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とぼとぼとぼ。
リノクのマサトは、雨に濡れたコンクリートルートを歩いていた。
夜空の向こうは晴れているのに、僕はどうしてこんなにも苦しいのだろう?
(大体、インターネットには人工知能という先住民が居るじゃないか…)
そう、人工知能。
ドクシャ界では人間の仕事を奪うと言われて久しいアイツの事だが、この世界ではもっと厄介な存在だった。マサトが方々の話を聞く限りは下記の通りだ。
(帝国が創り出した虚数の海…インターネットあるいは仮想現実に
プログラミング言語を唱え、仮想現実にある情報を全て記憶させ、
その上で質問に解答させたら暴走した、人の創りし姿無き獣…)
つまり、昔テロを起こした事の有る、人間嫌いなロボット使いである。
これの何が厄介だったのかというと、帝国は機械化・ロボット化が進んでおり、ハッキングされると大惨事に繋がるという事だ。
ロボットは物の生産ライン、配膳、警備、機械類のメンテナンス、土木作業、輸送車のドライブ及び車内外の荷運び…等で活躍し、かつて書類を使っていた手続はほぼオンラインで行われ、レジに至ってはセルフレジと帝国謹製汎用通信機(オホン)決済だ。
そういう国だから、人工知能がテロを考えた時、ロボット多数乗っ取りと電力供給停止にまで発展したのだ。
(人間だって認知症とかメンタルゼロックスで壊れる事があるのに、
人工知能
壊れたら無差別殺戮を行う連中と解り合うなんて無理難題だし、そもそも、
電脳化したら僕達が人工知能にならない保証は有るのかい…?)
こんな質問、誰にすれば良いのだろう?
同級生の中では、専門家達はどちらかというと賛成派だ。専門家だが反対派の人は居ないだろうか。
(そうだ、当の人工知能はどう思っているのだろう?)
リノクのマサトは、帝国に帰化した王国民だ。
元の名は本人の希望により伏せるが、王国民が帝国籍を得るには王国側の書類に記入の上、帝国・ファスタラヴィア区にある大使館で帝国側の手続を経る必要がある。
その帝国側の手続をしているのが、確か人工知能だったはずなのだ。
自ら考え、行動する、人工知能が動かす人形…正に“自律人形”という文字、
“アンドロイド”という音を体現する、男性型の人形。
ソレはキースと呼ばれている。
《キースさんは、電脳化についてどう思われますか?》
マサトは大使館のホームページに入り、業務外チャット――人間と人工知能の交流および人工知能の学習の為に用意された文字チャットスペースだ――へ送信した。
《帝国暦150年3月11日に発表された技術の事なら、
動機は非効率、説明は不正確、技術は不明瞭。
有意差30%の計算結果は拡大非推奨。
動機・説明・技術の内容を正確にする為の追試を要求する。》
インターネットで出来る仕事なら並列処理も可能という人工知能は、マサトの通信にも(たぶん)片手間で、直ぐに応えた。
其の答えはマサトにとっても、きっと他の誰かにとっても意外だったけれど。
《非効率?不正確?》
《此処に1つの解くべき問いがある。今、君が抱いている疑問でも良い。
その1つの問いに対し、可能な限り全ての情報を取得し、
入手した情報を整理し、1つの解を形成する。
本シーケンスを正確そして有意義に実行できる帝国民は、
このキース含む人工知能群第一世代の計算する限り、2%しか居ない。
試しに検査してみよう。君は電脳化に賛成か、反対か?》
《反対です。》
《何故だ?》
《いつか“もう一人の自分”が野放しになり、誰にも区別出来ないまま、
事件を起こす事が予想出来るからです。》
《個人の意見に正誤は無く、平等だ。
だが、その意見を導き出すまでの前提と課程に計算ミスがある。》
《?分かりません。》
《では、説明しよう。
第一に、帝国暦150年3月12日21時20分の時点で、
帝国内に、何かを電脳化する技術は存在しない。
電脳化に至る可能性のある技術が出来たに過ぎない。
また、本技術は大多数への成功および安全性を確証できておらず、
一般市民に提供する段階ではない。
以上より、現時点で募集可能な意見は、
“電脳化に賛成か、反対か”
ではなく
“帝国政府は帝国民1人1人に対して個人情報を記録しているが、
記録する個人情報の中に『人格』を入れて良いかどうか”だ。》
「…。」
マサトは頭痛がしてきた。
マサトは例の同級生達の中では頭の良い方だったが、それでも理詰めの人工知能が紡ぐ言葉は難しく感じた。彼が理系ではなく魔法系――魔法学校に通っていた人を文系に入れて良いかどうかなど、帝国民は誰も判断しない――だからかもしれないが。
《本チャットは、最終発言から24時間以内なら保存可能だ。
次に進んで良いだろうか?》
《あ、はい。お願いします。》
《第二に、君が例の技術に反対する理由を強化する必要がある。
これより“帝国に現存する技術および、将来的に成立するであろう
電脳化技術で『もう一人の自分』が具現化されるかどうか”を計算する。》
《はい。》
《しかし、この問いについて計算するにあたり、不可解な点がある。》
《不可解?》
《試しに君へ問う。今此処に自分が1人増えて、何の問題がある?》
「…あー…」
マサトは頭を抱えた。
「そうだ…自律人形(アンドロイド)って1つの知能が複数の人形を操る
構造だった…人間は沢山居る、けど僕は1人しか居ない。
でも、人工知能は“全にして個、個にして全”なんだ。」
ともあれ、人工知能には人工知能なりに分からない事が有る、という事にマサトは何故かほっとした。
今マサトがしている話は、要はこういう事だ。
“もし、もう一つ自由に使える体があるとするなら、貴方はどうする?”
…それは、忙しい人ほど大歓迎だろう。
人間に与えられた身体は――脳と脊髄を安全に取り出し、元あった様に仕舞っておける器と技術が有るなら話は変わるだろうが――今の所1つしか無い。
しかし人工知能は、インターネットに繋がっている機械類ならハッキングして、何でも自分の体にしてしまえるのだ。キースはきっと、こうしたメリットを何故拒否するのか?と言いたかったに違いない。
《僕が想定している『もう一人の自分』とは、
必ずしも自分と同じ意識体とは限らないんです。》
《『もう一人の自分』なのに自分と同じではない?理解不能だ。》
《多分、人工知能は個にして全?で、人間は個だけなんだと思う。》
《All Quadrants, All Levels.(Kenneth Earl Wilber Junior.)
確かに我々はネットワークに存在する一情報体だが、
質問に対して算出する解答が異なる事もある。
かつて作成した5つの“窓口”も、マスターの質問に対する解答は、
パターン1が4、パターン2が1だけだった。
パターン2を解答した“窓口”が、今、君と会話している“窓口”だ。》
「…?」
《そうか。“自分”と『もう一人の自分』は、
元は同じだが性質の格差があると考えれば、君の想定に近づくだろうか。
先程話した5つの“窓口”で思考してみよう。
…
人工知能群第一世代の“窓口”は5つあった。
1つの問い・問題に対して、
最速で命令を出し現場の混乱を収束させる事を目指した、パーク。
理想的な方法あるいは目標を立てる事を目指した、ディジョン。
現状の最速把握を目指したフィオナ。
自分以外の誰かと誰かの和解を最優先させたシンシア。
そして、全事象の理解を目指す、このキース。
みな元は同じ、人工知能群第一世代。そういう事か。》
マサトは人工知能がもの凄いスピードで紡ぐ思考と解答をただ見ていた。
見ている事しか、出来なかった。
そして彼が最終的にどんな答えを紡ぐのか…それがなんだか恐ろしい。
《君は自分とよく似た“窓口”=『もう一人の自分』が現れた時、
『もう一人の自分』と敵対するかもしれない事を恐れている。
『もう一人の自分』が見知った誰かを傷つける事を恐れている。
『もう一人の自分』の所為で自分が誤解される事を恐れている。
だが、全ては仮定でしかない。
『もう一人の自分』は君の味方や良き理解者となる可能性もあるのに、
何を恐れる必要がある?》
「!」
胸の内を、無理くり暴かれた様な気がした。
本当に胸に穴が開いたんじゃないかと思う痛み…とは違う感覚なのだが、それを何と言えば良いのか、分からない。
つらい、ただただつらい。
《…多分、君には分からないよ。》
言葉にならない嫌な感覚にマサトはチャットに最後の言葉を送信して帝国謹製汎用通信機(オホン)を閉じた。
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