吸血鬼の国

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「うん、今でも毎日本ばっかり相手にしてる。招待状のお断りすら僕に代筆させるくらいだから。おかげで筆致は旦那様よりもスバラシクなったけど」 「じゃあ、春先のうちのガーデンパーティも?」 「たぶん行かないと思う。毎年断っているのに招待してくださるフロレンツ様には申し訳ないけどね。まあ、おかげで夜会とかに頻繁に連れまわされないのは助かってる」 「そう、残念ね。……まあ、あなたには、あまり楽しくない時間だろうけれど」  吸血鬼でも苗でも女性側が、ドレスで華やかに着飾り、男性がエスコートする。引き立て役として苗は少し控えめに装う暗黙の了解はあるが、あでやかなドレスとシックな男性の装いはとてもしっくりくる。男が二人揃ってしまったノルベルトとミノウのペアでは様にならないのだ。 「元気そうでよかった。さっき顔は見たけど、やっぱりこうしてミノウと話すと安心するわ」  カシャン、とティーカップが微かな音を立てた。飲みさしのカップがぽつりとテーブルに置かれる。 「……ノルベルト様が良い方だということは、もちろん私にも分かっているけれど、いつお考えが変わらないとも限らないもの」  たしかにシピのように傅いて仕える苗が多い中で、主に向かって目を吊り上げて怒る苗なんてミノウくらいのものだろう。折檻されてもおかしくないのが苗という立場だ。しかも、ミノウは半分しか役に立たないショートストローなのだ。  苗が同性であれば、当然、子を作るためには生殖の相手を別に見つける必要がある。だが、吸血鬼はそう数がいるわけではないし、よほどの理由がない限り子を成しやすい苗と後継ぎを残すことを選択する。  戦乱の頃は苗を失った吸血鬼同士が出会うこともあっただろうが、この平穏な時代には同じくショートストローを持つ吸血鬼を探し出すしか方法は無く、運良く伴侶に巡り会う確率は著しく低い。  そんな厄介者のショートストローを大切にする主はそう多くないだろう。シピが単に心配性なのだとも片付けられないのが現実だ。  それを有り難いことだと思わなくてはいけないのに、自分はそこまで言われるほどの立場なのだと思い知らされるようで、どうにも気が滅入りそうになる。  そうですよ、兄上。うちの苗は優秀なんですから。  ノルベルトはすぐそう言ってミノウを誉める。ミノウがどんなに口やかましく言っても、彼が返すのはいつもそんな言葉だった。だからきっと、そんな最悪の事態まで考えなくても平気だ。子を成せなくとも少しは役に立っているはずなのだから。 「……旦那様は大丈夫だから」  呟いた言葉は、存外ちいさく響いた。  根拠が無いせいかもしれないと思い、パッと顔をあげたミノウはわざとおどけた口調を作った。 「なにせ、あの人は僕がいないと自分の世話もできないんだから」 「……そう。そうね」  ひとつ、ふたつと納得するように頷いて、シピはようやっと顔を上げた。 「ごめんなさい。私、余計なことを言って」  シピが謝ることじゃない。謝る必要があるとしたら、はずれくじを引かせてしまったミノウのほうだ。ショートストローで生まれてきた自分が悪い。  知らず俯いた視線の先に、油布で磨かれた自分の革靴が見える。つま先から頭のてっぺんまでこの体はノルベルトのためにあるはずなのに。どうして。これまで何度も繰り返してきた問いへの答えは見つからないままだった。 「でもね。離れていても、いつだって、私が想っていることだけは忘れないで」  シピがゆっくりと前髪を撫でる。やわらかく、あたたかく、彼女の優しさと素直な心配が心に沁みてくる。  骨の浮かない丸みを帯びた手首。女性らしい指先。たおやかなそれは、願っても、祈っても、どうしたってミノウには手に入らないものだった。
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