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* * *
「おっはよー、翼」
教室に入ると、友達の古川七海が手を振ってくれた。それに合わせて、シュシュでまとめたポニーテールが元気よく揺れる。
もうホームルームは終わったらしく、一時限の理科の教科書を机に広げていた。
「真部先生から聞いたよ、膝すりむいたんだって? 大丈夫なの?」
「おはよう、七海ちゃん。うん、平気だよ。大したことないって、小夜子先生が」
翼は七海の隣の席にスクールバッグを置きながら、なるべく自然な笑みを見せた。
「の割には、人生に疲れたー、みたいな顔してるけど」
さすがは七海ちゃん、と苦笑した。いつもながら鋭い。
「うん、まあいろいろと、ね」
本当に、何をどう説明したらよいものか。まあ、さすがに先ほどのことを説明しても信じてもらえるとは思えないから、話すことはできないけど。
「ふうん?」
翼の気持ちを察したのか、七海はそれ以上追及しなかった。そんな親友に、ありがとう、と心の中で告げる。
そして、ぺちん、と軽く自分の両頬を叩いた。とにかく、気持ちを切りかえよう。今朝のことは忘れるようにしよう。
(車不思議現象は、わたしの見間違いだった可能性もあるし。保健室でのことも、わたしが本当に貧血を起こしただけかもしれないし。きっと日頃の疲れがたまってるのね、翔がいつもいつも寝坊するからだわ)
若干、無理があるが、とにかく今はそう決めつけることにした。
席について、スクールバッグから理科の教科書とノートを取り出す。教室の前の扉がガラッと開いた。
「おーし、全員席についてるなー」
間延びした、やる気のなさそうな声で真部先生が入ってきた。眼鏡の奥の目にも、やる気の欠片すら見られない。
真部蔵人は、翼のクラス・二年三組の担任であり、理科教師だ。
三十代後半の男性で、いつも肩に白衣をかけ、つっかけで校内を徘徊している。全体的に、だらっとした印象だ。
背も高く、割と彫りの深い顔をしているため、無精ひげをそって服もきちんとすれば、だいぶ恰好よくなるはずなのだが。
「なーんか同じ白衣姿でも、小夜子先生と全然違うよねー」
「同感」
七海のつぶやきに、無駄にしっかりとうなずく翼。
女子生徒達の評価など知るよしもなく、真部先生は短い髪をかき上げながら話を進めた。
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