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エスト
冬のさざなみに家出少女の風采は似合う気がした。
ある寒い日の午後。薄晴れの空と穏やかながら重たい海とが傍らの砂浜に打ち寄せ、砕ける。輪郭を忘れた雲は限りなく引き延ばされ、浜辺の波が白い泡を攫って行く。そも、空も海も本当に青いのか判然としない。黄味帯びの空、鉛混じりの海。潮騒を奏でる砂浜だけ白滑石を交ぜた様に明るい。こんな景色に似合う衣装の事を思う。態々取り揃えた訳ではない。が、海岸線を歩くセーラー服の自分は、まるで誂えたみたい。
先ずは形から。黒セーラー。胸の前で結んだスカーフの色は赤、襟には白の平ライン。スカートはキチンと膝上丈、合わせて黒のハイソックスと濃茶のローファー。コートはベージュの、大きめのフードの付いたダッフル。
潮風に長い髪がなびく。少女は掛け慣れない赤縁眼鏡を掛け直した。
耳に聞く波の音に合わせ歩いてみる。と、スカートの裾を蹴飛ばす程大股になった。それにも直ぐ飽きて、歩幅は細やかに戻る。
この道を、大海を渡る一本道、と、そう言っては大変だけれど、そんなに間違ってもない。右手に冬の海、左手にコンクリートの平野。細い枯草の列がなびく海辺も、コンクリートの平野も、甲斐も果てもない点は一緒。
但し、平野の方は未だ見所がある。午後の教室。授業中の生徒みたく行儀良く整列する黒い塊がある。
その丸っこい塊は殆ど原型を留めていない。が、車輪は残っていた。元々は車らしい。ズラリと、灰色平野に居並ぶ塊の向こうには、弧を描く高速道路の残骸が見える。ひしゃげた支柱を下敷きに地に伏す道路は、子供の悪戯で壊れた模型にも見える。
伊達眼鏡の奥に控えた少女の瞳は、暫くは道路のカーブを眺めていたけれど、やがて移ろい、遠く、正面にある別の模型を捉えた。
今は、あの、大きな観覧車が目印。
少女は海岸線を真っ直ぐ歩いた。
海からの風が身体に纏い付いて、頬を撫でては去っていく。取り分け膝頭の辺りに絡む冷気はしつこく、白い肌が引き締まる。それでも眉一つ動かさず、両足は動かし続けて、静かな渚を横切れば、模型と思った観覧車も段々大きく、本物に近付いていく。
と、前方、未だ遠い観覧車の足下に建物が現れた。金網のフェンスに囲われた、白い箱の様な建物。
右に潮騒を聞きつつ、少女は海岸線を左に外れて土手を下り、コンクリートの平野に降り立った。海の気配が遠退く。此処は鉄錆の匂いが濃い。黒い塊が原因だろう。
少女は眼鏡のテンプルを摘まんでパッドの位置を整えた。
砂や海水が掌からサラサラと零れる様に、海辺は何もかも穏やかに壊れている。白い四角い建物の壁は汚れ、茶とも赤とも付かない色が根深く染み着いている。窓は悉く砕け、室内で柱でも折れたのか、一部は全く潰れ切っている。
しかし、そんな建物の内でも、正面にそびえる一番大きな構えは割合無事な姿を保ち、他の壊れた箱に埋もれる様にしていた。
少女は手前の、建物を囲むフェンスを見やった。そうして金網の一端が大きく破れているのを見付けると、身を屈めその抜け穴を潜った。破れ目は大きく、コートのフードを一度引っ掛けただけで、容易く通り抜けてしまう。
敷地内にて上半身を起こす。悪い事をした際の高揚もなく、少女は普段の無表情を浮かべた端整な顔を正面へ向けた。
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