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秋穂
次の日は土曜日
梅雨時にしては すがすがしい青空
冬香は 午前中は何をしているのだろう
夜 仕事して昼まで寝ているのだろうか
気になる
学校で行事の打ち合わせがあると母に告げ
いつも通学する時間にバスに乗る
学校より一つ手前のバス停で降り
『黒薔薇』に向かう
階段の下まで行く
シーンと静まり返っている
しばらく階段の下の段に座り込み
ボンヤリとスマホをいじっていた
路地の向こうから速足で
誰かが近づいて来る
秋穂だ
彼は私を発見すると
口の前に人差し指を立て
シーッ と 音をたてないよう合図した
秋穂は10mくらい手前で手招きしている
私は静かに立ち上がり 近くまで行く
「少し家から離れよう」
秋穂は息の声でささやき
今来た道を引き返し始める
私は彼から少し離れて ついて行く
路地を抜け 大きな通りを少し進むと
緑に囲まれた小さな公園がある
秋穂は その公園のベンチに座った
私は彼から距離を置いて
同じベンチに座った
「美月に お願いがある」
いきなり『美月』と呼ばれ
抵抗を感じる
今までのすべてを見られていたとしても
私と秋穂は 特別な関係ではないのだ
「兄を裏切る気がないなら・・・だけど」
「裏切らない」
「兄を外に連れ出してほしい」
「外に?」
「そう 例えば この公園まででもいい」
「私が連れ出しても 心配じゃない?」
「一番 安心さ 美月なら」
秋穂が言うには ここ一年
冬香は 一歩も外へ出ていない
このままでは病気になってしまうのではないか
心配して声を掛けても 出たがらないという
「わかった 外に連れ出すわ その代わり・・・」
「何?その代わり・・・って?」
「お金ちょうだい 外で何か食べたり飲んだりしたいの」
「フフフフッ 面白いな 美月」
「私 今月のお小遣い 全部 使っちゃったの」
「何に使ったの?」
「秘密 それくらい秘密にさせて」
「そうだね・・・・覗き見するつもりはなかった」
「もういい 好きに覗いて」
秋穂は驚いたように 私を見た
「冬香を 大切に思ってくれる人がいて嬉しい」
私は 秋穂にそう言った
「それは 僕のセリフだ 美月 ありがとう」
「他に 兄弟いるの?」
「冬香と僕の間に ハルトがいる」
「春の・・・人?」
「春に 北斗七星の斗だよ」
「秋穂は何年?」
「3年」
「春斗は何歳?」
「20歳」
「冬香と 二人は年が離れてるのね?」
「皆 母が違うんだ」
「そっか 秋 冬 春 があるのに・・・」
「夏もいるよ 父は夏に樹木の樹で 夏樹」
「東山夏樹・・・って俳優いるよね?」
「うん 父だ」
「そっか じゃ『黒薔薇』はお父さんのお店?」
「そう 今どきキャバレーなんて珍しいよね」
「春斗さんは 大学生?」
「春斗は 音大生 トランペット吹いてる」
「へー? 秋穂も音楽するの?」
「僕は 音楽やめようと思ってる」
「やめて 何がしたいの?」
「冬香のことを考えて・・・金になる仕事」
「秋穂が冬香を 支えたいと思って?」
「誰にも相談した訳じゃないけど・・・」
「お父さん お金あるんじゃないの?」
「安定した収入が保証されてる仕事じゃない」
「そうかも・・・でも・・・」
「僕は 兄が好きなんだ 冬香が・・・」
「秋穂 何か楽器してるんでしょ?」
「バイオリン・・・それもね・・・それも・・」
「それも?」
「冬香が視力を失ってから・・・冬香に希望を・・・」
秋穂は涙声になり
言葉が続かなかった
冬香のピアノに合わせて
バイオリンを弾くことで
冬香に新しい希望を与えたいと考えた
秋穂の思い
なんて素敵な兄弟愛だろう
「バイオリン 聞かせて」
「どこで?」
「いつも どこで弾いてるの?『黒薔薇』じゃないの?」
「普段は自分の部屋で弾いてる」
「自分の部屋って『黒薔薇』とは違う場所なの?」
「違う場所さ 家はここから遠い」
「じゃ 冬香は・・・一人で『黒薔薇』のどこかに?」
「そう 冬香は『黒薔薇』の一階で生活してる」
「もうすぐ受験なのに 音楽やめて東大にでも入る?」
「まあ 浪人すれば 東大くらい入ってやる」
「決断する前に バイオリン 聞かせて」
「家まで来る?」
「行くわ」
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