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【 登場人物 】
松崎拓生 (24) 一流企業勤務
佐々木優華 (22) レストラン経営
山梨爽太郎 (25) 学習塾経営
山東彩夏 (23) スイーツショップ経営
とある場所に洗脳の書という名のラブレターがある。
一冊が百科事典ほどあり、それが三十冊分という途轍もない文量だ。
優華が俺に送ってくれたものなのだが、俺が優華をいじらしく思い、優華を妻に、などと思わせるために爽太郎と結託して認めたものだ。
優華が爽太郎の学習塾に通い始めた3才の時から、優華は特別コースに入っていたという。
それは記憶術を試験的に優華で試していたようで、元来の性格からなのか、爽太郎の思惑通りに優華は全てを完璧にマスターした。
優華の恐るべき能力もさることながら、たった6才で優華を仕込んだ爽太郎にも驚いてしまう。
もっとも、俺の高校大学の入試も、爽太郎に世話になった口で、俺の望み通りのレールに乗ることができた。
この洗脳の書を約ひと月かけて読み終えたのだが、俺は特に洗脳されることなく、今まで通りの俺だった。
だが、この書を読みたがった彩夏が洗脳されてしまい、今までただの幼なじみだった俺に彩夏がほれてしまったのだ。
しかし何とか今まで通りの友好関係を取り戻して、幼なじみ仲間崩壊の危機は脱した。
実はこの書の十分の一ほどに、彩夏が俺にほれるポイントがあった。
それは俺のことあるごとの行動と推理だ。
俺の先祖に名探偵がいたわけでもなんでもないのだが、―― なんとなく… ―― という俺の思いが、全ての謎を解いた。
しかし、5才の時からいつもオレたちのそばにいた彩夏はこの事実を知らなかった。
よって事件の謎は全て、俺と爽太郎、優華の三人だけが知っていたことになる。
当事から優華はそんな俺にほれていたのかもしれない。
俺としては、誰よりも美人で清楚でやさしい爽太郎に惚れて欲しかったのだが、世の中それほど甘くはなかった。
やはり、同性という壁が大きく立ちふさがっているのだ。
爽太郎は性同一性障害などという疾病ではない。
存在そのものは女なのだが、男としての認識しかもっていない。
よって本人は、気に入った女性がいれば付き合うそうだが、25年間、そのような女性に出会えなかったはずだ。
爽太郎よりも完璧な女性は現れないだろうと、俺は当然のように思っている。
できれば性転換して欲しいところだが、これは俺のわがままであり、爽太郎自身が望むことではない。
本当に非常に残念なのだが、俺は初めて爽太郎が俺に惚れてくれることを神に願をかけたほどだ。
爽太郎の件はここでは脇に置いておいて、彩夏がどのポイントに食いついて俺を好きになってしまったのかを検証しようと思った。
俺は夕食を終えて、両親にレストランに行くことを伝えてから玄関を出た。
そのレストランは家の目の前にある。
ちょっとしたショッピングモールにあるようなレストランで、ファーストフードから高級料理まで全てそろっている。
駐車台数は300を超える、飲食店にしては巨大な施設だ。
このレストランの経営者は優華で、高校卒業後に親のあとを継いでからたった四年でとんでもないことになってしまった。
このグルメビルの一階はファミリーレストランで、俺たち幼なじみの常に予約席で指定席がある。
この時間にはほぼ確実に誰かがいる。
一日の疲れを癒やし、童心に返ろうという優華の想いがあり、実現したものだ。
平面駐車場は現在満車のようだが、立体駐車場にはまだ空きがあるようだ。
特に何も気になることもなく、俺は店の入り口の自動扉の前に立った。
店内に足を踏み入れると、もう三人が集まっていて、すぐに俺を見つけた。
俺はいつものように右手を上げて、あいさつ代わりとした。
しかし指定席にたどり着く前に事件が起きていると確信した。
視界に入った超高級車のスモールランプが点滅していた。
入り口にいた時にはついていなかったので、ほんの数秒の間に車の中にいる何者かがハザードボタンを押したはずだ。
だが人影は見えない。
よって、車の中にペットなどの動物がいるのではないかと考えた。
季節的にはもう涼しいので、車に閉じ込めておいてもほぼ問題はない。
店内が明るいので、車の中の様子はよく見える。
やはり何かがいる気配は感じられない。
俺はきびすを返して顔見知りのフロア係に、外に駐車してある高級車を調べてもらうように告げた。
スモールランプが点滅していることを確認した店員はすぐに外に出て、そして血相を変えてすぐに戻ってきてから、インフォメーションセンターに電話をした。
『お客様にお車のお呼び出しを…』
放送があってすぐに、二階からこちらも血相を変えた中年の身なりのいい女性が降りてきて、チーフの店員とともに走って外に出た。
女性は車のドアを開けてすぐに、妙にぐったりとした小型で薄茶色の犬を抱き上げてから電話をかけ始めた。
さすがに犬の病気は治せないので、何とか助かるようにと俺は願って、携帯を取り出してある場所に電話をした。
一刻を争うことになるかもしれないので、登録していたので助かったと思い、俺はほっと胸をなでおろした。
俺の幼なじみたちも外の様子を見ていた。
なんとなくだろうが、事態を把握しているようだ。
俺は三人に近づいて、「助かるといいんだけどな」と言うと、優華が笑顔で俺を見た。
「拓ちゃん、やっぱりすごぉーいっ?」と優華は疑問形で言った。
これは口癖のようなものなので俺はもうほとんど気にならない。
「くっそぉー…
こういうことが五万とあったわけだっ!!」
彩夏が俺に鋭い視線を送ってにらみつけている。
そして、テーブルの上においてある、洗脳の書をバンバンと悔しそうにして叩き始めた。
「なぜ俺に知らせなかったぁ―――っ!!」と彩夏が言って、地団太を踏み始めた。
彩夏としては、できれば俺に蹴りのひとつも入れたいところだったはずだ。
まさにそういった眼をしている。
彩夏の場合はイメージというものがあるので、さすがに暴力は振るわない。
オレたちの指定席はガラスで囲まれているので、大声を出しても外には漏れない。
しかし、近くの座席にいる客が聞き耳を立て、彩夏を見ているのだ。
彩夏は俺たち四人の中で一番の有名人だ。
小学校を卒業するまでに、もうすでに天才パティシエと呼ばれていた。
ここまではよくある話なのだが、彩夏の場合はここで終らなかった。
かなりの話し上手で、しかも女優よりも女優らしく振舞うので、テレビ番組に引っ張りだこになった。
だが、この当事から仕事を選んでいて、料理系番組以外は出ないと彩夏本人が言ったのだ。
彩夏の両親は放任主義で、彩夏のしたいようにさせていた。
普通ならばここで、母親がマネージャーのようなことを始めるのだが、まったくそれはなく、知り合いの人材派遣会社にマネージャーを紹介してもらって、数々の仕事をこなした。
ついにはテレビドラマにも出るようになったのだが、それは実名で出演して、料理かお菓子を造り、楽しそうに話しをするだけのシーンだ。
『山東彩夏がドラマに出ると視聴率が上がる!』という都市伝説までできあがってしまった。
そして現在もなおそれは続いている。
よって、山東彩夏見物のためにここに来る客も大勢いるわけだ。
彩夏はずっとこの部屋にこもっているわけはなく、当然化粧室などにも行くのだが、当然のように従業員用のものを使う。
よって用事があれば、手の空いているフロア係が彩夏の付き人になって守る。
これは当然、優華の善意で行なっている。
どんなに有名人になったとしても、彩夏はここにいることを望んでいるのだ。
そして、絶対に彩夏の暴言を外に漏らすわけにもいかない。
さすがにイメージダウンになるので俺たちは気にするのだが、「そうなったらなったで、べっつにぃー…」と投げやりに言う。
もっとも、この近辺だけでも五軒の店を構えているオーナーパティシエなので余裕はある。
優華はその愛らしい顔を俺に向けた。
優華には特に特徴はなく、しいて言えば妹キャラであり、言葉使いが少々おかしいだけだ。
できれば俺の妹にしたいのだが、簡単に振られてしまった。
「…恋愛対象?」といつものように疑問形で言われてしまったのだ。
最近も言ったのだがその時にはシクシクと泣かれてしまったので、もう金輪際この話しはやめようと心に決めている。
「どこまでわかってたの?」と優華が聞いてきた。
もちろん、高級車の中にいた犬の件だ。
「今回は驚くべき事実はないぞ。
無人だった車にいきなり
ハザードランプがついたから気になっただけだ」
「…えー… 事件のにおい?」
「いや、入り口近くにあった車の状態を何気なく見ていただけだ。
車のバッテリーって、へたってしまうとあんま充電しなくなるからな。
機嫌よく帰ろうとしてエンジンがかからないと悲しくなるだろ?
せっかくここで楽しい時間を過ごしたのにな」
俺がいうと、「警備の人たちがチェックはしてるけどぉー…?」と、微妙なニュアンスで優華は言った。
「それもあって、ハザードがついたことが気になっただけだよ。
…でも、あの犬、大丈夫かなぁー…」
俺は言ってから外を見ると、この一階に併設しているペット同伴喫茶の店長が走ってやってきた。
診察セットのようなものを手にしていると感じた。
今はしゃがんでしまったので様子をうかがえなくなった。
するとかすかに、「…キャンッ!!…」という犬の鳴き声が聞こえた。
「腹減って食えないものでも食ったんじゃね?
それをのどに詰まらせて座席の上に立って、
前足がハザードのスイッチに触れてから、床に倒れこんだ」
俺が言うと、三人はいきなりガラス張りの囲いの外に出て、店の出口に向かって走って行った。
三人は俺の話したことの確認に行ったのだろう。
外にいる三人ともしゃがんでしまったので様子がうかがえなくなったが、優華が立ち上がってから飛び上がって喜んでいる様子が見えた。
どうやら正解だったようだ。
だが、ハザードに気づいていなかったらと思うと、背筋に震えが来た。
しかし助かってよかったと、俺は外の様子を見ながら笑みを浮かべていたことだろう。
すると、三人は少し怒った顔をして、ペット喫茶の店長とともに、オレたちの指定席に入って来た。
「電話したの聞いてないよ?!」と優華が突然怒りながら言った。
「話す機会がなかっただけだよ…」と俺は投げやりに言った。
店長が、「あと数秒遅かったら本当に危ないところだったんです」と言って、俺に頭を下げてくれた。
俺はどう答えればいいのかわからなかったので、「あ、いえ、携帯にペット同伴喫茶の電話番号を登録しておいてよかったと…」と言うと、店長は笑顔で俺に頭を下げてくれて部屋を出て行った。
「ま、後味が悪くなくってよかったよな!」と俺が笑みを浮かべて言ったが、三人はまだ怒っている。
「あー、マズいな…」と俺は外を見て言って、どこかに隠れたくなった。
店長が犬の飼い主の女性と話しを始めたのだ。
「来るだろうなぁー…」と俺が言うと、三人は一斉に外を見た。
「しっかりと礼金もらってやれ」と彩夏は顔に似合わない悪辣な言葉を吐いた。
「別にいらねえよ…」と俺が言うと、やはりこちらに来るようで、犬をフロアチーフに頭を下げて預けてから、店長と一緒に店に入って来た。
そして、オレたちの指定席までやって来ると、優華が笑顔で透明の扉を開けた。
「本当に、本当に、ありがとうございましたっ!!」と女性は泣きながら言って、俺に頭を下げてくれた。。
「いえ、それはいいんですけどね。
一体何を飲み込んだんです?」
俺が言うと、「…細書きのマジックのフタです…」と店長が小さな声で言った。
「それは災難でしたね。
それだけが気がかりだったんですよ」
俺が言うと、女性はかなりバツが悪い顔をした。
「マジックを床に落としてしまっていたようで…」
―― マジックを何に… ―― と俺は考えていた。
―― 細書き… ―― と思い、女性の両手を見た。
「漫画やイラストのお仕事を?」と俺が言うと、「えええっ?!」とここにいる全員が驚きの顔で俺を見た。
「あっ! 申し訳ございませんっ!!」と言って、女性はハンドバックから素早く名刺を取り出して俺に渡してくれた。
俺はもらった名刺を見てぎょっとした。
「あ、言わない方がいいですよね?」と俺が素早く言うと、「あ、はい、一応…」と言ってから、苦笑いを浮かべて優華たちを見た。
「あ、あなたはっ!!」と女性が言って彩夏の顔を穴が空くほど見ていた。
「山東彩夏です。
ここにいるのは私の幼なじみたちなんですよ」
―― おまえ、誰? ―― と思って俺は無性に愉快な気分になった。
今の彩夏が本物の山東彩夏だ。
オレたちといる時だけ、羽目を外すようになっている。
男言葉で話すことが、彩夏をリラックスさせるようだと俺はいつも思っている。
女性はかなりバツが悪そうな顔をして、彩夏にも名刺を渡した。
彩夏は名刺を見て眉を動かしただけだ。
さすがに人間ができていると、俺は関心の笑みを彩夏に向けたことだろう。
そしてすぐに彩夏も名刺を女性に渡した。
「美しい女性たちに囲まれていて当然だと感じました。
本当に、ありがとうございました」
女性は丁寧に頭を下げてから、店長とともに外に出て行った。
「…驚いたぜぇー…」と彩夏がここで過ごす本来の言葉で言った。
「言葉だけで伝えておこうか。
山崎俊次郎だ」
俺が言うと、優華と爽太郎は眼を見開いて俺を見た。
「超売れっ子の少年向けの覆面漫画家だな。
確実に男性だと思っていたが、実際は女性だったんだな。
子供のころはよく読んでたぜ」
俺が言うと、優華が俺をにらみつけた。
「…どうしてわかっちゃうのよぉー?」とここでも妙なニュアンスで、疑問形で聞いてきた。
「普通、車に裸に近い状態でマジックは持ち込まない。
しかも細書きだからな。
しかし絶対にないとは言い切れない。
だから、手の指を見たんだよ。
左手の人差し指と中指に、気合の入ったペンだこがあった。
だから、
漫画家やイラストレーターという職業がすぐに浮かんだんだ。
身なりや車からして、かなりの売れっ子」
優華は納得したようで、「はぁー?」とまるでケンカを売るような妙なため息をついた。
「ま、そういうことだなっ!」と言って彩夏が大笑いを始めた。
まるで自分が全ての謎を解き明かしたように上機嫌だったので、放って置くことにした。
すると、「俺はずっとこの快感を見過ごしていたのかぁ―――っ?!」と彩夏がいきなり怒って俺に言った。
「それはおまえのせいだ。
子供のころは特に、菓子造り以外には興味なかっただろ?」
俺が言うと、「うっ!! うう… うー…」と、彩夏は「う」しか言わなくなった。
「ボクだってそれほど知らなかったもんっ!!」と爽太郎が美人度を上げて俺に顔を近づけて言った。
―― あー、キスしていいかなぁー… ―― と俺はアブナイ道に入りそうになったので目を覚ました。
「別に隠してなかったんだぜ。
ただ偶然、となりにはいつも優華がいただけだ。
…ストーカー?」
「違うよ?」と俺の言葉は簡単にコケティッシュな笑みを浮かべている優華に拒否された。
「うおぉ―――っ!!
俺の菓子造りが俺の素晴らしいはずだった
青春の邪魔をしていたのかぁ―――っ?!」
彩夏が頭を抱え込みながら叫んだ。
「それはあるかもな。
おまえ、女らしくしていたら美人だからな。
特に菓子を造っているところ」
俺が言うと彩夏は一瞬喜んだが、少し考えてから思い直して、「それだと俺の青春を体感できねえんだけどなぁー…」と言って俺をにらんだ。
「そうなるよなぁー…」と俺が言うと、「くっそぉ―――っ!!」と彩夏は大声で叫んで地団太を踏み始めた。
俺はこの指定席が好きだ。
まさに俺の心のオアシスがこのガラス張りの部屋だ。
… … … … …
数週間後、優華が一冊の漫画雑誌を俺に見せてくれた。
山崎俊次郎がこの店宛に送ってきてくれた月間漫画雑誌だ。
どうやら読み切りの漫画が掲載されているようで、目次を見ると、『幼なじみたちの日常』とあった。
この読み切り漫画はオレたちのために描いてくれたようだ。
まさにあの日を再現したドキュメンタリー漫画だった。
しかも全てのせりふは俺が語ったものだ。
「うっ!」と俺はうなってしまった。
ページの先頭には、『原作:佐々木優華』と書かれていたのだ。
最終ページのひとコマに、山崎俊二郎からのオレたちへのお礼の文章があった。
それは手紙のように丁寧に書かれていた。
この少年誌も、俺の大好きなこの部屋に置いておくことにした。
―― おわり ――
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