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遠く、向こうに霞む水平線の方へ、視線はつい引き込まれる。ズット奥迄広がる青い青い夏の風景。眼下の海は群青を湛え、空は淡く澄み渡っている。輪郭のハッキリした白雲は風に流され、滑る様に海の上を渡る。足下からせり上がる波の音。白い波は防波堤にぶつかり泡となって、海に還る。
そんな海と空の交わる彼方、水平線は熱気にぼやけ、白む。その朧な境界を、立ち止まった儘、一人眺めている。彼女は間もなく菫色の瞳を正面に戻すと、再び防波堤の上を歩き出した。足の裏に伝わるザラザラとした感触。彼女は裸足だった。
塩気を含んだ風が、少女の柔らかな頬と未成熟な身体を包んで、伸びた黒髪と、朱色のワンピースのスカートを、ふわり、舞い上げる。両腕を広げる。帆を張る船の様に潮風を受け取る為に。
強い日射しに、襟のあるワンピースの朱色と、白く丸い肩、その付け根から滑らかに伸びる腕。両手にはサンダルが提げてある。艶っぽいエナメル製の、緋色のサンダルを、灰色コンクリートの地面にカランと落とす。サンダルを履いて、それから波に削られた防波堤の縁に腰掛けて、飛び降りる。
そう高くない地面に着く。それからしゃがみ込んで、サンダルの紐を足首に結び付けて、それからゆっくり身体を起こし、顔を上げた。
砂礫の島。
正式な呼び名は知らないけれど……。
海に浮かぶ名も知らない島を眺める。
今いる場所は三方を防波堤に囲まれた広場。きっと昔は此処も広場ではなかったのだろう。今も「広場」と呼ぶのは相応しくない。コンクリートの荒野……追憶は灰色の瓦礫となって崩れ、剥がれ落ち、風雨に晒され岩となり、足下に沢山転がっている。
建物は、遠くのものも、近くのものも、全て洞、今猶残っているものは少ない。地面に散らばるゴツゴツした灰白色の岩は、嘗ての建物の成れの果て。こうして一塊の岩になっているものと、洞ながら四角い建物の形を保っているものと、見比べる。少女の大きな瞳は、空と同じ透明度で静かな世界を眺めていた。
夏の熱射は音のない島をジリジリ灼いている。大きな雲の影が頭上を過ぎり、束の間、強い日射しを遮る。と、空が青かった事を思い出した様に、彼女は歩き出した。
雲の影が通り過ぎ、太陽が顔を出す。白いコンクリートは日光を強く照り返す。眩しい。瞳を細める。近くにたった一つある建物の残骸、その屋根の下へ、彼女は逃げ込む。
と、一段と静かになった気がする。ボロボロの壁も潮風は防ぐらしい。影の形は壊れた建物その儘の輪郭を映す。鉄筋が露出した壁。触れれば僅かにヒヤリとして、かと思えば忽ち体温と同化する。刹那の冷たさを求め、身体をピタリと壁にくっ付ける……やっぱり何も聞こえない。
彼女は壁から身体を離した。
内部をよく見ても、一体此処が何の建物だったかは判らない。どうにか壁が残っているけれど、建物の形を保つのもやっとな残骸。その小さな屋根から抜け出す。んっと、太陽の下で背伸びする。
彼女は改めて島の内陸を眺めた。
見えるのは空っぽのマンション群ばかり。その灰色の群れが、四角い山岳の様に重なり立ち並んでいる。
けど、そんなマンション群の合間から小高い丘が覗いていた。緑に覆われた丘が。其処には、玩具みたいな白い塔が建っている。
元々、当て処もなく歩いてただけ。なら、あの可愛らしい塔を目指しても良い。
彼女は歩く。重苦しい要塞の方へ。
朽ちた建物に近付いて行く。と、足下の瓦礫に赤い煉瓦が混じり始めた。迷路の入口は防波堤とマンションに挟まれ細長い。その先は更に狭い。マンションの間を縫う様にして伸びる階段、その最初の数段はスッカリ崩れている。
階段に隣接する左側のマンションを覗けば、入口から灰色の廊下が続く。日中でも薄暗いコンクリートの色合いが、夏の日射しすら寒々しい青色に変えている。
反対、右側に建つマンションは損壊が激しい。崩れた箇所から瓦礫に埋もれる明るい中庭が見える。瓦礫の合間から若木が伸びて、日光を浴びている。昔は此処にも人が住んでいた。規則的に並ぶ窓の一つ一つに人の暮らしがあった……。
そんなマンションの隙間にある崩れた階段。その手前には、崩れた階段の部品らしい岩やら煉瓦やら、よく判らない大きな鉄の支柱やらが散乱している。
この、何かよく判らない鉄の支柱を、少女は足場にした。
どうにか這い上がった階段は、くの字型に伸びている。そそり立つ壁の様なマンションの狭間に、朱色のワンピースが潮風を受け揺蕩う。手すりは鉄の匂いを手の平に移しつつ、ハラハラと錆を剥がす。グラグラと不安定に揺れるその手すりを掴み、少女は石の階段を上がって行く。
階段を上り切る。と、細道は未だ続いた。が、進めなかった。道は廃材に埋もれていた。マンションから剥がれ落ちた物々だろう。角材の群れが、停止した土砂崩れの様に、此方に迫っている。
少女は辺りを見回した。
足下に生える雑草、硬い地面の僅かな皹割れから生える逞しい雑草達は、道を細く切り取る石積みの壁にも蔦を伸ばし、礁の隙間を伝って、上へ上へ、這い上がっている。
その岩礁の手前にある、壊れかけた建物の中へ、彼女は迷わず向かった。
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