選ばれない女

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それは不倫相手本人による、父の不貞の告発文、そして私に一方的に向けられた私怨の手紙だった。 私は愕然としたのと同時に怒りが沸き、突発的に手紙を半分に引き裂いてゴミ箱へ突っ込んでいた。 しばらくして書庫での出来事と手紙がつながった。 私は借りてきた父の小説を手に取った。気が進まなかったが、今一度、読み直してみることにした。 翌日、再び図書館を訪ねた。 私は神林という職員のことを訪ねた。 おととい閉架書庫にいたのは、おそらくこの神林という女性だ。図書館利用者の中に誰も行った形跡がなければ、そこにいた人物は図書館職員である。職員であれば、利用者カードの情報から、私が何者かを知ることができる。不倫相手の子供の名前と人物を照合することもできるだろうし、住所を調べて手紙を出すこともできるだろう。 カウンターにいた職員に尋ねてみると、神林早紀とは、私が書庫を利用したときに鍵を渡した人物だった。2日前から突然休職に入ったのだが、詳しいことはよくわからず連絡が取れない状態で周りも困っているらしい。「何か知りませんか」と逆に聞かれてしまった。 私は徒労を感じた。 自分のアパートに戻り、ベッドに横になった。父の小説のページをパラパラとめくる。 『紫陽花』と名付けられたその小説の内容は、ほぼ神林早紀の手紙の内容と同じだった。父視点で語られる内容は、母との不仲はそれ程でもなかったということ、良くないとは思いながらもダラダラと関係を続けていた自分の浅ましさ、自己愛と自己弁護に満ちた邂逅だった。 父は家では理性的な人間だった。家族に対して愛情を注いでくれたのはよくわかっている。でもあくまでも理性的であり、取り乱す感情を見せるような人間ではなかった。それは死を意識したあともそうだった。 小説を出版したのは7年前。末期がんが発覚した1年後。死を目前にしてこんな言い訳がましい本をあえて残している。私が見ていた家族としての、経済学者としての父の姿はある一面で、これが父の人生のまた別の一面だったのか。 人間は自分の存在が危ぶまれる時、存在を誇示したくなるのだろうか。
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