一章 エメラルドの瞳

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 閑静な住宅街を抜け、川に沿って作られた歩道を小走りに通っていく。  五月初め。川沿いに続く街路樹の、柳の緑がきれいな季節だ。だが、今の翼に緑を愛でている余裕はない。  しかし、ふと何かを感じて彼女は一瞬、足を止めた。振り返り、一本の柳の木を見上げる。風が吹いた。  さらさらさらさら、さらららら…………! 「……」  いる。木の上に。  柳の葉と同じ色の長い髪をした、美しい女性が。十二単のような、豪華な純白の着物を着て枝に腰かけている。思わず息を呑むほどに神々しい。  柳の木の精霊である彼女は、翼に向かって優しげに、にこりとほほ笑んだ。翡翠色の瞳が細くなり、銀のかんざしが風にあおられてシャラン、と鳴った。  翼もまた口元をほころばせてから、その場を立ち去っていく。  小さい頃から、翼は不思議な者達を「見る」ことができた。他の人の目には映ることのない者達の存在が。世間ではそういう力を、霊感と呼ぶらしい。  翼は、見えたのが優しげな柳の精霊であったことに、ほっとしていた。  時には、おぞましい霊の姿が見えてしまうこともあるから。  やがて真新しい店が並ぶ人通りの多い通りに出た。そのとき、再び気配を感じた。  突如、ちっぽけな存在が足元を素早く駆け抜けていく。大きさは、ネズミよりは若干大きいような……モルモットや子ウサギくらいかもしれない。もちろん、翼以外の人達が気づいている様子はない。  それは、小さな老人──西洋の妖精物語に出てくるような小人だった。 (なんか……白雪姫のお話とかに出てきそう)  つい、まじまじと眺めてしまう。昔から疑問に思っていたことがあった。 (どうしてヨーロッパに住んでそうな妖精が、日本の町の美羽矢にいるんだろう?)  実はこれまでも、とんがり帽子の小人や金髪碧眼の妖精に出会った経験は山ほどある。柳の精のような和装姿の精霊や、日本風の顔立ちをした精霊もそれと同じくらい見てきた。 「なんでだろ?」  つぶやいてから再び小人に目を戻して……翼は凍りついた。  小人は手にいっぱいの木イチゴを抱えて、うろうろしているところだったのだが……何を思ったか、彼は信号も横断歩道もない車道をいきなり横切り始めたのだ。 「え、ええええ!?」  翼は真っ青になって思わず口元を手で覆った。  車道ではもちろん、たくさんの車が排気ガスを出しながら、ビュンビュン走っている。対して小人は、タイミングを見計らいながら、ずんずん進んでいくのである。 (な、なんて危ないマネを!)  ハラハラして見守っていたら、小人の手から木イチゴが一粒、ころりと落ちた。慌ててそれを拾おうとする小人。  そんな彼に迫ってくるタイヤの轟音があった。それに気づいて、はっとなる小人の表情が、翼の両目にはっきりと映った。
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