第1話 祖父母の家

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第1話 祖父母の家

 東京から新幹線で二時間。電車を乗り継いで一時間。バスで三十分。そこから歩いて一時間。  拓海はキャリーバッグをひいて、やっと祖父母の家についた。最後にこの家に来たのは高校の卒業式のときだ。今は大学四年生。祖父母の家もだいぶ懐かしい気がする。 「まあまあ、大きくなって」  祖母は拓海を見上げて仕切りにそんなことを言った。久しぶりに会った祖母は、記憶よりも随分と小さくなっていた。  祖父は「よく来たな」と座椅子に座ったまま拓海を見た。こちらも、記憶より手足が細く、頼りなさげになっている。  拓海は幼かった母が使っていたという子ども部屋に通されて、荷物を片付けた。都会のフローリングのアパートに慣れている拓海には畳の感触が新鮮だった。ごろんと横になる。  今日からこの祖父母の家に一か月居候をする。  夏休みを利用した、ちょっとした田舎への旅行、という側面ももちろんあるのだが、表向きの目的はレポートを書くための合宿のようなものだった。  拓海は今、大学四年生でゼミの活動に追われている。文学部に所属している拓海は、毎日本ばかり読む羽目になっていた。  拓海は昔から本が好きだった。純文学から漫画、絵本、なんでも読んだ。  大学の文学部では、作品の書かれた時代ごとにゼミが分かれる。日本書紀の時代から、現代の小説まで、ゼミは七つに別れていた。  拓海は特別どの時代が好きというものはなかったから、友達に誘われるがままに近代の文学を研究するゼミに入った。明治から戦前の時代だ。  この時代の本は日本書紀や万葉集などに比べればはるかに読みやすい。けれど、現代の小説と比べたら使用する言葉も違うし、時代背景も大きく違って研究のしがいもある。いい塩梅の時代だった。  夏休み明けには、卒業論文で扱う作品についてまとめたレポートを提出しなければならない。拓海は太宰治の『人間失格』を卒業論文で扱おうとしていた。その作品が今までどのような観点で研究されてきたのか、論文を読んでまとめなければならない。  しかし、東京にいるとどうにも作業が進まなかった。  どうしても、大学の友だちとふらふら遊びに行ってしまうのだ。夜まで出歩くことも多かった。東京は誘惑が多い。  それを見かねた母が、「おばあちゃんちに行って、集中してレポート書いてきたらどう?」と提案してきたのだった。祖父母の家にいけば、友達と遊ぶことはもちろんできないし、ふらふら遊びに行くのにも限度がある。田舎だから、遊ぼうとしても遊ぶ場所がないのだ。  拓海は最初渋ったが、結局レポートは書かなければならないのだし、仕方ないと腹をくくって祖父母の家に来た。  とはいえ、田舎にこもって執筆作業をするのが、名のある文筆家のようでかっこいいかもしれないとわくわくしたのも事実だ。 「ほんとに何もないよな。田舎だ」  窓から見える景色に、高い建物なんてない。  田んぼと、田んぼの合間にぽつぽつ民家が建っているくらいだ。  拓海は大きく伸びをした。  携帯で窓の外の写真を撮ってみた。田んぼばか。田舎だ。拓海は写真をみて笑った。  さて、ぼちぼちレポートも頑張るか。  一か月後には母や親戚が祖父母の家に集まる。年に数回ある親戚の集まりだ。その時までにはレポートを書き上げて、母と一緒に東京に戻る。それが目標だった。
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