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第4話
ゆうが直接私の前に現れるようになったのは、この『ちびっこギャラリー』の一件からだった。顔を見せないのと同様、声もほとんど発することなかったけれど、彼女は私に懐いてくれたのだと思う。
春から夏へ、移り変わる季節の中、私たちは少しずつ距離を縮めた。
五月、眩しい陽射しが降り注ぎ始めると、私は他の職員に知られないように駅前の衣料品店で夏用の水色のスモックを購入した。きりんのワッペンを付け、小さく名前を刺繍する。準備期間中の『ちびっこギャラリー』に、夏スモックを袋に入れて置いておくと、翌日の朝には冬用スモックと交換されていた。
受け取ってくれたのだと喜んだが、その日に限ってゆうはなかなか姿を現そうとしない。帰る直前になり、ようやく私の視界の隅っこで黄色い帽子が揺れた。けれど事務室の引き戸の物陰に隠れて、なぜか、彼女はそこで踏みとどまっている。出てきたと思ったら、ぴょんっと、反対側の物陰にジャンプする。何度かそれを繰り返し、どこかそわそわする様子に、私はようやく思い当たる。つまるところ、真新しいスモックに照れているらしかった。私は早足で後ろのドアから事務室を出て、廊下を抜けて、ゆうの背後にこっそりと忍び寄った。
「ゆう、」
あんまり驚かせてはかわいそうだと、一応声をかけたのけれど、小さな背中はぴょんと跳ね上がってしまった。ちっちゃな罪悪感と、いたずらの達成感、着てくれたことに対する満足感、そして何よりゆうの可愛らしさに、私は昂ぶる。思わず背中に回した腕を交差させて、後ろから抱きしめるような姿勢をとった。ぎゅうと抱きしめることは、おいそれとはできなかったけれど。
スモックの名入れ刺繍に気を良くした私は、何年かぶりに押し入れからミシンを取り出して、幼児組が入園前に用意する持ち物を作り始めた。手提げバッグ、上履き入れ、コップ入れ用の巾着袋、名入りのタオル数枚。園から出入りすることのないゆうにはそれらのほとんどが無用なものだとはわかっていたが、一度ミシンに向かうと夢中になってしまい、結局、週末は自宅に引きこもって仕上げてしまった。それからしばらく、ゆうはそれらの作品を園内で意味もなく持ち歩いてくれたので、おそらくは気に入ってくれたのだと思う。
初夏の夕暮れ、園庭の植物に水を撒いていると、ゆうは必ずやってきて手伝ってくれた。私が先を握るホースの真ん中の辺りを持つだけなのだが、その気持ちが嬉しい。植えたばかりの朝顔やゴーヤの緑のカーテンはするすると空に向かって伸びゆく。
園庭の一画には季節の花々を植える花壇もあり、盛夏ともなると向日葵が大輪の花を咲かせた。その花壇から少しはみ出したところに、一際大きな向日葵が咲いている。これは、春先にゆうと二人で植えたものだった。元々、花壇の向日葵は先生と園児たちが種を植えたのだが、その際にこぼれ落ちていた種を拾い、こっそり植えたのだ。
一番大きく成長したのが嬉しいのか、ゆうはしょっちゅう自分の向日葵を見上げていた。今ではゆうよりもずっと背が高くなったそれ。黄色い帽子と相まって、ゆうと向日葵は寄り添う親子のようにも見えた。花になってしまった母親を、元に戻るのをずっと待っている。そんなおとぎ話の情景めいて、一心に。
――本当の母親は、いたのだろうか。
事務室の窓から小さな後ろ背を眺めながら、私はふと疑問に思った。
ゆうが座敷わらしのようなものに類する「妖怪」ならば母親は元々いないのかもしれない(座敷わらしの詳しい生態は知らないが)。けれどもし、お化けや幽霊ならば、生前は両親がいたはず。私は今更ながらに、ゆうの出自が気になった。
『さとの保育園』に勤めて以来、園児が亡くなったという話は聞いた覚えがない。内容が内容だけに、話題にのぼらせないだけかもしれないけれど。長年勤めている先生や調理員さんに尋ねればわかるかもしれないが、やはり憚られた。インターネットで検索するか、図書館で新聞の地方版を読むか、園前の街路樹の世話をしてくれている地域コミュニティのご老人に訊くか。色々やりようはあるものの、実行しないまま日が過ぎ、夏も去ろうというある日。園にある訪問者があった。
園長先生が満面の笑みで迎えたその人は、仙道先生といって、四年前、結婚を機に退職した保育士の方だった。今はご主人の仕事の都合により、他県で暮らしているという。今日は里帰りついでに立ち寄ったとのことだった。
「お元気そうね。産後しばらく入院したと聞いていたから心配していたんですよ。その子が今年生まれた妹ちゃんね」
「はい。もう重くって重くって」
仙道先生はふっくりと笑い、園長先生にピンクのベビー服を着た赤ちゃんを抱き渡す。赤ちゃんは泣きもせず、きゃっきゃきゃっと笑った。
「全然人見知りしない子ねえ。ふふ、ちょっと皆に見せてくるわね」
私が産んだといってくるわ、と足取りも軽やかに園長先生は事務室を出て休憩室へと向かう。仙道先生は気にするふうでもなくいってらっしゃい、とほがらかに答えた。自分の子を躊躇いなく預けられるのは、園長先生が保育士というだけでなく、信頼し合った仕事仲間だったからだろう。その様子にわずかに胸が疼いた。
そういう関係性をかつては私も築いていた。自ら選んで手放したけれど。相手の心情を慮ることなく、苦労して作った積み木の城に癇癪を起こして拳を振り下ろしたようなものだった――
テーブルの上に置かれたお茶の氷が溶け、かろん、と涼しげな音が鳴り、私は我に帰る。物思いに耽ったのは一瞬。
気付けば仙道先生と事務室に二人きり残されており、私は共通の話題も無く、まごついてしまった。保育士でもなく、子育てはおろか、結婚経験もない。今日に限って、主任先生は研修に出掛けている。
仙道先生はここが馴染んだ古巣ということからか、至極リラックスした様子だった。逆に気を遣われてしまったのか、面識のない私に話しかけてくれる。
「両手が空いているなんて久しぶり。あの子が生まれてから、お兄ちゃんもべったりで四六時中離れてくれないの」
「そうなんですか。やっぱりママをとられた気持ちになってしまうんでしょうか」
「そうなの、いわゆる赤ちゃん帰りね」
妹を抱っこしていると膝に乗りたがる、おっぱいを欲しがる、パパがいるのにトイレにまで着いて来る――等々、おにいちゃんの様子を次々に挙げるが、困った半分愛しさ半分の表情で、最後にはもうちょっと一緒の時間をつくってあげなきゃねと自嘲気味に呟いた。
「今日、おにいちゃんは保育園ですか?」
「ううん、実家に預けてきちゃった。お兄ちゃんは二歳児だけど、今住んでいる市では育休中は退園になっちゃうんで。もうちょっとタイミングをうまく計れば良かったんだけどね」
ああ、と私は頷いた。某市が取り入れたことで数人の保護者から提訴され、全国的に有名になった制度だ。育児休業中は家庭で保育できるため、現在入所している園児は年次によっては退園しなくてはならない。その分、空いた枠は待機児童に回されるわけだが。この制度の導入は各自治体の裁量に委ねられており、ここ里の市では育休退園という措置はとられていなかった。
「子育てするなら里の市の方が便利だったかもしれないわ。でも、新居の契約時はまだ育休退園制度をとっていたし」
仙道先生の言葉に私はえ、と声を漏らした。同時に、彼女も意外そうな表情を浮かべる。
「知らなかった?」
「はい。いつから変わったんですか?」
「私が市の嘱託で勤めていた時で、園長先生も就任前だったから五年ちょっと前かしら。まだ公営の時のことだから職員も大分変わって、知っている人も少ないかもしれないわね」
そして彼女はわずかに声をひそめて言う。私は続く言葉に息を呑んだ。
「女の子が一人亡くなったのよ」
母親が第二子の育休中で、当時二歳児だった女の子が退園した。退園自体は制度上どうしようもないことだが、その子の両親は女の子が三歳、四歳になっても復園させず、幼稚園にも入れようとはしなかった。母親は育休を延ばしたか、それとも仕事を辞めたかで、自宅で子どもをみることができたのだ。だが。
「その子の両親は再婚で、下の子とは父親が違っていてね。もちろん、だからっていうわけじゃないけど、下の子が産まれてから放置気味だったみたいなの」
一人きりの女の子は、寂しさのあまり、昔、楽しく過ごした保育園へ行く。もちろん、園から市や警察を通して自宅へ連絡がいき、女の子は両親に叱られる。叱られるから、女の子は黙って家を抜け出して園へ行き、連れ戻されるから、こっそり覗いて、ひっそり帰る。
それを繰り返していたある日。
就学前の子どもが、朝でも夕方でもない、中途半端な時刻に一人で外を歩けば、どうなるか。
「制度と直接的な関係があったわけじゃないし、その子はもう『園児』ではなかったわけだし、市も関連づけて発表はしなかったけど。でも、女の子が事故に遭った翌年から、里の市では育休退園が廃止されたのよ」
「……その子の両親は、今」
ひどく乾いた喉から声を絞って尋ねる。仙道先生は、なぜかすまなそうな表情を浮かべて答えた。
「事故のしばらくあと、他県へ引っ越したそうよ」
たった一人、事故に遭った、女の子。
いつだって、おずおずと、遠慮がちにして。
見つからないように、こっそり、ひっそりと。
――ゆう、あなたは。
その子の名前は。そう訊こうとして、咄嗟、私は喉の奥に問いを引っ込めた。何故かはわからない。事務室の外から園長先生と他の先生が話す声が聞こえてきたからなのか、それともどこかにいるはずのゆうに聞かせたくなかったからなのか。
引き戸が開き、仙道先生の赤ちゃんを抱いた園長先生を囲んで数人の保育士の先生がわっと入ってきた。仙道先生と面識があるようで久しぶりと挨拶を交わし、かわるがわる赤ちゃんを抱き、皆、満面の笑みを浮かべる。
一気に賑やかになり、私は圧倒されて、書庫にファイルを取りにいくふりをしながら事務室の隅へと身を寄せた。自然と視線は浮かび上がる黄色い帽子を探すが、見当たらない。あの子は、そこそこ人がいるところにはやってこない。あんまりにもたくさんでまぎれ込めるようならやってくるけれど。
それから立て続けに電話が鳴ったり、業者が来たりと、慌しく対応している間に仙道先生は帰っていった。赤ちゃんがくずり始め、しばらく泣きやまず、ご迷惑を掛けるからとそそくさと帰られたのだ。普段は滅多に泣かないのに、と仙道先生は首を傾げていたが。
仙道先生が帰ったことに、私は少なからず安堵する。もっと話を訊きたくもあり、怖くもあった。
「三田さん、仙道先生の赤ちゃん、抱かせてもらいましたか?」
夕暮れ過ぎ、お迎えのラッシュが落ち着いた時分になり、それぞれが書類仕事をしている時、園長先生が尋ねてきた。
「あ、いえ。私は……」
私は赤ちゃんを抱かせてもらってはいない。あの輪に加わることはできなかった。
向かいに座る園長先生はデスクの上に肘をついて手を組み、その上に小作りな顔を乗せる。
「あの子は園児じゃないんですから、抱かせてもらえば良かったのに」
資格のない私は、園児と接して誤って傷つけてはいけない。子どもアレルギー持ちの三田さん。
丸眼鏡の奥の、柔和だけれど深い色の眼差しに、うすっぺらな建前を見透かされた気がして、目を逸らす。けれど話はそこで終らず、
「三田さん、ご結婚の予定は?」
「え?」
「お付き合いされている方はいないの?」
珍しいプライベートの話題に、私はまごついた。
お若いんですもの、一人や二人ぐらいの彼氏はいるでしょう。付き合って何年? もうご両親には紹介したの、スマホで撮影した写真はないのかしら――矢継早の質問に、私は辛うじて、そういう相手はいないと告げる。
「あら、もったいない。盛りのうちは何度だって花を咲かせなくちゃ」
「いえ、もう若くありませんから」
それはは素直な感想だった。さとの保育園の職員の平均年齢は、私の歳よりずっと若い。学校を出たばかりの河先生たちは眩しいばかりで、圧倒されっぱなしだった。
「気の持ちようですよ、そんなのは。中根先生は街コンで知り合った方とデートしているそうですよ」
中根先生はシングルで中学生のお子さんがいる。年齢は私よりも少し上だが、綺麗で活発な印象の方だった。私はそうですねと控えめな同意を示す。
「若くないというのなら、なおさら早いほうが楽ですよ。赤ちゃん、欲しいでしょう?」
園長先生の物言いが上品だからだろうか。随分と踏み込んだ問いだけれど、不思議と嫌な気分にはならなかった。
ぼんやりと考える。誰かと付き合い、結婚して、子どもを産み育てる――まったくイメージできない。代わりに浮かんできたのは、向日葵を見上げる小さな後ろ背だった。
「……私は、今のままで、充分です」
小さく、しかしはっきりと告げると、園長先生はそう、とだけ返してくる。それ以上は何も言わず、私たちは各々の仕事に戻った。
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