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第一章-6
夕方。アンナはようやく城に帰ってこれた。馬車から下りて階段を上っていると、マオがやってきた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。みんなは何してる?」
「表の馬車でお待ちしております」
「良かったら私が屋敷まで送りましょうか?」
アンナの背後に立っていたマイトが言った。すると、マオがくるりと振り返り、感情のない目でマイトを見た。
「その必要はございません。陛下がご用意してくださった馬車がございます」
「嘘をつくな。アイツがそんな親切なわけないだろ」
「しかし」
「うるさいな。決めるのはアンナさんだよ。貴様じゃない。立場を弁えなさい」
マイトは笑顔でピシャリと言った。
「大変失礼いたしました」
マオはあっさりと引き下がる。反省した様子はなく、指摘されたから嫌々下がったという感じだ。
「どうですか、アンナさん?」
アンナは間髪入れず答える。
「いえ、今日はマオの用意してくれた馬車で帰りますよ」
マイトは一瞬意外だ、と言いたげな顔を見せたが、すぐに笑顔に戻った。
「そうですか。お優しいのですね。それでは今日はここでお別れです。また会いましょう」
どうやらマオを庇ったのだと思われたらしい。それも無いわけではないが、本当の理由はさっさとみんなが待つ家へ帰りたいからだ。
マイトと別れ、アンナはマオの背中をついていく。やがて、朝ここに来た時と同じ入り口に着いた。行きと同じ形の馬車が停まっている。
西日が照らす中、馬車はガタゴトと家路を走った。
屋敷では、レース、ミア、ヨールが待っていて、口々に「お帰りなさいませ」と言った。彼らの顔を見た瞬間、アンナの心がふっと緩む。
「ただいま」
アンナは早速着替えに部屋へ戻ろうとし──その前に、ディーロに挨拶することにした。家に帰ってすぐに話しかけることで、少しでも好感度をあげようという作戦である。
部屋のドアをノックする。
「ただいま帰りました」
紙は出てこない。
「今日は王宮で王家の方々にお会いしました。マイト様とたくさんお話しましたよ。おもしろい方でした」
紙は出てこない。
アンナはマイトの言葉を思いだした。父親が家庭教師を逮捕してから引きこもったと言っていた。引きこもりの原因が父親なら、それを思いださせる王家の話はしない方が良い。
「それはさておき、今日はよく晴れていましたよ。町の広場では羊肉の串焼きが売られていましたよ。あれ、どんなお味なんでしょうか」
部屋の中からかすかな物音が聞こえた。返事が来るか、と色めきたった時、背後からふと、食べ物の臭いがした。
振り返ると、レオが離れた場所からこちらをじいっと見ていた。見られていた、という恐怖にアンナの背筋がぞわっと逆立つ。
「そこで何をしてるの、レオ」
思わず口調が強くなる。だがレオは眉一つ動かさず、落ち着き払って答える。
「殿下にお食事をお持ちしたのですが、奥方様が何かお話ししているのでお邪魔してはいけないと思い、待っていました」
「ならどうして足音をたてずに階段を上ってきた?」
「奥方様が会話に夢中になるあまり、聞き逃したのでしょう」
レオは盆を持って静かにやってくる。よく軋む床なのに、足音がしない。慇懃な動作で盆をドア窓の前に置く。そしてまた足音をたてずに帰っていく。
床下の窓が開き、紙が出てきた。
『帰れ』
走り書きでそう書かれている。
「殿下、もう少しお話しませんか?」
ガタゴトと微かな物音。待っていると、また紙が出てきた。
『帰れ。いいからとっとと帰れ』
それでもアンナが扉の前にいると、またヒラリと紙が出てくる。
『帰れ!』
こうなると、何を聞いても『帰れ』しか返ってこなさそうだ。アンナは「お休みなさいませ」と言って、自室へ引き下がった。控えていたマオとミアに服の着替えを頼む。動きやすい、いつもの灰色の服の姿になると、食堂に行き、粥と茹で野菜を食べる。
「お茶会はどうでした?」
「それがね──」
アンナは今日あったことを話す。ただしマイトの、王や神殿への批判は省いた。
(マオに聞かれるとマズい。エシュー宮殿を勝手知ったる様子で歩いていたから、彼女はきっと王家の使用人。変なことを聞いたら、必ずそれを王に話すはず)
マイトは風変わりだがアンナと同じ考えや常識を持つ良い人だ。彼を亡くしたくはない。
「みんなは私がいない間、何してたの?」
「私は細々とした家事を」
と、レース。
「洗濯の手伝いです」
と、ミア。
「私は薪割りを」
と、ヨール。
「一日、お疲れ様」
「いえいえ、これが私達の仕事ですから!」
ミアは元気よく返事する。
(そうは言っても、ずっとこの家で働いてばかりってのは、かなりしんどいはず。息抜きがいるんじゃないか? レオとマオに相談してみよう)
アンナは心にしっかりとメモする。そして夕食を終え、部屋で眠りについたのだった。
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