砂礫の島

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 少女は地面に降り立ち、海の香りをたっぷり含んだ風を思い切り肺に入れてから、足を北へ向けた。  白い灯台を離れて直ぐ、窓一つない建物の脇を長々歩く事になった。大きいだけの、四角いセメントの塊が捨ててあるみたいだ。丘の(ふち)に横たわるそれは、雑草の中で死に、暑い青空に当てられて、くすんだ石の色が一層強調されている。丘の上にはこれ以外に残骸はない。唯一残されたそれは酷く寂しそうに眠っていた。  まるで青や緑から仲間外れにされているみたいに。  道は坂になって下る。孤独に暮れるセメントの土台は煉瓦で組まれている。その煉瓦を伝う錆びた送水管の脇を通り抜ける。  と、一際雑草の密集する場所に出た。獣道に沿って伸びる其処は草花の楽園。夏の日光を吸い取る為、雑草は好き放題に伸びている。  それら緑の合間から正方形に切り出された石が二つ生えている。綺麗な四角。きっと人工物。その足下には黒ずんだ材木が山と積み重なる。人の作った物が雑草に負けている。今迄何度も見て来た光景。これからもきっと見る。その機会が何度になるか、数える気にもならないけれど。  太陽が西に傾き始める。けど時間の意味なんて、空に太陽があるか、それとも月があるか、何の花が咲いているか、今はもうそれだけの事。  雑草に埋もれた廃材から彼女は瞳を逸らす。他にも、叢から不自然に飛び出た木材や、道端に捨て置かれた窯付きの白い洗い場等々が見える。  それらを横目に彼女は歩いて、坂道を下り切り、島の中央に差し掛かる。  と、少女は集合住宅に取り囲まれた。  道すがら出会した朽ち果て姿を失った残骸とは違う。此処より先の建物は殆どその頃の形を保っている。このマンションにしてもそう。四階建ての白いマンション。  入口を兼ねた階段から中を覗き込む。と、白と灰色に塗り分けられた壁が、延々折り返し階段と共に続いていた。踊り場には小さな窓と鉄の扉が見える。黒く錆び切ったその扉はピッタリ閉じられている。  閉じ切った扉の内側に何があるか……誰かいるかも知れない……そんな訳はないけど、開けなければ判らない。少しだけ期待する。  少女の足が自然と階段を上がって行く。白い階段に朱色のワンピースが躍る。途端、無機質な踊り場が華やいだ。  サラサラの手すりを掴み、それを支点にして細い腕を伸ばし、彼女はクルリと踊り場を回る。そうやって一階から二階へ、二階から三階へ上がって行く。  その途中、踊り場の壁、扉の上に貼り付く木の板が、視界の端を通り過ぎた。木板は配電盤らしく、ボロボロになった配線と端子が固定された儘、放置されていた。  三階に着くと、彼女はようやく鉄扉を開ける気になったらしく、ドアノブを握り、徐に回した。黒々と錆びた扉は、重々しい印象とは裏腹に、ギギィと擦れ声を上げながらも容易く開いた。  部屋に入る。御邪魔しますの一言も、エナメルのサンダルを脱ぐ事すらなく、彼女は玄関を上がる。  中は思いの(ほか)広かった。間取りは三部屋。頭上の板は失われ、天井を伝う(はり)や配線が露出している。配線の先、部屋の中央には割れた電球がぶら下がっていた。壁のスイッチを、パチン、パチンと、人差し指で上に、下に向けてみる。が、電球は点かない。それはそうか。少女はスイッチから手を離した。  玄関を上がって直ぐ右にトイレ、左に台所。日光差し込む台所の床一面に、ベニヤ板の破片が飛び散っている。ステンレスのシンクだけが光を柔らかく反射していた。  廊下を進む。トイレの先にもう一枚扉がある。扉の僅かな隙間から中の様子を窺う……薄暗い部屋の奥に、何か、石の(ます)の様なものが据えてある。  少女は少し考えた。あれは、多分、お風呂。  あんなに小さな浴槽で満足に身体を洗えるのか、疑問だけれど、彼女はアッサリ其処を通り過ぎ、欄間の抜け落ちた和室へ入る。其処も通り過ぎ、その儘ベランダに出る。  潮風を浴びながら欄干にもたれる。海一色の光景。南向きのベランダは切り立った丘の上に位置し、景観を遮るものもなく、島の南東と海原を見渡せる。  少女は欄干に手を着いて、やや前のめりに景色を見下ろした。南東部、この島で一番大きな空き地のある場所。其処には不思議な形の石が一列に並んでいる。あの形は見覚えがある。何と言うんだっけ……少女は少し考えた……そう、痩せぎすの、黒い、鳥居の様な石柱が、前倣(まえなら)え、一列に並んでいる。  巨大な石鳥居の連なる広場から、もう少し南の方へ視線を移せば、桟橋が見える。少女も彼処からこの島に上陸した。真新しい、壊れていない桟橋……其処からもっと南、群青の海を見れば、一条の白線が波を縦に割っていた。  あれは航路だ。白い尻尾の様に伸びる航路を追い掛ければ、遠くに小さく、群青の上を滑る一艇(いってい)のボートを見付ける。人の乗っていないボートは、自動操縦を続け、ひたすらこの島と向こうの大きな島とを往復している。  少女はあのボートに乗って、この島にやって来た。ボートは酷く揺れた。エンジンも変な音を立てていた。故障していたのだろう。直せる人はもういない。誰も。  延々、独りで海を繋ぐボート。故障したエンジンを抱えた儘ズット、定められた航路を往復し続けている。乗客もなく、黙々と。  少女は振り返った。やっぱり誰もいない。判っていた事だけれど。  ベランダから室内に戻る。和室の畳を踏んで廊下を引き返す。御邪魔しましたもなく玄関を出、階段を下りる。  そうして、飽く迄軽やかに無人のマンションを後にした。
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