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ボタンを押す。ガコンという鈍い音とともにペットボトルが取り出し口に現れる。
「ほい」
「ありがとうございます」
買ったばかりのスポーツドリンクを手渡すと木下は律儀に頭を下げて礼を言う。ごくり、水を流し込むと思考がクリアになる。
「に、しても暑いな…」
「なんだかんだ駆け回ってますからね」
イベントで警備も行き届いているから事件が起こる可能性はないと思っていた。だが現状を鑑みるに考えが少し甘かったようだ。
制裁や暴行事件は今のところ予想と違わず起こっていない。が、どうやら人気な生徒──特に親衛隊持ちの生徒が鬼に執拗に追いかけられているようなのだ。
逃げる側にも、一緒に逃げるという名目で追いかけ回している生徒がいるようで、親衛隊持ちはかなり疲弊している。足がもつれ怪我をしたり貧血で倒れた生徒もいた。
普段は大人しい非公式の親衛隊もイベントにはしゃいで羽目を外しているようである。
予想外の事態に風紀もてんやわんやだ。見かけ次第怪我をした親衛対象の生徒の保護をしているが手が回っていないのが実情である。
「ハハハ~! 捕まえてごら~んっ」
「江坂様~っ!!!」
目の前を集団が通り過ぎる。江坂は特に怪我もなく元気そうだ。寧ろ開始から結構な時間が経過しているはずなのに楽しそうである。コイツは保護しなくていいだろう。
振り返ると、後ろ向きに走っていた江坂と目が合う。江坂は俺に気づいて手を振ってよこした。軽く手を振り返すと、彼はまた親衛隊をおちょくりながら走り出す。楽しそうで何よりだ。
このままコイツが逃げ切るのはなんか面白くないので親衛隊には是非頑張ってほしい。
旧校舎の方に向かうと、木陰で休む長谷川、花井、三浦の姿。
「ゆかりんお疲れ~!!」
「あ、椎名だ」
「……お疲れ」
あれおかしいな。逃げる生徒の方がもっと疲れているはずなんだけど。見る限り3人の顔に疲労の色はない。
「……ミネコでも使った?」
「残念、新しい子はヨシエ」
試しに三浦に尋ねると割とどうでもいいところを訂正される。
「他にもキミコとイチカを使ってるんだよ!」
「バカ、バラすな」
なんだろう、ヨシエが盗聴器で、キミコとイチカが隠しカメラだろうか。三浦の手元のパソコンから察するに、校内の監視カメラもハックしてそうである。
「……場所分かったら風紀の方で回収するからこっちにバレないよう上手くやれよ」
俺の言葉に小さくガッツポーズする三浦と長谷川。対して少し意外そうな顔をしたのは一緒に見回っていた木下だ。
「いいんですか、先輩」
「いいとは言えないけど、場所分からん限りはどうにもできないしなぁ」
「ま、そっすね。俺は何も聞いてないことでよろしくお願いします」
「ハイハイ、了解」
これが神谷だったら「規律をもっと重んじてください!」とか噛み付いてきそうだ。想像して思わず笑う。
「じゃ、俺たち行くから」
「あ、待って」
三浦が手元のパソコンから顔を上げ俺を呼びとめる。
「今中庭の生垣に桜楠会長が隠れてる」
ふぅん? と視線をやると三浦は苦々しそうな顔をする。
「……足、怪我してるみたい」
耳元のピアスに触れる。これを告げるのにも気を遣わせているのに更に気を引くような真似をするつもりはなかった。内心と裏腹にニコリと笑ってみせる。
「ありがとう三浦。じゃあ俺達は対象生徒を保護しに行くから。3人はこのまま頑張って」
ニコリと告げると、緊張した表情をしていた三浦と長谷川は安心したように顔を緩めた。
「じゃ、行こうか木下」
「はい」
「お仕事頑張れ~」
3人と別れるなり走り出す。
「木下ッ! 先行く!」
「はい! すぐ追いつきます!」
足の骨が軋むほど全力で走る。ギュンギュンと景色が変わる。髪が後ろに流れる。風が額を撫でるのが少し鬱陶しい。右腕に付けた風紀の腕章が揺れる。
中庭に着くと親衛隊がたむろしていた。これでは円を保護したくてもできない。親衛隊をどかさないと暴動が起きそうだ。
一先ず親衛隊を他の場所に誘導したほうがいいだろう。
「君たちどうしたの? 親衛隊かな?」
「はい、桜楠円親衛隊です。椎名様は桜楠様をご覧になってませんか?」
隊長らしき生徒が俺を見上げているためか胸を張るような姿勢で聞いてくる。
「円? 残念、見てないなぁ。探してるんだ? 怪我しないようにね」
さり気なく中庭から見送るような言葉を掛けると、親衛隊は礼を言って中庭を去っていく。
ヒラヒラと手を振って見送ると、親衛隊もニコニコと手を振り返してくれた。円の親衛隊だから殊更俺の顔に甘いのだろうか。あっさり誘導に乗られて拍子抜けだ。
生垣の裏を覗くと、三浦の言の通りに円がいた。地面に直接座り込み、足首を抑え俯いている。横顔は真っ青で相当に痛そうだ。
「……円」
声を掛けると顔をパッと上げる。
「由……」
いつもの無表情は崩れ去っている。俺は知っている。円の表情がコロコロ変わるのは家族の前だけだと。円の顔は今や泣き出す寸前まで崩れていた。
「なぁ由、どうしよう」
──俺、足挫いちゃった。
「会長なのに、」という円の弱り切った声はどこか他人事のように耳に届いた。
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