第3話

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第3話

 ゆうの「ゆう」は、幽霊のゆう。優しいのゆう。夕暮れのゆう。    どの漢字を当てるのかはわからない。私がその名を知ったのは一枚の絵からだった。  ゆうを駐車場で見つけて存在を認識してから数か月後。冬から春となり、年度が新しくなってからのことだ。  さとの保育園には、各クラスや年児が割り当てられた月に絵や制作物を掲示する『ちびっこギャラリー』と名づけられた小部屋がある。その月は年長児の自画像が飾られていた。  昼食後から二時過ぎまでのお昼寝の時間、園の一日でも比較的穏やかな頃合、私は掃除のために『ちびっこギャラリー』へ足を踏み入れた。普段はあまり手を入れない部屋だが、保護者の目があるため、さすがにギャラリー開催中は毎日掃除をする。  さとの保育園では、お昼寝は夏期を除いて、二歳児以下の乳児が行う。乳児の保育室が一階にあるため、同じく一階に位置する『ちびっこギャラリー』は静かだった。  そして、モップ掛けをしている途中、床近くのずいぶん下方に、極端に傾いた絵が一枚貼られているのに気付いた。  保護者が自分の子の作品を観に来るため、制作物の展示には気を使う。他の作品はどれも行儀良く並んでいるのに、一枚だけ傾いているなんて、クレームに繋がりかねない。こういう言い方はあまり良くないが、少し難しい親ならば、市役所や会社にまで話が及び、大事に発展してしまうのだ。  一体誰の作品かと確認しようとしたが、その絵にはネームプレートが無かった。周囲を見渡すが、落ちているわけでもない。名前を忘れるなんて、それこそありえない話だ。園長先生に報告しておこうか――そう考えを巡らせた時、閃いた。あの子。  去年、あの子は年中の〈ぱんだ組〉に在籍していた(少なくとも、彼女自身はそう決めているようだった)。今年は進級して、年長クラスに上がった……?  今月掲示されているのは年長組の〈ぞう組〉と〈きりん組〉と〈くじら組〉。全員の名前は覚えていないけれど、名簿を作成したのだ、人数ぐらいは把握している。私は絵の合計数を数えたが、傾いた絵を足せば、やはり一枚多い。  その一枚には、画用紙に対していささか小さめに、肩までの髪の女の子がクレパスで描かれていた。ネームプレートの代わりに、絵の下にひらがなで「ゆう」と書かれている。「ゆ」の字の縦線が左に寄りすぎていて、「わ」なのか「ゆ」なのか、判別が難しいところではあったけれど、「わう」ということはないだろう。彼女の絵は〈きりん組〉の末席、列からはみ出て飾ってあった。  自分で描き、書いて、貼ったのだろう。背が届かないから、壁下にひっそりと。ふれてみれば、それは画用紙ではなくミスコピーの裏紙だとわかった。  私は周囲をうかがい、誰もいないことを確認してからゆうの絵を壁から外した。ぐちゃぐちゃと丸めたセロハンテープが裏付けされており、あっさりと壁からはがれ落ちる。誰のものであろうと、こんな作品を掲示しておくわけにはいかなかった。  夜、事務室に職員がいなくなった頃合を見計らい、私は作業を開始した。ゆうのコピー用紙に描かれた絵を画用紙に糊付けして補強し、パソコンでネームプレートを作成し、できるだけ他の子の作品と同じ質感に見えるように手直しした。そして翌日のお昼寝の時間帯、掃除のふりをして『ちびっこギャラリー』に入り(実際に掃除もしたが)、こっそりと掲示し直した。ゆうの作品をはみ出させないためには、全体を少しずつ詰めなくてはならず、他の職員に見つからないようにやり遂げるのに、かなりの注意と労力を払った。作業はその日だけでは足らず、結局、翌日まで持ち越してしまったが。  なぜ、そこまでゆうに肩入れしたのか。特別に怖がりでは無いが、やはり霊とか妖怪とか、気持ちの良いものではない。あの時点で、私にとってゆうは異物であり、悪さをするではないけれど、親しくする必要もなく、ゆうもそれを望んでいたわけではないだろう。保育園に勤める者としては、在園児の安全が最優先で、ゆうは排除すべき存在だったのかもしれない。  けれど、一人で絵を描き、名前を書いて、でもまっすぐに貼れなかった彼女に、いじましさと、いとしさ、そして少しのシンパシーを感じたのだ。  私は、前職を辞め、再就職の場では役立たずで、思いがけず保育園に勤めることになった。園の職員は基本的に明るく親切だが、保育士でもなく、中途半端に年を重ね、また本社からやってきた人間である私には一定の距離を置いている。いや、結局のところ、私がなじめきれていないのだ。あるいは納得しきれていないのか。どこに行っても浮いてしまう。まるで思春期の学生が陥る悩みに、未だ私はとっぷりと浸かっていた。  冬から春にかけての数か月の間を見る限り、ゆうは一貫してひかえめで、遠慮しているふうだった。ずっと鬼ごっこの鬼を引き受けていたり、ブランコの列に並んで他の子にゆずって抜かされてやっと順番がきたという段になって外遊びの時間が終わったり。  優先されるべきはゆうではなく、本物の園児たち。当然といえば、当然ではあるが、ゆうはまだ子どもで、子どもが分別を働かせるというのがもの悲しかった。いや、本物の子どもではないのだろうけど、でも。  私が今の状態にいるのは全て自己都合であるが、彼女はおそらく違う。その彼女のわがままとも言えないわがままの一つぐらい、大人として叶えてやりたかった。  とはいうものの、その時点で私はゆうの希望を確認できていたわけではなかった。結局のところ、私自身、気持ちを傾けられる存在が欲しかったのかもしれない。  年長児の自画像掲示の最終日、お昼寝時間になるのを待ち、私は三たび『ちびっこギャラリー』を訪れた。  今日の夕方に展示された絵は全てクラス担任によって片付けられる。その前にゆうの絵を回収すれば、誰も不自然に思わないはずだった。  あまり目立ってはいけないと下の方に貼っていたので、しゃがみ込んで絵に手を伸ばす。と。  ふいに、背中に柔らかな重みを感じた。うたた寝をしていて肌寒かった時、毛布を掛けられたに似た感覚。  肩越しに見やれば、黄色い帽子が視界の端で揺れていた。その小さな存在は背中に顔をぎゅうと押しつけ、ささやく。  ――ありがとう。  静かな春の昼下がり、私は返事もできず固まっていた。正直を言えば緊張していたのだ。  それは人ではない何かにふれられているということ、そして人ではないけれど子どもにふれられているということ。その二つの理由から。  ありがとう。その一語は硬直した背中に染み込み、心臓まで到達して、胸を熱くする。火傷しそうに熱い塊を飲み込み、苦しいほど。  しばらくそのままでいると、熱はちょうど良い温度にぬるまっていった。背中越しに感じる子どもの体温。 「……ゆう?」  そこで私は初めて『ゆう』という名を、音にした。彼女、ゆうは背中に顔を埋めたまま頷く。瞬間、どうしてもゆうの顔が見たくなった。この子が、一体、どんな表情で私に抱きついているのか。  黄色い帽子に手を伸ばそうとした私に、けれどゆうは首を振っていやいやをする。ふれられるのが嫌なのかと思いきや、一層強く抱きついてくるので、その矛盾に戸惑った。  いや、ではなく、できない。  私はゆうの激しい拒絶をそう理解する。幽霊や妖怪は容易に姿を現さない。同じくゆうも、姿を、特に顔を見せてはならないのではないか。現に駐車場で捕まえようとした時、振り向かせたその瞬間、彼女は消失した。  この時の私の推察は、のちに正しいと証明される。二人きりの夜更けの事務室、じゃれ合っていて、うっかり帽子が外れた刹那、音も無く消えてしまうことがあったから(その時はひどく慌てふためいたが、翌日ゆうはいつも通りに帽子を被って私の前に現れた)。  どうしたものかと迷った後、私は黄色い帽子越しに、小さな頭を撫でた。できないのは悪いことではない、あなたのせいではないと伝えたかった。端的に言えば慰めたかったのだ。帽子越しの愛撫が、うまいやり方なのかわからなかったけれど。  ギャラリーの小窓から流れ込む風は柔らかく、甘い香りが部屋全体を包んでいる。小学校のチャイムの音が薄ぼんやりと聞こえてきて、とろりとした眠気を誘われた。。  と、私はゆうの帽子に桜の花びらが付いているのに気付いた。園庭で遊んでいる時にくっつけてきたのだろう。そっと指先で花びらを摘む。私は、今更ながらに春が来ていたことを知った。卒園式や入園式など園の年中行事を見てきたはずなのに、今の今まで春が来たという実感が無かった。ずっとうつむきがちに過ごしてきたせいだろうか。いつから? 異動してから? 前の職場を辞めた時? それとも…… 「三田さーん、本社から電話ですよ」  事務室の方から呼び声が聞こえてくる。同時に、寄りかかっていた温もりがすぅっと消えた。私は呆然として立ち上がるが、小部屋にはゆうの痕跡はない。夢でも見ていたよう――いや。ピンク色の花弁は、まだ指先に在る。  今行きますと返しながら、私は花弁をそっと手の平の中に収めた。
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