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麗しき領主の到着
ましろい雪の帽子をずっしりと乗せた木立の真ん中を、ガタゴトと黒塗りの馬車が走ってくるのが見える。
石畳の道は屋敷の門をくぐってからもしばらく続き、ゆるやかにカーブを描きながらこの建物の正面にある石造りの車寄せへと繋がっている。
窓越しに見覚えのある馬車の紋章としつらえを確認したミノウは、滑るように階段を降りてホールを抜け、ファサードの下まで到着すると、先に並んでいた使用人に混じってさも首を長くして待っておりましたという顔で恭しく客人にこうべを垂れた。
「ようこそいらっしゃいました、フロレンツ様」
御者により踏み台が置かれ、静かに扉が開けられると、中から現れたのは麗しい銀髪をゆったりと後ろへ撫で付けた美丈夫だった。
黒の細身で襟の高いオーバーコートがぴっちりと着込まれ、凍てつく外気から染みひとつない白い頬を守っているが、少し目尻の垂れた淡い紫の瞳で笑まれると途端に空気が柔らかくなる。襟元から覗く優美なレースのクラヴァットが彼の雰囲気によく合っていた。
「やあ、途中雪で難儀してね。遅くなるかと思ったが、ちょうどよく修理屋がいて助かった。こちらのほうが雪はましなようだな」
「ご無事のご到着なによりです。旦那様がお待ちです」
「あれは今日も書斎に籠りきりか」
笑いを含んだ視線が屋敷の中央にある部屋へと向けられて、ミノウは口をつぐんだ。
分厚い外壁越しにはいくら吸血鬼の視力であっても室内は見えないはずだが、フロレンツにはノルベルトの様子が手に取るようにわかるのだろう。
是とも非とも答えられず、ミノウは再び頭を下げることにする。
「こちらは冷えますのでどうぞ中へ。体の暖まる御酒をお持ちいたしましょう」
ふたりが口を開く度、息が白く綿のようにたなびいていく。長い旅路を早足で進んできただろう馬車の馬たちの息もまだ荒い。いくら最上級の馬車と言えど雪の積もる道中はだいぶ冷えたはずだ。客人をいつまでも外に置いておくのは得策ではないだろう。
「それは助かる。我々にとって外は目映い」
フロレンツが長い睫毛を伏せて軽く肩を竦めると、周りに控えていた従者がゆるゆるとそれぞれの仕事に動き始める。
下男から荷台の荷物を受けとっていると、続いて馬車からグレーのドレスを着た女が降りてくる。彼女は雪の上に危なげなく降り立ち、慣れた手つきで主人の後ろ姿を整え始めた。領都からここまでは馬車で日帰りできる距離とは言え、ずっと座っていればシワのひとつやふたつ付いてもおかしくないが、裾の先まで整えられた装いに隙は見られない。
「行こうか、シピ」
女は入念なチェックの末にようやく納得したように手を離した。一瞬、その血のように赤い瞳がミノウに向けられて、わずかに細められる。
「はい、ご主人様」
華やかさの無い静かな礼をしたときには、すでに視線は完全に主の方へ戻っている。
影のようにぴたりと付き従って進んでいく彼女に目礼だけで答えると、ミノウはフロレンツの鞄を両手に持って二人の後に続いた。
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