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 すれ違った生徒に聞いたところ、困った来客は一年のフロアにいるらしい。保健室からだと中庭を通ったルートが最短だ。ここの中庭は物陰が他より多く事件の発生率も高い。ついでに見回った方がいいだろう。  植木の裏、ベンチの付近、百葉箱の陰。怪しいスポットを見て回るも、特に問題はなさそうだ。ほっと力を抜いた刹那、肩を引かれる。思わず息を詰めた。 「ゆ、か、りぃ~」  懐かしい声。するりと絡められた指先に手を弾く。バチンと肌を打つ音。振り向いた先の人物は弾かれた手をそのままに、僅かに背を反らせて立っていた。 「甲斐……、」 「や、久しぶりだね。昨日は随分とおモテになったようで?」  少し遅れて理解する。昨日、といえば例のイベントのことだろう。警戒心も露わに目を細めると、甲斐は楽し気にクスリと笑う。 「……ンでそんなこと知ってる」 「分かってるくせに」 「チッ、何人飼ってんだよ」  越の件もあったし、内通者の存在は視野に入れていた。が、まだいるのか。眉を顰めるも「秘密」と答えを躱される。聞いたところで信用もできない以上、深追いしても意味がない。ふと甲斐の手元を見ると、クレープ、唐揚げ棒、ヨーヨーと食べ物から景品まで色んなもので賑わっている。よくもまぁ、それだけの荷物を抱えて人の肩を引けたものだ。無駄な器用さに内心呆れる。 「……あげないよ?」 「いらねーし。何しに来たかと思えば案外満喫してんだな」 「ああ~。満喫、ねぇ」  まぁ確かに、と言葉を落とした甲斐に片眉を上げる。「まぁまぁ」と雑に話を流すと、甲斐はずいと身を乗り出してくる。 「で、由。なんで告白受けなかったのさ。夏目とかいう奴好きなんじゃないの」 「うっさ。ちげぇし」 「フーン。由、馬鹿だね。自分から不幸になってほんとに馬鹿」 「なにを、」  不意に胸元を掴み引き寄せられる。唇に熱が走る。眼前には甲斐の顔。 「は、」  唇の隙間から下が覗く。力任せに間近の胸元を押しのける。濡れた唇を手の甲で拭った甲斐は、にやりと口元を緩めた。 「まァ、そういう馬鹿なところがかわいいんだけどね」  地面に唾を吐き捨て、口を拭う。顔を顰めて見せるも、甲斐の機嫌は右肩上がりだ。糠に釘、暖簾に腕押し、甲斐に皮肉。実に不愉快だ。 「夏目久志つったら巷でいうとこの青狼でしょ」 「なんで知って、」 「金持ちの坊ちゃんがンなことしてるなんて誰も思わないから漏れてないだけ。その気になって調べればこれくらいのネタ、すぐに上がる。にしてもまさか夏目のとこの跡取りが暴力沙汰とはね。笑える」  一歩、甲斐が近寄る。 「教えてよ。――どうして、振ったの?」 「……しつこいな」 「いいじゃん。それ聞いても俺がどうこうできる訳でもないし」  覚えのあるやり取りに眉を顰める。 「何がそんなに気になるんだよ。振らなかったとしてもどうせ一緒になんていられねぇ。どのみち結果は同じだ。馬鹿やってても跡取りなんだから」 「あぁ、それが理由?」 「……だったらなんだよ」 「いや、やっぱり馬鹿だなと思って」  ――付き合う前から一生一緒にいるつもりなんだ?  笑いを含んだ声にかッと体温が上がる。羞恥心に顔を伏せると、甲斐の手がそっと頬を撫でる。甲斐の歩み寄る気配を感じた。 「ねぇ、由。俺にしとけば?」  声が耳元で聞こえる。 「は、ぁ? 意味わかんね」 「意味わからない? 本当に?」  動揺に声が揺れた。意味は分かる。何を考えているか分からないが。 「お前、俺が好きなの」 「………好き? 好きとかじゃないけど」  あっさり否定した甲斐は言葉を探すように首を傾げる。 「俺は由で、由は俺……。みたいな」 「いや違ぇだろ」  分かってないなとでも言いたげに甲斐は鼻を鳴らす。俺は俺だし甲斐は甲斐だ。何言ってんだか。 「そういう気がするって話、……げ」  スマホを見た甲斐の眉間に皺が寄る。 「はい、甲斐です。……それはすみません。坊は今どちらに? へぇへぇ、すぐ参りますよ。しばしお待ちを」  電話を切った甲斐は長い溜息を吐く。 「……由。一年S組ってどこ?」 ***  一年生の教室エリアは他と一線を画した賑わいを見せていた。出し物が盛況、というよりは事件に対する野次馬で混雑しているようである。 「あっ椎名様! お疲れ様です」 「……お疲れ様」 「椎名様だってよ」 「うるせぇな」  背後で揶揄う声に甲斐を睨みつける。この人だかりの先がS組だが……。おそらくは円もこの先に呼ばれているのだろう。混雑具合を見るにまだ騒ぎは収束していないようである。  ひょいと野次馬の山から顔を覗かせると人混みが割れ、人一人分の道ができる。事件を解決ではなく見物しにきましたとは言い難い空気。そりゃ俺は風紀副委員長だけども。お仕事の時間といえばお仕事の時間なんですけども!  後ろめたさを感じつつ状況を問う。 「今は会長が会話を試みていますがどうも暴れて手がつけられなくて……」 「市街地に猿が出たァ、ってか」  甲斐は軽口を叩きつつ人混みの間を渡る。見覚えのない人物に生徒たちは訝し気な目を向けるが、甲斐は気にせずズカズカと教室へ入っていく。 「坊~~、買ってきましたよォ」 「樹っ、遅いぞ!」 「や~ぁ、これでも急いだんですけどね。坊が頼みすぎなんですよ。クレープと唐揚げと……フランクフルトと? 持ってくるの大変だったんですから」  騒ぎの中心らしき人物は不満を言いながら甲斐にすり寄り腕を絡める。甲斐は薄っぺらい笑みを浮かべて会話する。出会った頃の嘘くさい雰囲気。うげ、と舌を出す。  二人から他へ意識を逸らすと生徒を背に庇い前に立つ円がいた。円は俺に気付くと、柔く小首を傾げて笑いかける。片手をあげて応える。 「……失礼、どちら様ですか」  円の声が甲斐の正体を問う。ああと嘆息した甲斐は食べ物をさり気なく『坊』に渡し姿勢を正す。 「俺は甲斐樹。ここの坊ちゃんのお目付け役です。で、この坊ちゃんは八島(ヤシマ)組の跡取りの八島一国(イッコク)サマです。この度は坊がご迷惑をおかけしたようで申し訳ございません。ほォら、坊も謝ってくれません?」 「だって! 俺悪くない!」 「坊も反省しているようです。すまなかったと言っています」 「言ってねぇ!」 「うっせ! 問題ばっか起こしやがって! 帰りますよ!」  ええ~やだぁと駄々をこねていた八島だが、ふと様子を見守る俺の姿に目をやるなり黙り込む。しっかり抱え込んでいた甲斐の腕を離し、俺の下へと歩を進める。 「おにーさん。あっちの人と顔、似てるねぇ?」  ぞくりと背筋が粟立つ。声の響きに悪意を感じる。静かに、密やかに。人の弱点を抉りだそうとするかのような。  ――極道の連中には関わらないようにしなよ。あいつらに関わると面倒だから。  ――そ、あいつら。……なぁに? ついに俺に興味でも出た?  今になって甲斐の忠告の意味を理解する。暴れ狂う心臓を宥め、口元に笑みを浮かべる。 「双子だからな」  言葉少なな答えに八島はフンと鼻を鳴らす。 「つっまんな。髪色からメガネまで逆いってるから似てるの嫌なのかと思ったのに。――ああ、でも」  多少は傷ついてくれたかな。  握っていた手を掬われる。 「震えてンね」  ピクリ、指先が反応する。しまった、やらかした。  思い通りのリアクションが得られたためか。八島の目が三日月型に細められる。毒を孕んだ眼差し。背中に冷や汗が滲む。  八島の指先が俺の顎を掴む。体が強張って動けない。接吻をするかのような甘やかな動作をもって顔が寄せられる。吹き込まれるのは悪意の塊。 「樹のこと、返してもらうよ」  にやり。迫った顔は触れることなく離れていく。 「じゃ、来年からよろしくな!!!」 「すみません、坊が壊した分は後で請求書送ってください。払いますんで……って坊、ちょっと勝手に行くのやめてもらえませんかねぇ! あ~もうッ、待てっつってんだろ!」  慌ただしく嵐が去っていく。こうして、文化祭は幕を閉じた。少しばかりの澱を残して。 【六章へつづく】
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