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「……あなたには関係のないことよ」
先生は明らかに、教師として、僕にそう言ったのではない、と思った。
彼女はもう「数学の植野先生」ではなく、別れた恋人との関係を他人に勘繰られ不快感をあらわにする一人の女性だった。
僕は少し動揺してしまった。今までの人生で、大人から、こんなにも気遣いのない怒りを向けられたことがなかったからだ。
僕は唇を噛みしめた。自分の手のひらが、急速に冷たくなっているのがわかる。でも、負けるもんかと思って、爪が食い込むほど強く握りしめた。
だって、それでも、どうしても、僕にだって言いたいことがある。
「中谷先輩は、自分がレズビアンであるという噂が流れたことで、それを否定するために先生と別れ新しい彼氏を作ったんですよね」
先生は僕を睨んだまま、何も言わなかった。
その沈黙を僕は肯定として受け取った。
「先生は、それでいいんですか」
そのとき、先生の目の中にはっきりと、純粋な驚きの表情が浮かんだ。
意外そうな顔をして、僕のことを見つめている。
「僕は別に、先生と中谷先輩の仲を言いふらしたいわけじゃない。ただ、他人の目を気にして、中谷先輩が一方的に別れを切り出したんだとしたら、そんなの勝手すぎると思いました」
僕は一息にそう言った。
『先生とは、もう会いません』と書かれたあの手紙を、あの図書室で、たった独り本棚の陰で読んだ植野先生は、一体どんなことを思ったんだろうか。
その後ろ姿を想像すると、僕はどうしても、中谷先輩に対して憤りを感じずにはいられなかった。
「そんなの、そんなの……」
もっと何か、先生の心に訴えかけられるようなことを言わなければ、と思ったけれど、頭がパンクしてしまって言葉が出てこなかった。僕は酸欠の魚みたいに口をはくはくさせていた。格好悪すぎる。顔が熱くなっていくのが自覚できた。猛烈に恥ずかしかった。
そんな僕を、植野先生はただじっと見つめていた。
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