中犬物語

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中犬物語

<中犬物語> 犬がいっぴきいる。 中型の犬だ。みんなからはキンカネと呼ばれている。 茶の毛が日にあたると金色に輝くと、飼い主は思っている。 しかし、ほかの人には茶色にしか見えない。 だから、飼い主はキンカネと名づけた。 それで、皆がキンカネと呼ぶ。 多分に飼い主の願望だ。 飼い主は、人ではない。 大きな鯉だ。たたみ二畳くらいの大きさはある。 その鯉は沼に住んでいる。 その沼の主と言われている。 キンカネはその鯉に餌をもらっている。餌は大抵、ミジンコをすりつぶしたものだ。 飼い主は自分の好みで、キンカネに餌をやっている。たまに出る、メダカをすりつぶしたものがキンカネにはご馳走だ。 しかし、もう飽きた。 散歩も、その鯉にしてもらう。 キンカネは逃げられないように首の部分から、ツタで結ばれている。 キンカネは沼には入れないし、入りたくない。 飼い主は水の中から出ることはできない。 当然、散歩は沼のまわりを一回りするだけの、いつも同じ場所である。 その散歩の光景を見る者にはすべて、 それは、犬が池の主を釣り上げようと毎日格闘しているように見えた。 その光景を見た者は皆、キンカネが勇気があり強い犬だと賞賛した。 しかし、本当はちがう。 どちらかといえば、キンカネが釣られている。 キンカネは、違ったものが食べたかった。 新しい場所を散歩したかった。 もう我慢の限界だ。 キンカネは飼い主をにらみすえた。 飼い主は飼い犬のいつもと違う表情に少しうろたえの表情を浮かべる。 しかし、そこは、飼い主も沼の主そ呼ばれるだけのことはある。 一瞬にして、キンカネの心中を察した。 飼い主は沼のなかで涙を流した。 涙は、沼の水にまぎれて見えない。 だが、沼の水位があがった。 沼のほとりにたたずむ、地蔵様。いつもは、土の中に上にいる。でも、いまは、膝まで水の中。 涙で沼の水がからくなった。 キンカネは何かに堪えきれなくなり、突然 沼に飛び込んだ。 飛び込んだ先の、畳、二畳くらいある飼い主の背中に飛び乗った。 キンカネは初めて飼い主に直に触れた。 それが、嬉しかった。 しかし、しっぽを振ることはなかった。 犬としての喜びの表現を放棄した。 キンカネはヒゲをピクつかせた。 鼻息を荒くした。 ヒゲをピクつかせ、鼻息を荒くすることで喜びを表現した。 しかし、それは飼い主にはそれを喜びの表現と受け取ることはできなっかた。 うれしいとき、犬はしっぽを振る。鯉なら滝に昇るとの固定観念がある。飼い主には気づきようがない。 飼い主は驚き、水から飛び上がるように跳ねた。 キンカネの足元がふら付いた。 キンカネは、沼に今にも落ちてしまいそうな状態に恐怖に慄(おのの)きながら一声! 「アウーウー」と咆哮した。 飼い主もさらにおどろき一声! 「ホホコーホー」と声をあげた。 鯉の一族が、鳴き声を出すのは、三代かぞえて一人しか許されない。 飼い主はそれをした。 キンカネは足をふらつかせながら我にかえった。 飼い主の声に並々ならぬ決意をした。 沼の主といわれる飼い主の3代の思いを背負った。 飼い主が、混乱と悔しさ、喜びの気持ちのなか、キンカネを沼の中に引きずりこまんとばかりに、再び大きく跳ね上がった。 しかし、キンカネはもう落ちついている。 飼い主の跳ね上がる力を利用してキンカネは飛び上がった。 飛び上がりつつ、その勢いでもって、キンカネは沼の淵まで、葉と枝を垂らしている柳の枝に喰らいついた。 沼の蛙は自分が跳びつきかかった柳に、犬が飛びついた、その光景に嫉妬した。 その光景で、ネコヤナギは自分がネコと一対になってしまったことに、少し後悔したのは言うまでもない。 沼の中から、外の草むらに戻りながらもなお、飼い主をその犬はにらみ続けている。 飼い主のその鯉は完全に、キンカネと呼ばれるその犬の思いを理解した。 首輪と縄代わりにキンカネの首に巻きついている蔦を放した。 キンカネは「ウォーン」とやさしく声をあげた。 飼い主は「フーポポプークハー」と叫んだ。鯉主族の三代一声の掟がいまここにやぶられた。  三代の掟がやぶられた。 すると、俄かに入道雲が沼の真上に集まってきた。 雷鳴がその大きな雲から聞こえる。 その雲から、氷の塊がいくつも元飼い主をめがけて降ってきた。 雹である。 飼い主は雹にしたたかにうちすえられた。 あまりのことにまたしても、声をあげそうになったがここは必死で我慢した。 掟をやぶったときの伝説がある。 それは、4千7百年まえにさかのぼる。 鯉一族伝説の鯉、 その名は、ハツノニシキといった。 ハツノニシキは鯉1万3千年の歴史でただ一匹、二丁の滝登りを成し遂げ、竜神と成りえた伝説の鯉である。 ハツノニシキは龍の神となり今も生きつづけ鯉界の掟番となっている。 掟をやぶった鯉には恐ろしい結末を下す。 雹によって氷漬けにされてしまう。 北インドのとある沼では約150年にジーダッタといわれた鯉の氷漬けがいまだに残っている。 飼い主もそうなってしまうのか。 氷が絶え間なく飼い主にぶつかる。飼い主を中心にだんだんと沼が氷で埋まっていく。 キンカネはそれを見つめている。 自分の飼い主だった鯉が氷漬けにされつつある。 キンカネは足がすくんでいる。尻尾がこわくてあがらない。 しかし、自由を得るという事、何かを得るという事は、何かを失うこと。 「いま、首に巻きついていた蔦がなくなり、自由な世界を手に入れたということで、キンカネにとっての飼い主は今、存在しない。自由とは飼い主を失うこと」と キンカネはそう考えることにより、怖くて助けにいけない臆病な自分を納得させた。 キンカネはその場を走り去った。 その走り去る姿を飼い主は氷に埋もれながら、ずっと・・・ 寂しさ、悲しさ、そして嬉しさ 解けない氷の真ん中 時間は流れる 飼い主のこころも  第1部 完     
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