第一章-5

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第一章-5

 連れていかれた先は、広い部屋だった。壁は黒で、白色の絵の具で精霊が描かれている。精霊はドレスの裾を優雅にたなびかせて踊っている。天井は白で、描かれているのは黒い精霊だ。こっちも踊っている。シャンデリアの弱々しいろうそくに照らされ、なんだか不気味に見える。  そんな精霊が見下ろす先には、象牙色の長テーブルとその周りに座す王族の面々がいる。  上座には三十半ばの、王冠を被った男。苦虫を噛みつぶしたような顔でアンナを睨みつけている。首から下は白黒のガウンと服。道化のような服装だ。  王の背後には、神官が二人立っている。顔はマスクで隠され見えないものの、階級の高い人物ということだけは一目で分かる。神官に操られる傀儡の王、という表現がぴったりな光景だ。  王の隣には、当然王妃が座っている。手前には三人の王子と二人の王女。彼らもまた白黒の服だ。白黒だらけでいよいよ滑稽だ。  しかし格好がいくら変だろうが、相手は王族で親族だ。アンナは真面目な顔でスカートの裾をつまんで挨拶をする。 「ご招待ありがとうございます。私はティルクス王国より参りました、アンナと申します」 「どうぞ、おかけください」  王妃が言った。アンナは空いている席に座る。そこは一番若い王女の隣だ。彼女の年齢は十前後といったところ。大きな丸い目で、不思議そうにアンナを見ている。  王妃は淡々と話し始める。 「私はローゼ。こちらは夫のシャミエルです。こちらは息子の──」  王はまだアンナを睨んでいる。彼は隣国のことがいたく気に入らないようだ。  王子王女も、彼らの父親ほどではないにしろ、白い目で見つめてくる。アンナはミアの言葉を思いだした。 (本当、何でお茶会なんか開いたんだか)  突然、隣の王女がアンナの髪をグイッと引っ張った。 「ちょっと、やめてください!」  王女はあっさりと手を離した。そして自分の手をしげしげと見つめ、 「塗ってあるわけじゃないのね」  全員がぷっと吹きだす。 (落ち着きなさい、私。怒るようなことじゃないでしょ)  アンナは深呼吸し、口を開く。 「初めまして、陛下。両国の同盟と友好の象徴として、力を尽くして参りたいと思います」  こういう場ではよく使われる社交辞令だ。しかしこれは嘘ではない。同盟が破綻したら、彼女の立場は更にマズいことになるからだ。最悪、ありもしない罪をでっち上げられ、処刑される。  王はますます笑いだす。 「は! 腐れ髪と仲良くする気などないわい!」  腐れ髪、とは黒髪の蔑称である。  アンナははらわたが煮えくりかえったが、その感情をお首にも出さず、笑顔のまま話す。 「そう仰らずに。この同盟は歴史に残るものとなるでしょう」 「ふん。お前に何ができるものか」  そこを突かれると弱い。 「私にできることがあれば何でも」 「ばーか、あるわけないだろう!」  アンナは両手をギュッと握りしめる。 (張り倒してやりたい)  隣の王女が、アンナのスカートの裾を引っ張った。 「とってもきれい。どこで買ったの?」  彼女は興味津々な目で服を見ている。 「故郷の服です」 「私にちょうだい」 「申し訳ないのですが、大きさが合わないでしょう」 「えー、欲しい!」  誰かこの駄々っ子を止めないのだろうか。アンナは目だけ動かして周りの様子をうかがう。しかしお茶やお菓子を黙々と食べるばかり。王にいたってはニヤニヤと意地悪い笑顔を浮かべてこちらを見ている。 (あー最悪。こんな王じゃ、神官の傀儡になるのも当然だ)  アンナは嘆息する。  その時、部屋の外から大きな足音が聞こえてきた。そしてドアが開き、男性が入ってきた。  体格の大きい男性だ。栗色の髪を後ろで束ねている。肌が日焼けしているので庭師か外回りの衛兵かと一瞬思ったが、赤色の文様が刺繍された長衣を着ている。これは南方の大学の制服だ。 「何しにきた! 貴様は呼んでないぞ!」  王が笑顔から一転、頬を膨らませて怒鳴りだす。しかし男は王の怒りなどどこ吹く風だ。 「何って、新しい親戚を見にきたに決まってるよ。貴女がディーロの奥さん? 初めまして、ようこそエレアに。私は第三王子、マイトです」  どこからか椅子を持ってきて、男はアンナの隣に座った。 「初めまして。アンナと申します」 「お噂はかねがね聞いております。ティルクスでは図書館長だったそうですね。一度お会いしたいと思っていたんですよ」 「小さな分館でしたが」 「ご謙遜なさらずに。史上初めて、市井の人々に開放した図書館でしょう?」 「ええ、まあ。みんな、本を読めばいいんじゃないかと思いまして」  これは建前だ。本音は、図書館の利用者を増やして入館料を徴収したかったのである。実際これは成功し、青色吐息だった分館の寿命は大幅に伸びた。ついでに、アンナ好みの本も入れることができた。 「やめろ!」  突然、王が怒鳴った。突然のことにアンナはビクッと肩を震わせる。 「あんな紙切れのどこがいいんだ! 読むだけ時間の無駄だ!」  魔物と見紛うほどの恐ろしい形相で怒鳴り散らす王。アンナは呆気に取られる。 「読んだら穀物が実るか? 馬車が走るか? そんなわけあるか! 読んでる暇があるなら身体を鍛えるべきだ!」  ドン、とテーブルを鳴らす。カップのお茶がこぼれる。  王妃やその子ども達は何も反応しない。死んだ目で皿のお菓子や壁を見ている。 「出ていけ! お前ら二人とも、出ていけ! この城から!」 「分かりました。アンナさん、私と一緒に参りましょう。おいしいケーキを出す店を知っているのです」  持ってきたばかりの椅子から立ち、すっと手を差しだすマイト。 「えっと、いいのですか?」  ここから出られるのは嬉しいが、本当に出ていって良いのだろうか。アンナは迷う。 「ええ。いいですよ」 「出ていけ!」 「ほら、父もああ言ってますし」  他の王族も反対しない。アンナはマイトの手を取った。マイトは彼女の手を強く握りしめ、部屋を出る。廊下にいたマオが止めようとするが、「夕方には戻るから」と言ってマイトはずんずん廊下を進み、階段を下る。 「あの、どちらへ行くのですか?」 「美味しいお菓子を出す店があるんですが、どうですか?」 「いいですね」  連れていかれた先は城の外だった。急な階段が下へと続き、その先に小さな馬車が留まっている。 「ここは召使の通路です。新しい家族の一員にここを通っていただくのは心苦しいですが、私は正面から出入りことを禁じられていまして。足元にお気をつけください」  アンナは慎重に階段を降りた。馬車の前で待っていた御者がうやうやしくドアを開ける。二人は向かい合わせに座った。  馬車は狭い門を抜けると、下り坂を走りだす。周りは建物ばかりで、人気はない。 「どうです? エレアは」  マイトはニコニコしながら尋ねた。アンナは彼の容姿がよく整っていることに気づいた。細長い目、筋の通った鼻、薄い唇。そんな彼が笑えば、それはもう魅惑的な笑顔である。 (この人はきっと愛人がたくさんいるだろうな)  一夫一婦制を神殿は説いているが、そんなのは建前。皆、愛のない結婚相手とは別に愛人を作っている──そんな、どうでもいいことを考えながら、アンナは適当に答える。 「素晴らしい国だと思います」 「いやいや、最悪でしょう、この国は。夫は部屋から出てこないし、王は無能だし、本はないし」  図星を突かれ、アンナはたじろぐ。 「昔は普通だったんですけどね。父が玉座についてからですよ、こうなったのは。父は昔から誰よりも熱心に神殿に通っていました。狂信的とも言えるほどね。  そして今や、完全に神官の言いなりです。法律も奴らの都合のいいように改悪されました。服装まで白黒にする始末です。本当に情けない。母や兄妹も何で唯々諾々と従っているんだか。弟は家に引きこもってしまいますし」  やれやれ、とマイトは肩を竦める。 「夫はどうして引きこもってしまったんですか?」 「ああ、貴女には言っておかなければなりませんね。  弟は昔から父と仲が悪かったんですよ。弟の内気な性格が、父は気に入らなかったのです。それで数年前、本の検閲を行う法律を作った時、弟の家庭教師を本の所持の罪で逮捕しました。すると弟は、ずっとあの部屋から出てこなくなりまして。それ以来ずっとあのままです」  アンナは何と言っていいか分からない。 (家庭教師が捕まった……だから引きこもったの?)  自分に置き換えて考えてみる。身近な人が逮捕されたとしたら。  アンナの背筋を薄寒いものが走る。 「そう、本の検閲──父が作った悪法の最たるものです」  マイトは吐き捨てるように言った。 「この国の本はぜーんぶ神殿を通さないと出版できないんです。少しでも神殿の教えに反したものは焼かれてしまって、著者は逮捕されるんですよ。僕の知り合いも捕まりました。絵描き歌の本を出そうとしたそうです」 「無茶苦茶ですね」  アンナは思ったことをそのまま言った。 「ええ。アンナさん、気をつけた方がいいですよ。父と神殿は元図書館長の貴女を警戒しています」 「それなら、何で私をこの国に招き入れたのでしょう」 「パルフィアの成長と脅威の前には仕方がないんでしょうね」 「そうですか……」  パルフィア頑張れ、とアンナは心の中で声援を送った。彼らが存在感を高めてくれなければ同盟を破棄されてしまう。  馬車の速度が落ち、ほどなくして停まった。赤レンガの小さな店だ。ドアの前に店員が立っていて、二人を温かく出迎える。 「ようこそいらっしゃいました。こちらへどうぞ」  通された先は、エレアに来てから入った部屋の中で最も素敵な部屋だった。どっしりとした、上質なオーク材のテーブルと、ふかふかのクッションが敷かれた椅子。窓にはレースのカーテンがかかり、強い日差しをうまく和らげている。壁にかけられたツタ模様のタペストリが上品な雰囲気をかもしだしている。  二人が座ると、すぐに料理が運ばれてきた。ウェーファだ。ウェーファは網目模様がついた焼き菓子だ。形も食感も店によって色々で、この店は八角形の形に、八角形の網目模様が刻まれている。ウェーファの横に、赤いジャムとクリームが添えられている。  マイトはウェーファを食べながら、大学で学んだことや研究したこと、哲学や科学について延々話した。アンナは適当に相槌を打った。
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