼んでくれ。嫦娥様も、そう呼んでくださる」
下界の唐の国では木犀のことを桂と呼ぶ。
天帝は、箸のような小枝を彼に渡し、この木が月を埋め尽くすまでは赦されぬと仰せられたらしい。
じじいのことだから、蛙と桂の旁が同じであることを懸けて、洒落ているつもりに違いない。
けれど、木犀は花にも実にも薬効があり、殊に香りの素晴らしい桂花は仙薬に欠かせぬものだ。挿し木も容易だから、そうして仙薬作りを助けよということなのかも。
最初のコメントを投稿しよう!