イド

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 電紙の上で瞬く黒文字はこれで終わっていた。  少女は視線を上げた。震える硝子に触れ、部屋の奥を見やる。仕切りの向こうには“FOMI-AR-F03”と刻まれた球体がある。 「帽子、拾ってくれて有り難う」  抑揚の乏しい声で呟くと少女は硝子の仕切りから手を離し、言葉の余韻が切れぬ内に踵を返して部屋を出た。  十字路迄戻ると、正面に『バックヤードツアー出口』の案内が見えた。リノリウムを柔らかく踏んで真っ直ぐ歩けば、床はカーペットに変わり、踏み心地も一層柔らかくなる。壁に貼られた矢印の前も過ぎ廊下を抜ければ、ドーム型のホールに着き、プラネタリウムの様な丸天井を少女はやおら見上げた。青く塗られた天井は青空とも水面とも付かない。  広々としたホールには色々なものが揃っていた。薄暗い通路と繋がる右奥には土産物屋が構えてあって、ヌイグルミが溢れんばかりに陳列されている。青やピンクのイルカ、色取り取りの熱帯魚、変わり種ではサンゴ等が、解れたフェルトから綿を零しつつ棚の上に収まっている。レジ周りの台にはホオジロザメを模したクッキーやチョコレート、煎餅の缶が売られていた。  顔を反対側へ向ける。ホールの左奥にはショーケースが設けてあり、その中にはハンバーグやカレーやスパゲッティのサンプルが飾られている。レストランだろう。店先には立て看板風のディスプレイが倒れていた。  そうしてレストランの向こうには暗闇を透かす自動ドアが見えた。  出口……そうと判るより早く、少女の足は自然と其方へ向かう。  と同時、周囲が不意に明るくなった。  少女は歩を止め、俄に辺りを見回した。ホールにあるディスプレイ、その全てが点いている。土産屋に置かれたレジのディスプレイ、レストランの店先で倒れる立て看板、壁や柱に埋め込まれたディスプレイも全部。  どの白い画面にも、青と水色の二色で塗り分けられた歯車と、『ありがとうございました』の文字が表示されている。が、映っていたのはほんの一、二秒の事。その後直ぐ、ふっと、今度は全ての灯りが消えた。  真っ暗闇。これが本物のプラネタリウムなら、やがて天井に宇宙が描かれる筈。しかし、いくら待っても星座が結ばれる事はなく、何も見えない闇中に少女は沈み込む。カーペットの水色も、ヌイグルミのあどけない色合いも、照明も、火災報知器の赤灯も見失う。黒い布を被せられた様な、そんな場に、か細く、銀色の灯りが差し込んでいた。  一縷の灯りに少女は夜の魚が如く引き寄せられる。銀の色合いは、近付けば近付く程寒さが身に沁み、そうして掴んだと思えば、少女は外にいた。  其処は不思議な場所だった。  開けた空間を見渡す。ひしゃげた鉄筋が夜空に喰い込んでいる。崩落したドーム天井から舞い込んだ枯葉の絨毯に、氷河を思わせる一面の雪が薄く積もった景色は、落葉に白銀の衣を被せている様。  此処は元々観客席らしく、枯葉と雪で覆われた扇状の座席の中心には、舞台代わりに凪いだ海があった。海と言っても、規模からすれば湖に近い。けれど、確かに潮の香りがする。  雪化粧の真ん中に空いた藍色の水面には、イルカショーに使う様な銀色のボールが一つ映っている。もう一つ、ボールは空にも浮かんでいる。水面と夜空に照る双子の月を見ながら、少女は一つ、白い息を吐いた。
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