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「由」  話しかけてくれるな、という思いは案の定円に届くことはなかった。にっこりと微笑みながら内心で舌打ちをする。兄と会うのは中学の時に一回会って以来だ。  あれからお互いに背も伸び、顔だちもずっと大人に近づいた。黒の短髪に、シルバーフレームの眼鏡。襟元のボタンを一つ外す以外に着崩していない制服は硬派な印象を与えた。 「久しぶり、由。元気だったか?」 「やぁ、円。お陰さまでね」  ニコニコと笑う俺と、口角を軽く緩ませる円。嫌でも双子だと分かってしまうそっくりな顔立ち。食堂にいた生徒はみな一様にざわめいた。 「桜楠さまのご家族……?」 「ほら、今年編入なさった椎名さまだよ。桜楠さまの双子の弟さん」 「金髪の桜楠さま……!?」 「風紀の椎名さまだってば!」  親しみやすい雰囲気を演出するために、片手を上げ緩く微笑んで見せる。きゃいきゃいと騒いでいた生徒は息を呑んだ。一瞬静まり返り、歓声が上がる。視線が俺に集まったのを感じる。小首を傾げ、「静かにね」とはにかみ言うと、口元を抑えコクコクと頷き答えてくれる。  円と同じ顔だからこういった類の連中は御しやすい、と自嘲する。 「ごめん、待たせた」 「いや、助かる」  お陰で話しやすくなった、と臆面もなく笑う円にイラつく。どうせお前にだってできるくせに。僻まれているとは露も知らない円は嬉しそうに話し出す。 「それにしても、どうして二年になってからこっちの方に?」  高校入学ならまだしも二年で編入は中途半端じゃないか?  考えなしの言葉にまた、ザラリとした感覚が蘇る。 「ダメだよ、円ぁ」  ふふ、と笑ってみせる。  ──無神経で、純粋で。本当に羨ましい。 「そんなこと聞いてさ。もし、俺が前の学校で虐められてたらどうするんだよ」  ぎくりと円は体を強張らせる。どうしようもなく鈍感で、考えなしで。少しは変わったかと思ったけどやっぱり変わってない。  イラつきを見せないように殊更笑ってみせる。 「まぁ、嘘だけどね。ジョーダン。仲のいい友達に誘われて入った高校だったからせめて一年の終わりまではってね。受験一週間前に桜楠高校の受験打診されても困っちゃうよねぇ」  ふっと空気を緩めてみせると安心したのか緊張していた円も俺につられたように笑う。 「そっか、じゃあ特別な事情があった訳じゃないんだな」  安心した、と続ける円。本当に、馬鹿な兄貴だ。事情があったとして、衆人環視の中でその内実を明らかにできるはずがないのに。仮に人がいなかったとしてもこいつにだけは話すつもりなどないが。 「じゃあ、その金髪は?」 「円、質問ばっかだな」  髪を一房摘まむ。キラキラと染めたばかりの金髪が艶めいた。 「これは──そうだな。円は黒髪って聞いたから。二人とも地毛だと学園の人、区別つかないかもだし」  冗談めかして言うと、円はクスリと笑う。 「円こそ、その眼鏡どうしたんだよ。いけてんじゃん。どこで買ったの?」  円は自分でも気に入っていたのか、少し得意げに店の名前を教えてくれる。ふぅん、と気のない返事をすると円は「自分から聞いたくせに」と怒ったフリをしてみせた。  ふと時計を確認すると、話し始めてから十分が経過していた。 「おっと、話しすぎた。円もそろそろ注文しないと食いっぱぐれちゃうな」 「ホントだ」  気付かなかった、と円は苦笑いする。 「じゃあ、放課後にな」  手をひらりと振ると、円は生徒会用の特別席の方へ向かっていった。  見送り、スマホから通販のページを開く。注文確定ボタンを押すと、心なしか疲れが一気にやって来たようだった。 「……椎名?」  ぼんやりとしていると声がした。振り返ると、心配そうな顔でこちらを見ている青がいた。椎名と呼ぶのは食堂で人目があるからだろう。 「どうした? 飯、まだ途中なんだろ?」  ハッとする。そういえば昼食の途中だった。テーブルに戻ると花井はもちろん、三浦と長谷川もすっかりトレーの上の器を空にしていた。 「ごめん、すぐ食べる」  慌ただしく昼食を再開する。一気にかきこんだ昼食は冷めてしまったせいでもそもそとしていて食べづらい。  青はカツ丼の乗ったトレーを片手に、しれっと俺の隣の席に座る。忠犬のごとく付き従おうとする青に呆れた目を向けるも、素知らぬ顔。いい根性である。 「いいよー、まだまだ時間あるし」  そんな俺と青の一連のやり取りを見ていた三浦は呆れ顔だ。一方花井の目はキラキラと青へ注がれている。  あぁ、そういえば花井、青の顔ファンだったな。長谷川も長谷川で目を輝かせている。  「チャラ男×風紀委員長……っ!」と何やら不穏な言葉をぼそぼそと呟きながらニヤニヤと笑う。危ない人だ。そんな三人を気にすることなく青はカツ丼を頬張りはじめた。  青も食べ始めたばかりだし、と待たせてしまうことを申し訳なく思いながらも食べるスピードを少し落とす。時間はまだ充分にあった。 水で喉に流し込んでいると、先ほどまではしゃいでいたのが嘘のように長谷川は静かな声で俺に質問をしてくる。 「ゆかりんはさぁ、───桜楠会長のこと、嫌いなの?」  問いも変化も唐突だったが不思議と驚きはなかった。花井と三浦の顔にも動揺はない。 「……あぁ、気づいちゃった?」  クスリ、と笑うと三人は困ったような顔をする。青は一人、痛そうな顔をした。お前がそんな顔をする理由はないのに。 「割と隠すの下手だったからね」 「そっか、うまく騙せたつもりだったんだけど」  円は気付いてないみたいだし。能天気な兄の顔を思い出し、笑う。思ったより乾いた笑い声が出た。  ハァ、とため息を一つ。他の人に聞こえないよう声を潜ませ、答える。 「うん、大っ嫌い」  ──あいつは真っすぐで素直ないい奴だからね。  笑うと、胸の澱がざわりと動いた。
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