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突然、客席後方からびゅんびゅんと矢が飛んでくる。しかも、火のついた矢。舞台めがけて凄まじい勢いで放たれたそれは、鬼たちに次々に命中する。
「なっ、なんだ!?」
「ぎゃあああ!! 熱い! 熱い!」
「ああああちちちちち!!」
わめきながら身体についた矢を引き抜こうとしたり、尻についた火を消そうとする鬼たち。
火もろくに消えないうちに、今度は舞台の上から大きなタライがひとつ降ってきた。それが一匹の鬼の頭にクリーンヒット。ガーン! というひどい音がした。
「ぐがあっ……」
間抜けな声をあげて、その鬼はずでんと床にひっくり返った。すっかり気を失っている。
それが終わったと思ったらまた何か降ってくる。今度は巨大な鉄の檻だ。ガシャンと舞台に設置された檻に、また別の鬼が一匹閉じ込められてしまった。彼は慌てて情けない顔で「だ、出してくれ~!」 と叫んでいる。
見ていたお客さんたちがざわめきだした。
「なんだ、やっぱりこれも演目のひとつだったのか……?」
「仕掛けが面白いな、この劇場」
「こんなの見たことない!」
四匹いた鬼のうち、二匹はタライと檻でノックアウトされてしまった。危険を回避しようと、舞台の中央付近まであとずさる残りの二匹。寛和はというと、無言でそれを舞台の端で眺めている。
「おい、この劇場なにかおかしいぞ」
「オレたちも何かされるんじゃ……」
おろおろする二匹をよそに、今度は突然舞台の「床」が動いた。
「お、おお!?」
「舞台が回ってる!」
舞台中央の床板が、回転を始める。
客席側で親方が言った。
「これは舞台の場面転換のときに使われる装置。今まで舞台に出ていた舞台セットは回転して奥へひっこみ、背景も変わり、新しい場面が奥からやってくる。だが……」
徐々に舞台が回る速度があがる。
「これ、限界まで早く回したら、どうなるのかなあと思ってさ」
親方が首をかしげて言った。
回転する床板にあわせて、鬼たちは舞台の右手から左手へと歩かなくてはいけない。じゃないと舞台の奥に引っ込んでしまうからだ。しかし、それがどんどん早くなって鬼たちはついに走り出した。
舞台はものすごい高速でガンガン回り、それにあわせて走る鬼。これじゃまるで回し車に乗ったハムスターみたいだ。
「ひ、ひい~! 助けて!」
「誰か、止めてくれ~っ!!」
というより、舞台の上で二匹が異様に速いランニングマシンに乗っているかのように見える。
俺は思わず噴き出した。だって、鬼たちが転びながらぜえぜえ言いながら舞台上で無限ランニングマシンをやってるんだもん。
あんなに怖くて獰猛そうな化け物が、舞台という掌の上で転がされているのが滑稽すぎる。
「あはははは!! いいぞ、もっとやれ!」
客席は大爆笑だ。
「ふむ、こんなくだらないことをやらせてくれるのはここだけだな……」
親方はというと、腕組みをしながら神妙な顔でそれを眺めていた。
この仕掛けは全部、親方が考えたんだろうけど、なんだか彼らしい遊び心みたいなものがあるな。
お客さんたちはすっかり舞台にはまって盛り上がっていて、これを演目の一種だと勘違いしている。あえて、そうさせているのだろう。ここで混乱が起きないように。
やがてゆっくりと舞台の回転が止まるころには、二匹の鬼たちは息も絶え絶えになっていた。虫の息というやつだ。
四体の鬼は今、完全に舞台上でのびていた。あ、寛和だけは仕掛けが起動するたびに瞬間移動してよけていたから全くの無傷。
「すごい……! 役者じゃなくて、「劇場」が鬼を倒したぞ!」
誰かが言った。それにつられて、わああああ、と歓声。
それを見て、また鬼たちを一瞥する寛和。さて、初手でぼこぼこにされてしまった手下たちを前に、どういう反応を示すのだろうか。
「……はっ」
彼の、溜息のようなものが聞こえた。失望したか。無念に感じたか。それとも。
彼は舞台に背を向けたまま、肩を震わせる。くっくっく、と漏れた声は、やがて大きな叫びに変わった。
「あは、あはっ、あーはははははははは!!」
あろうことか、寛和は笑った。
この状況を嘆くでもなく、悲しむでもなく、ただ、ひとりで嗤っていた。
「はあ……まったく舐められてんのはどっちだっつー話だわ」
ひとしきり笑い終わったあと、寛和はその眼力はそのままに言った。
それが合図だったかのように、倒れていた鬼たちが起き上がる。さっき飛んできた矢を拾ってバキバキと折る。恐ろしい怪力で鉄の檻をものともせず破壊する。あんなにひどい有様だったはずなのに、それをまったく感じさせない、四体とも、よく見れば無傷だ。
鬼たちは最初に現れたときと同じように、寛和のもとに集まり客席に向かって唸り声をあげ、威嚇した。
「ねえ、あんたさ、馬鹿なの? それでも盗賊の親分?」
親方を見て寛和は言った。
「そんなおもちゃで鬼を倒せるって、どこで習った? 悪いけど、『役者』の力をコピーしたこの鬼たちには、そんな子供じみた『遊び』じゃなんも通用しないんだよ」
寛和は鬼たちのほうを手で示した。
「わからないか? この鬼たちには『役者』からもらった『札』の力を直接付けさせてるんだ。これはもう『役者』と同じ……いや、それ以上ってこと。ただの人間じゃかなうわけない」
寛和は続けた。
「それに、森で会ったときよりも格段にこいつらは進化している。今や人の言葉を扱えるようになったんだ。しかも、もう森の呪術陣のあるところに縛られずに動けるまでに成長した。俺のおかげでね」
全くダメージを受けていないといった風に彼は言った。
(どうしよう。どうするんだ……?)
思わず、親方のほうを見る。親方の作ってくれた策では歯が立たなかった。これ以上できることはあるのか。
「……鬼は、全部で四体だったね」
親方は眉をひそめた。
「俺たちの『札』を使って鬼を錬成した気分はどうだい、寛和くん」
「もちろん、さいっこーだよ。ああでもね」
飄々として、寛和は言った。
「今はムカついてる。そこのつまんない、からくりおもちゃのせいでね。あー、侮辱されたみたいでめっちゃ腹立つわ」
寛和はおもむろに自分の懐に手を突っ込んだ。
「そんなことより、早く役者をこっちに渡してもらいたいんだよね。じゃないと……」
すっ、と寛和が懐から何かを取り出した。
「手荒なことをするはめになる」
手に持っていたのは、あの、『藤子さんを入れた瓶』。
「!!」
ここからでも見える、そのなかで、藤子さんはまだ眠らされていた。三日以上、あそこに閉じ込められたままだったのだろうか。
「これをパーンと割って、中身ごと潰しちゃおうかなあ」
虫けらみたいに、という言葉が聞こえて背筋に悪寒が走った。
「いや、そんなの勿体ないね。ちゃんとこの子から『札』を摘出してあげなくちゃ。彼女の『札』を使って、五体目の鬼を作るのもいいね。瓶に入った感じが綺麗だったから、置き物として取っておこうかとも思って保留にしてたけど」
舞台から見下ろして寛和は言う。
「どうする? 眼帯のおっさん。ぼやぼやしてると、この藤の子を鬼の餌にするよ」
「……卑怯なことを。彼女がどれだけの役者かも知らないで、君は……」
ぎり、と親方が歯ぎしりをした。
(……くそ)
死ぬ前の寛和だったら、こんなこと絶対にしなかった。誰にだって分け隔てなく接するのが俺の兄だったんだ。なのに、目の前にいるのは姿かたちも同じなのに……!
(どうしたら、藤子さんを取り戻せる? 寛和たちを蹴散らせる?)
そのためにはまず『札』だ。寛和本体は無理でも、鬼についた『札』さえなんとかすれば、勝機はある。こちらがあれを取り戻すにはどうすればいい。
今ここで、動ける『役者』は俺一人だけ。向こうは四人+あの無敵の寛和だ。
(どうする……!?)
そうこうしているうちに、寛和が動いた。
「……あんたらが決断できないってならいいよ。ここのお客さんたちに手を出すまでだ」
寛和が鬼たちを顎で使うようにして指示を出した。それによって、鬼たちが舞台上を移動し始める。
「ここまでコケにされてちゃ、もうたまらないよなあ~。人質はもっといっぱい取りましょうよ、寛和さん」
「そうだそうだ、まずはこのあたりのお客さんがいい」
そう言いながら、鬼たちが向かったのは舞台西側の花道のほうだった。
花道のすぐ傍は客席だ。座っていたお客さんたちの顔が恐怖にひきつっている。
「誰にしようかなあ、っと」
先頭の鬼が花道へと一歩足を踏み入れた。
(やばい!)
俺が立ち上がった、その瞬間。
ばん、と跳躍する音。
花道に突然、ひとりの影が飛び上がった。
「らあああああああああああああ!!」
その声と共に鬼目掛けて一体切り、続けて後ろの二体目、三体、四体、そして寛和の目の前まで迫る。
「がああっ」
「ぐふっ!」
「き、貴様は……!」
連続で辻斬りを果たした菊之助は、刀を翻すと寛和のほうをかっと睨んだ。
「役者の『札』か。そんなに欲しいならくれてやる――――とでも言うと思ったか?」
今の場面を、もう一度よく見てみる。
菊之助はそれまでそこにいなかったのに、突然花道の上に現れた。寛和じゃあるまいし、そんな瞬間移動はできないはずだ。つまり……?
(菊之助が『すっぽん』の下にいてくれて助かった!)
花道にある仕掛け、ちょっと前に親方が俺に教えてくれた『すっぽん』だ。すっぽんの穴から、菊之助は跳び上がってそこに現れた。
外から見ると、舞台に突然登場したかのように見えたのはこれだ。
話を戻す。
菊之助に切りつけられて花道のあたりにうずくまる鬼たち。その横で、彼は寛和を一瞥した。
「なーにが『札』を持ってる鬼だっつの。『札』がなくなればどうってことねーし、こいつらただの雑魚なんだよ。それに、そんな奴らに守られてないと行動できないてめえのほうがよっぽどカスだわ」
菊之助は俺のほうを見て手招きする。
「五郎! お前もこっちに来な」
「う、うん」
俺がちょっとまごつきながら客席の間をすり抜け、花道のほうへ向かっていると、彼が訝しげな顔をしてぼそりと言った。
「返事がちいせえ。……お前また「自分なんかじゃ無理かも」とか言うんじゃねーだろうな。そんなこと口に出したら今ここで殺すぞ」
「言わないって!」
そのうちに、手負いの鬼たちがまた菊之助のほうを向いて機会を狙い始めた。寛和も険しい顔でこちらを眺めている。
その緊迫した空気を切って捨てるようにして、菊之助は叫んだ。
「お前だって、もうわかってんだろ。俺ら『役者』は最強なんだよ。なあ、藤子!!」
その瞬間、菊之助は懐から出したクナイを寛和に向かって一直線に投げうった。
それは空を切り裂き、寛和が片手に持っていた瓶の蓋のあたりをかすめる。
「何っ!?」
目を見開く寛和。ピシリ、と音がして、ガラスの小瓶にはっきりとした亀裂が入った。
次第に、瓶から眩しい光があふれ出す。
「ま、まさか……!」
誰かが声をあげたときには、変貌はもう始まっていた。
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