薄明かりの中の残念な主

1/2
1402人が本棚に入れています
本棚に追加
/52ページ

薄明かりの中の残念な主

 たっぷりとしたドレープのカーテンが掛かる向こうの空には、あわい光が射す中にちらちら雪花が舞って見える。道理で今日は冷えるわけだ、とミノウは思った。  吸血鬼が建国したこの国、ダンケルハイトは海に面する面積が少ない。とりわけ北部にあるバッヘムは、周りをぐるりと高い山に囲まれた街で雪深くはないが、晴れた日にはぐっと気温が下がる。人間たちにとっては住むに厳しい土地なのだという。昨夜からはこの冬一番の冷え込みで、暖炉で熱した防寒用の温石を配るよう指示したほどだった。  この家は使用人の待遇が良いので、階下で働く下々にまで行き渡っているはずだが、ミノウ自身は温石を使ってはいない。気温が低いことは感じるけれど、吸血鬼とも人間とも違うこの身は、震えるほどの寒さというものを知らないのだ。  ミノウはぎっしりと詰まった本棚の間をつかつかと革靴で進み、ひとつめのドアをくぐる。  奥の飴色に磨かれた扉には、至るところに繊細な螺鈿が埋め込まれている。山あいのこの地方で海の貝を使うのは特別に贅を凝らした意匠なのだが、そんなことには構いもせずに勢いよく書斎のドアを開け放った。 「旦那様はどちらです!」  正面にどっしりと構えるのは古木で設えた机だが、そこに目的の姿はない。  薄暗い部屋にはあたり一面、机の上から飾り棚、通路、さらには床の上まではみ出して、本が地層のように積まれている。叫んだ拍子にざらついた空気が喉に触れて鬱陶しい。  部屋が暗いのは吸血鬼である主が明るいところを好まないという特質を持っているからではなく、主本人よりもよほど大切にされている、壁にずらりと並んだ蔵書を日焼けから守るためにやられていることだった。  書斎を屋敷の二階の真ん中という一等良い席に置くのは通常の設計ではないのだが、主が昼も夜もほとんど書斎にしかいないせいで、十年前にわざわざ改装して造り変えたのだ。ただ、せっかくの日当たりも、しっかりと閉め切られた鎧戸のせいで台無しになっている。この部屋はいつでも埃っぽいし、かびと湿ったインクの臭いに満ちている。しかも光源をすべてオイルランプのささやかな灯りに頼っているから昼間でもまだ薄暗いくらいという有り様だ。  ぼんやりと浮かぶ光を頼りに本の影を探していくと、艶やかに磨かれた床の上で、蹲るように本にかじりつく背中を見つけて、ミノウは頭を抱えた。
/52ページ

最初のコメントを投稿しよう!