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月を愛して灯を徹する
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涼しい風が吹き抜けた。
夏の終わり、九月の夜は日を重ねるごとに気温が下がってきていた。昼間はあれほど暑いのに――陽が沈むと、半袖でも寒気を感じるほどだ。ベストくらい着るべきだろうか、クリーニングに出したっけか、などとあれこれ思いを巡らす。
小さく鼻をすすって、坂道を下る。隣には公園。幼稚園生くらいの時だろうか、よく遊んだ記憶がある。ぼんやりと電灯が立っているのが見えたが、月や星の方が明るい。空を仰ぎ、――嗚呼、今日は中秋の名月だったか。いつもより少し眩しい気がする。長く伸びる自分の影が、僅かに揺らいだ。
「いい月だね」
声は影から聞こえた。
「遠回りして帰らない?」
「寒いから、すぐに帰りたいんだが」
影に応えて、俺は一つ身震いした。「彼女」の口の部分に穴が空いて、ぱくぱくと動く。風邪かしら――季節の変わり目だしな。俺は心の中でそう返す。
「倒れないか、心配だわ」
「影でも心配事はあるんだな」
「やっぱり、早く帰りましょ」
「いいのか」
「私が看病できたらいいんだけど」
「世話にはなりたくないな」
まさか、俺と入れ替わるなんてことはないよな――。冗談めかして、そう尋ねる。
「まあ、色々あるのよ」
いつもそうしてお茶を濁すだけである。影というものには表情というものがないためか、何を考えているのかと推測することは難しい。だが、何となくではあるが、彼女の機嫌や表情は推察できた。
だから、俺は目線を地面に下げて、こぼすのだ。
「そうか、色々か」
別段何をしてくるというわけでもない。たまに話しかけてくるだけの存在だ。だから俺も、それほど気にしない。うやむやにされても、それ以上は聞かないようにしている。この関係が、俺は心地よかった。
後ろからエンジン音が聞こえ、俺は歩道側に移動した。影が長く伸びて、残像を作り、二重三重と影は増える。車が通り過ぎると、それはまた同じように一つ像を結んだ。
「昔、影法師が怖かったの」
ふと、影がそう言っていた。
「影なのに、か」
「影なのに、ね」
自嘲するような言い方だった。俺は少し訝しんでから、影法師、と言っていた。どこかで聞いた話だ。先ほどの公園が一瞬頭をよぎって、すぐに忘れることにする。考えないほうがいい――過去のものだ、もう彼女はいない。
「私の後ろをずっとついてくる影法師が、怖くて」
今は私がそうなんだけど、と付け加えた。俺はそれに聞こえなかったふりをして、我ながら下らない言葉を返す。
「影にも影法師が?」
それに対する彼女の返答はなかった。
「まあ、昔の話だけどね」
「何が言いたいんだか」
そうだね、と彼女は笑ったように感じた。
「私は、覚えてるよ」
「そうか、俺は覚えていない」
視線を下げることは、できなかった。
「そっか」
嘘つき、と影は嬉しそうに言った。
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