第二章 藤の都

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第二章 藤の都

「五郎~、俺今日テストで百点とった!」  黒いランドセルを背負った小学生の寛和が、居間に駆け込んできて俺に言う。 「あら、また百点だったの? よかったわね~」と聞こえてくる母の声。寛和を見た俺は、自分のランドセルから出そうとしていたバツだらけの漢字テストをそっと背後に隠した。  場面は変わって、次は中学校の廊下。   向こうから、背の高い寛和が友人たちに囲まれて歩いてくる。俺は目を合わせないように俯きながら、早足で通ろうとしたのに、寛和がそれを目ざとく見つけて「よっ!」と声をかけてくる。  無言ですれ違う俺。 「あれ、寛和の弟?」 「そうそう」 「へー。なんか、寛和と結構雰囲気違うねー」  談笑しながら遠ざかっていく兄の友人たち。 「五郎~、俺、この前の期末で学年一位だったわ! すごくね?」 「今日、文化祭の実行委員に推薦されてさー」 「なー見ろよ、今朝下駄箱あけたら俺んとこにラブレター入ってんの!」  寛和は、とにかくいちいち全部報告してくる奴だった。  そのすべてが自慢げで、嫌味にしか聞こえなかった。  俺は、寛和に対して自慢できることなど何一つなかった。  ああでも、寛和と仲が良かった思い出も、少しはあったっけ。 「うお、すげー……ほんとに隠し部屋に宝箱あんじゃん!」  二人でダンジョン系のRPGをやってて、寛和がどうしても最後のボスが倒せないっていうから、俺も一緒にやった。  俺が攻略本を頼りに見つけた裏ルートを通ると、宝箱があって、そこに最強の武器である宝玉の剣が隠されている。 「五郎が言ったとおりだったなー」  そうして寛和は、宝玉の剣を手に入れてラスボス戦に向かった。  そこのラスボスが鬼のようにえぐかったのを覚えている。 「あああ、死ぬ死ぬ!」 「そこは回避で1ターン待って、次で必殺技」  コントローラーをがちゃがちゃ操作する寛和と、攻略本を捲る俺。  ラスボスは全部で四体いた。魔王のような姿をした巨大な奴が四人、それぞれ別種の武器を持っていて、一斉に俺たちプレイヤーを目指して襲いかかってくる。  長い時間をかけてそいつらを倒した時にはもう日が沈んでいて、あのときの達成感は忘れられない。 「助かった~、五郎がいなかったら全クリできてなかったわ。ありがとー」  笑顔で俺の頭を撫でようとする寛和を「やめてよ」とあしらいながらも、幼かった俺は、兄の役に立つことができて嬉しかった。  そう、楽しく二人でゲームをしていたような日々も、あったんだ。  いつから、歯車は狂ってしまったのだろう。  ピピピピ、ピピピピという音が鳴って目を覚ます。  スマホのアラーム音だった。毎朝、学校に行く時間に設定してある。  見れば外は朝だったけど、当然俺は学校に行けるような感じではなかった。  俺が寝ていたのはいつものベッドじゃなくて知らない布団、床は畳、壁はふすま。 「おー、起きた?」  と、ふすまが開いて、そこから見たこともないような長髪の奴が現れた。伸びっぱなしの髪が貞子みたいになってる。 「ぎゃっ!?」  びびって後ずさると、その妖怪は「あ? 俺だよ俺」と言って髪をかきあげた。 「な、なんだ、菊之助か……」 「人をバケモンみたいに言うなよ。お前も早く支度しろよな。今日は俺たちのところに使いの奴が来てる」 「あ、うん。今行くよ」  結局昨日はあのあと、木挽町の宿屋に菊之助と一緒に泊めさせてもらったのだった。お風呂が薪をくべて沸かすタイプの見たことないやつだったり、寝巻きも浴衣しかなかったりして苦労した。 (これから、どうなっちゃうんだろう)  そう思ってぼんやりしているうちに、外で鶏がコケコッコー! と鳴くのが聞こえた。  廊下の向こうから、ほんのりと朝ご飯の匂いがしてくる。  身支度をして宿屋の食事処に行くと、既に座っていた菊之助の傍に、見慣れない人がいた。  いや、それはどうも人……ではないようだ。  身長は菊之助の二分の一もない。小人のような、丸っこい人影なんだけど、全身が黒い。頭は黒い頭巾をかぶり、顔は黒い布で覆われ、全身が黒い衣、黒い足袋。  そいつは、俺が口を開く前に声をあげた。 「ややっ、もしやこちらの方が五郎様ですか? お噂はかねがね! 菊之助様から聞いておりました!」  甲高い声をしているが、男性のようだ。 「そうだ。こいつが五郎、昨日役者になったばっかりの奴だ」  菊之助は、黒づくめの小人を見て言った。 「五郎、こいつは『黒子』だ。役者の手助けをしてくれる奴だ。今日は俺たちに用があって、会いに来てくれたらしい」 「くろこ……?」 「はい、わたくしめは黒子であります。古来より我々の一族は、役者様の『裏方』を務める精霊として、永く役者様方へのお力添えをしてまいりました。この度は、菊之助様と五郎様に言付けがあり、こちらへ参ったのです!」  菊之助が付け加えた。 「こいつは『役者』じゃない。役者の付き人みたいな奴らだ。特別な術や技は使えねーけど、何かと助けになってくれることが多いから、五郎もこれからは黒子を頼っていけよな」 「はあ……」  このなんだか妙な感じの人……ではない何かと、俺は仲良くなれるのだろうか。 「じゃあ黒子、改めてだが、用件を話してくれ」  菊之助が白飯をかきこみながら黒子に尋ねる。 「はい。本日は『親方様』より、伝言がございまして」  黒子がそう言うと、菊之助が目を見開いた。 「親方から? マジか」 「親方様は久方ぶりに菊之助様にお会いしたいと申しておりました。加えて、お仕事のほうも依頼したいとおっしゃっています」 「ふーん。親方は今どこにいる?」  黒子は、はっきりとした口調で答えた。 「『藤の都』にいらっしゃいます。菊之助様と五郎様には、今からそこへ向かっていただきます」  黒子が、胸元から一枚の地図を取り出した。 「五郎様。ここが今我々のいる街、『木挽町』です。次の街、『藤の都』は、ここから馬で数時間ほどのところにございます」  地図に書かれている『藤の都』の場所には、藤の花が咲きみだれている絵が描いてあった。 「あの……親方様って、誰なの?」  俺は菊之助に聞いた。 「親方は親方だよ。またの名を、日本駄衛門。『白波五人男』の、親分だ」  菊之助はにやりと笑って言った。 「あの人に呼ばれたってことは、『俺たち』の再結成のときが、そろそろ近いっつーことかもな」 ***  それから俺たちは、新しい目的地へと向かうべく、元いた木挽町を発つことになった。  藤の都へは、黒子に準備してもらった馬車に乗せてもらって行くことになった。菊之助は馬に直接乗って行こうとしていたみたいだけど、俺が馬に乗れないのでそれはやめになった(菊之助から『馬にも乗れねえのかよお前、今までどうやって生きてきたんだよ』と言われたけど普通にそんなの無理だ)。  今は米俵やら、荷物の木箱やらが積まれた馬車の荷台に座って、菊之助と黒子と一緒に揺られている。  ちなみに菊之助は今日も女装だ。彼曰く、「女装してた方が目立たないし、役者だとばれにくくて、捜査や潜入のときに動きやすい」らしい。着物も化粧も、最初に会ったときと変わらずばっちりになってる。 「では、本日の目的についてお話いたしますね」  馬車の上で、さっそく黒子が口を開いた。 「親方様からの依頼は、一言で言ってしまえば、あの藤の都を統べる役者である『藤子様』の護衛です」  黒子が俺の方を向く。 「藤子様は、『藤娘』の役を司る役者様であります。藤の花の妖精のようなお姿で、咲き乱れる藤の花の中で可憐に舞われる少女のお姿をしております」 「へえー」  なんとなく、とても愛らしい女の子のイメージがぼんやりと頭に浮かんだ。花の精なんて、きっと可愛いに決まってる。 「しかし、藤子様には近年お悩みになっていることがございました。それは、彼女には身を守る術がないということ。藤子様は幻術を使える方ではあるのですが、それだけでは到底何かあった時に防衛ができない。また、都に住む街の人々が万が一脅威にさらされたときに、彼らを守れるほどの力量を持っていないと」 「まあ、藤子の奴はそういうところ真面目だよな」  菊之助が頬杖をつきながら付け加えた。 「加えて、近頃発生している例の『鬼』事件です。『白波五人男』の皆様でさえ太刀打ちできないほどの鬼が、もしも藤の都と藤子様に目をつけたら、ひとたまりもありません」  そこで、と黒子は言った。 「彼女の相談に乗っていたのが親方様――――日本駄衛門様でした。親方様は、強大な妖術・幻術の使い手、しかも無類のからくり技師という側面もお持ちの方。ですがその親方様も、以前鬼に『札』を奪われて、役者の力は使えずじまいになってしまいました。それ以降は、藤の都に身を潜めつつ、各地を回って情報収集をなさっていたそうです」 「ふーん。親方からは最近手紙も来てなかったから、どこで何してるかさっぱりだったな」 「……菊之助様は、親方様の他に、南郷様や赤星様、忠信様のご動向についてもご存じないと?」  黒子が『白波五人男』の他の三人の名を上げたが、菊之助は「知らねー」と答えただけだった。 「あいつらなら、どっかでテキトーに生きてんじゃね?」  ……菊之助の中で、他のメンバーの扱いってそういう感じなのか。『親方様』のことは尊敬してるっぽいけど。 「……そうですか。では、菊之助様は親方様にお会いするのも久方ぶりということで。五郎様は、初めてお会いすることになるのですね」 「そうだね」  黒子が俺の隣でぽんぽん跳ねながら言った。 「親方様は非常に魅力的なお方なので、きっと五郎様も驚かれると思いますよ!」  盗賊団のボスなんて、あんまり怖そうな人じゃないといいけど。 「さて。話を戻しましょう。  力不足に困っている藤子様をお助けするために、親方様は『からくり座』の建設を提案いたしました。もともと藤の都には「大劇場」と「小劇場」のふたつの劇場がございます。このうち、古くなり老朽化のすすんだ「大劇場」のほうをいちから改築し、新しい劇場を建て直そうと考えたのです。『からくり座』は、ただの劇場ではありません。からくり技師である親方様の腕力を存分に発揮した、いわゆる『対鬼型劇場』になっております」 「対……鬼型劇場?」 「たとえ鬼のような巨大な化け物が劇場にやってきても、大丈夫なのです。いざとなれば壁から火が放たれ、矢が放たれ、落とし穴もかまえてあり、水攻めの用意もあり、とにかく化け物を撃退する装置を詰め込んであります。もちろん、劇場に来たお客様の安全対策も万全です」 「へえー。からくり屋敷みたいな劇場なんだ」  ちょっと怖い気もするけど、行ってみたらわくわくしそうだ。 「新しい劇場、『からくり座』のお披露目は四日後に控えております。既にたくさんのお客様がこけら落としに立ち会おうと、各地から訪れております。お披露目までのこの四日間は、全国から集まった様々な役者が、連日「小劇場」で舞踊や劇を上演されます。前日までに街を大いに盛り上げようということですね。そのなかで藤子様は本日、『藤娘』を踊られる予定です」 「『藤娘』って、踊りなの?」 「そうです。藤子様の司る演目、原点にして最高の舞いです。そして、藤子様が舞台に立たれている間、菊之助様と五郎様には劇場の護衛をしていただきたいのです」 「なるほどな」  菊之助が頷いた。 「もしかするとだが、親方は『鬼が来る前提』でこの数日を過ごす気なのかもしれねえ。一つの街に役者の『弁天小僧菊之助』、『藤娘』、そして五郎がいて、しかも今は力の使えない親方もいる。こんだけ役者が揃ってれば、一網打尽にしようって鬼が考えてもおかしくねえぞ」 「……寛和なら、やりかねないかも」 「ああ。鬼はとにかく強い役者の力を大量に欲しがってる。あの寛和とかいう奴もその典型だ」  寛和が大量に掲げていた『札』のことを思い出す。彼の背を守るようにして張り巡らされていた役者の『札』。 「……でも、俺たちだけで大丈夫なのかな……」  やっぱり、つい弱音を吐いてしまう。 「お前、そういう悲観的なのマジでやめろよな。鬱陶しいから。親方がいるのに大丈夫じゃないわけねーだろ、ほんといい加減にしろ」  女の姿のままで菊之助に怒られると、これはこれで怖い。  そのあとも三人で座ったまま話していたが、ふいに黒子が言った。 「そういえば、五郎様の『役名』は、一体何になるのでしょう? どちらの役を担われているのですか?」  そう問われて、そういえばまだ彼には話していなかったなと思った。 「……俺に生まれた『札』には、なんの名前も書かれてないんだ」 「そう。こいつはなんでかわからないが、役者になったときから『無名』だった」 「ほほう? そんなことがあるのですね」 「ああ、だから仕方なく、元の名前の『五郎』のまま呼ぶことにしてる。役名が決まってれば、そいつを役名で呼ぶことになるんだけどな」 「無名の五郎様、ですか……。……『五郎』……?」  黒子は急に腕組みをすると、小声でぶつぶつと何かを呟き始めた。 「ということは、もしや……あの方が……?」  何か、俺の名前に心当たりがあるのだろうか? 「どうした?」 「あ、いいえ、なんでもございません!」  黒子はいつもの明るい声に戻って、道の先を指さした。 「この道の先に、もうすぐ見えてまいりますよ。あちらが藤の都です!」  黒子がそう言ったとき、どこからか、あたりに不思議な甘い匂いが漂い始めた。  荷馬車が進むにつれて、その香りはどんどん強くなる。  次はどんな街が待っているのだろうか。 *** 「うわあ……」  馬車が藤の都に入った途端、俺は思わず声をあげてしまった。  道の両側が、街路樹のように植えられた藤の花の木で埋め尽くされている。一面、しなだれた淡い紫色。街中が花で彩られて鮮やかだ。さっきの道で感じた甘い香りは、花の匂いだったのか。 藤の花の他にも、桜、梅、椿、牡丹、と、まるで四季が全部いっぺんに来たみたいにしてありとあらゆる花が咲いている。ここは不思議な世界だから、そういうこともあるんだろう。  建物にも花が飾られていて、行き交う人たちの着物も華やかだ。  昨日いた『木挽町』は、「大きくて賑やかな商店街」みたいな街だった。  それに代わって、今いる『藤の都』は、いわば「花の歓楽街」だ。  木挽町も人がたくさんいたけど、藤の都は木挽町よりもさらに人が多い。  見渡すと大きな宿屋が多いから、観光地的な感じなのかも。街の人たちはみんなおめかししていて、遊びに来てますよっていう雰囲気がある。 「綺麗なところだね……」  俺が感動していると、菊之助が言った。 「そうね。ここの景色はこの辺で一番なのよ。何度見てもね」 (……)  菊之助、人目があるのでさっそく『女装モード・お菊』に入っている。話し方も声のトーンも一気に女になった。さっきまで短気な青年だったのが嘘のようで、なんかちょっとげんなりする。  と、そのとき馬車がゆっくりと止まった。 「お菊様! 五郎様!」  馬車の下の方から声がしたと思ったら、そこに待っていたのは黒子だった。俺たちと一緒に乗っていた奴とは違う、別の黒子だ。 「お迎えにあがりました。ここからはわたくしがご案内させていただきます!」 「おお、待っていたぞ! 迎えに来てくれて助かった」  俺と一緒に来た方の黒子が、藤の都にいた方のもう一人の黒子に話しかけた。二人とも、身長も声も着ている服も全く一緒で、どっちがどっちなんだか区別がつかない。 「黒子って、一人じゃなかったんだね」 「そりゃそうよ、黒子は大人数で私たちの手伝いをしてくれるんだから。この人たちに個体差はないけど、それこそ何十人とか、下手したら何百人とかいるんじゃないかしら」  うわあ。それはすごい。  そして、黒子一人一人の区別がつかないというのがまた、なんとも怖いような、不思議なような。 「さあさ、目的の小劇場までは歩いてすぐです。そこで親方様が待っておられますよ。参りましょう!」  俺たちはそこで馬車を降りて、意気揚々と歩き出す二匹の黒子についていく。  にしても、本当に人が多い。まるで大都会の交差点みたいだ。俺は背の低い黒子を見失わないように、注意しながら進んだ。 「親方に、お土産のひとつでも買ってくれば良かったわね。もう何か月も会ってないもの」  しなやかに足を進めながら、菊之助が袖を口元にあてて話す。 「親方様は、きっとお菊様のお顔を見るだけで喜ぶはずですよ!」 「うふふ、そうね」  黒子の返事ににっこりと笑う菊之助。その姿はどこからどう見ても完璧の女なんだけど、なんか、こう……。 「菊之助ってさ、やっぱ昔から女装が趣味だったりするの?」 「あ?」  突然低い男の声に戻った。 「ちっげえわ! これは仕事だからやってんの。俺の『役』がこういう役だから、仕方なくやってるだけに決まってんだろ」  突然地雷を踏んでしまったらしく、ものすごく目が怒っている。 「勘違いもほどほどにしろよ。マジで殺すぞ」  そ、そこまで言わなくても……。  そのとき、近くを通りかかった華やかな着物の女子二人がこちらを向いた。 「えっ? ねえ今の声、菊之助様じゃない?」 「嘘? どこどこ?」  女子のうちの片方が驚いた顔でこっちを指さす。 「あっ! 菊之助様だ……!」 「こんなところでお目にかかれるなんて!」 「げっ」  どうやら菊之助が男の声を出したので、ばれたらしい。 「もしかして、これから劇場で公演されるんですか!?」 「あーいや、そういうわけじゃ……」 「菊之助!? 菊之助が来てるのか!?」 「本当だ、本物の菊之助様がいるぞ!」  ものの五秒もしないうちに、大騒ぎが始まってしまった。  道端だというのに、あっという間に人だかりに囲まれる。どんどん増えていく人、人、人。皆菊之助を見ようと、押し合いへし合いになってこちらへ押し寄せてくる。 「ちょっ、おい、黒子これどうにかしろ!」 「皆様お下がりください! 菊之助様はこれから行くところが……!」  そういう黒子の姿も、いつの間にか人に揉まれてどこに行ったかわからなくなっていた。 「黒子、どこ!?」  わあわあと押し寄せる人に押され、踏まれそうになって、流されて、気づけば菊之助の姿も見えない。完全に引き剥がされてしまった。 「あ、あれ……?」  巨大になっていく人だかりから押し出されてもなお、人通りの多いこの道。 「すいません、通してもらえますか! すいません……!」  人波の中でもがき続けること、数分。  ようやく菊之助が最初にいたところに戻れたが、そこに彼はいなかった。  二匹の黒子も、両方ともいない。  周辺をぐるぐる回ってみても、それらしい人影は見当たらない。 「……うそでしょ……?」  あたりを見回しても、知らない風景、初めて来た場所、顔もわからない人々。  これって。 「迷子……?」  この美しい街で、俺は一人ぼっちになってしまった。
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