第二連鎖 「ボクノナツヤスミ」

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第二連鎖 「ボクノナツヤスミ」

楽しかった夏休みも今日で終わりかぁ。 あっ、今日は日曜日だったっけ。 八月三十二日かぁ、そんなゲームをやったなぁ。 明日から、やっと新学期が始まる。 早く作品を皆に見せたいなぁ。 まぁ、かなりパパには手伝って貰ったけれど。 天気が悪そうだから、濡れない様に持って行かなきゃ。 彼は壁に掛けてあるプリントアウトした絵を見て頷いた。 それは見事な、ドット絵と呼ばれている種類のイラスト。 大勢の人物がゲームの中のアバターみたいに描かれていた。 その作品は夏休み中の自由課題である。 作者の彼は、ピクと呼ばれているだけの事はある。 写真のピクチャーと画素のピクセル、ダブルミーニングのニックネーム。 パソコンに写真を取り込んで加工するのが得意だった。 その絵は、クラスメイトの集合写真を基に描かれていた。 写真部のピクは、この作品の為に写真の持ち出し許可を得た。 クラスメイト個々の写真を持ち帰る為に。 何故なら彼はクラス全員を描きたかった訳ではない。 或る一人の少女の写真だけが欲しかったのだ。 それはクラスでセンターと呼ばれている少女。 アイドルグループで、よく使われる用語。 ショートカットでスレンダーでボーイッシュ 彼女はアイドルであり、センターに相応しかった。 ピクにとっては、学校全体のセンターでもあった。 課題制作を理由にして、彼女の写真を部屋に飾りたかったのだ。 彼女個人の写真の位置は、自分の本棚の目の高さにした。 まるで自分の為にだけ微笑んでいる様に見える。 これなら、自分のガールフレンドなんじゃないかと錯覚出来る。 この…夏休みの間だけでも。 全員のイラストを眺めながら、ピクは少しだけ違和感を覚えた。 最初は、それが何かは判らなかったのだが。 よく見ると或るクラスメイトの絵の色彩が…おかしい。 全てのキャラの瞳の部分は、黒いドットで描いた筈。 なのに彼の瞳だけが…不思議と紅く見えるのだ。 真紅である。 「あれは…誰だったっけ?」 あのイラストは、誰をモデルに描いたんだっけ? ピクは同じクラスなのにも関わらず、直ぐには思い当たらなかった。 その絵の少年に、これといった特徴が無かったからである。 集合写真では、いつも必ず隅に写っていた印象しかない。 「あぁ、いつもボスにイジメられているコかぁ…。」 それ以上の情報が、その少年については思い出せなかった。 ルームライトの反射角度で紅く写っているのだと思った。 描き終えたイラストの色が、変わる筈はないのだから。 だがしかし、それは確実に変化していたのである。 「疲れてんのかなぁ…。」 ピクは欠伸をしながら思わず呟いてしまった。 そして首を捻り、顔の位置を変えて時計を見てみる。 もうそろそろベッドに移動するのに絶好の時間。 その時計の横に置いてある鏡で、ふと自分の表情を見てしまう。 そこでは確かに、やや疲れた表情をしていた。 「寝不足かなぁ?」 ほんの少しだけ彼の瞳は充血していた、少しだけ…。 だが、その紅さは拡がっていた。 毛細血管が、とても不自然なぐらい蠢いている。 だが本人には見える筈もない。 ピクはベッドに移動して、枕に頭部を沈めた。 まるで身体から切り離すかの様に。 永遠の眠りに落ちて行くみたいに、意識の底に沈んでいった。 …その時である。 再び彼の作品に微かな変化が起きつつあった。 それは瞳が紅くなった少年のイラスト、…ではない。 ピクが思い出した、イジメている方のボスと呼ばれている少年の絵。 そのアバターの瞳も紅くなりつつあった…。 なりつつ…というのは、その瞳が朦朧と点滅し始めていたからである。 真っ暗な部屋の中。 真紅の瞳と、朦朧と紅く点滅し始めた瞳。 二組の紅く不穏な光だけが、ピクの寝姿を見つめていた…。 その紅く点滅している方の絵のモデルは、極度に興奮していた。 彼はクラスメイトに自分をニックネームで呼ばせていた。 …ボス。 しかし、そのメンタルは只のチンピラであった。 彼は憤慨していたのである。 新学期の前夜、イジメていた相手から電話が掛かってきた。 その内容は、もう命令には従わないというもの。 もちろん現金も持って行かないし今後も渡さない。 その口調には全く揺るぎが無かった。 被害者側の、最後にして最大の抵抗である。 ボスはイジメの激化を、その少年に宣言した。 一方的な宣戦布告である。 服従させないと気が済まない気性の、彼らしい応戦。 すると、在ろう事か少年は笑い始めたのだ。 その事実がボスを更に苛立たせていった。 一通り笑い終わった後に、少年はサラリと彼に言ってのけた。 「それなら、…もう死ぬよ。」 その一瞬、言い争っていた二人は静寂の中で停止した。 どれ位の時間が流れただろうか。 その互いに見えていない二人の間を、天使ではなく悪魔が通っていった。 ボスは口を噤んでしまっていた。 何故なら、言い返す言葉が全く浮かんで来なかったからである。 沈黙だけが積み重ねられていった。 その反応を受けてから、その少年は通話を切った。 ボスは固まったままスマホを握り締めている。 辺りを支配している静寂が、強風の音に塗り替えられた。 …ごうごう、…ごうごう。 台風が…恐ろしい事が、近付いている足音。 暫くたってからボスは急に怖くなってきていた。 少年の最後の言葉が、確実に彼の何処かに突き刺さったのだ。 まさか本当に死にはしないだろう…、死ねないだろう…。 だけど。 こんなに逆らわれたのは、生まれて初めての経験だった。 それで、そのメンタルは急速に臆病になっていった。 まだ母親は帰宅していない。 両親が共に仕事を持っているので、いつも彼は独りであった。 1階の商店街のテナントが、割り合い早い時間に閉まる。 なので遅くなりそうな時は駅前のスーパーで買い物をしてくるのだ。 話を誤魔化しつつ相談出来る自分の味方がいない…。 解消されない不安が急速に心の中に拡がっていった。 その眼は既に充血し始めている。 毛細血管が、増殖し蠢いている様に見えた。 だが、ボス本人には判る筈もない。 この俺を脅かすなんて、ふざけやがって。 …アイツが死ねる訳が無い。 アイツが死ねばアイツの大好きな母親が独りになってしまうから。 アイツは死ぬに死ねない筈だ。 それなのに、あんな台詞を吐き捨てるなんて。 …ふざけやがって。 ボスは学校が終わった少年と仕事帰りの母親を、よく見掛けた。 二人は親子仲良く夕飯の買い物をしていた。 二人共、いつも笑顔で楽しそうに話している。 それが羨ましかったのだ、そして憎らしかったのだ。 同じクラスになった途端に、その感情が噴出した。 …羨ましい、…憎らしい。 少年が学校でも態度を変えてこないとしたら。 これで自分がイジメの主犯だとバレてしまうかも知れない。 担任ならバレても大丈夫だ。 あのヘタレは何も出来ないし、何もしない。 見て見ぬ振りしか出来ないんだから。 だけどPTAの誰かにバレたら…、副会長のママにバレてしまう。 そうしたらパパにまで伝わるかも知れない。 ママに怒られる事は無いだろう、怒られた事も無かった。 だけど、…パパに怒られるのは嫌だ。 ボスは相手の少年が、どんな態度を取るのか探ろうとした。 もちろん本気で死ぬつもりなんて可能性は考えていない。 ただ最後の少年の通話のトーンが妙に気になっていた。 笑った後の声には、何の感情も籠っていなかったからである。 「チキショウ、何で言い返せなかったんだ!」 彼は、自分が少年の台詞に怯えた事をスッカリ忘れていた。 その少年の言葉が、パンドラの箱の蓋の鍵だったのだ。 パンドラの箱は開けられてしまったのである。 呪いが解き放たれてしまった。 それなら…、もう死ぬよ。 その最後の少年の言葉を反芻しながら、スマホのボタンを押した。 呼び出し音は続いている、だが少年が電話に出る気配が全く無い。 着信拒否でもなく、相手が圏外という訳でもない。 ただただ呼び出し音だけが続いている。 窓の外の風が一段と強くなってきていた。 ボスにも風の音だけが響いている。 …ごうごう、…ごうごう。 彼の頭の中か心の中か、…それとも。 呼び出しを掛けたまま、不安だけが増殖してパンクしそうであった。 明日からの新学期が、急に憂鬱になってきた。 このまま台風が酷くなって休校になればいいのに。 ボスのメンタルは、もはや崩れかけていた。 その時である。 携帯電話が繋がった、相手が通話ボタンを押したのである。 つまり相手は生きている、…という事は死んではいない。 やはり思い過ごしであった、考え過ぎであった。 ボスは急速に安心してしまった、不安も消えていた。 …と同時に笑い始めてしまったのだ、ヒステリックに。 そして、その笑い声を通話口に向けた。 「何だよ、死ぬんじゃねえのかよ!」 彼は通話口の向こうの少年を罵った。 そこから有りったけの罵詈雑言を浴びせ続ける。 暫く聞いていただけの通話の相手は電話を切った。 終始無言のままである。 何故なら、通話口の向こうにいたのは少年ではなかった。 かつて少年だった亡骸の、第一発見者だったからである。 通話を切られたボスは、とても気分が高揚していた。 相手が少年ではないなんて、思いも寄らないのだろう。 彼は明日、学校で思い知らせてやろうとだけ考えていた。 …その時である。 電話ではなくメールの着信音が鳴った。 ボスは差出人の名前を見て嗤った、件の少年からだったからである。 「何だよ、詫びか命乞いか…?」 彼は嗤い続けながら、そのメールを開いた。 文面には何も書かれていない。 メールに添付されていた写真を開いた、…開いてしまったのだ。 そこには二つの地獄絵図が描かれていた。 最初の画像を見て、瞬時にボスは凍りついてしまった。 それは、頭部だけの少年のデスマスクのアップ。 額にはボスの名字が刻まれていて、そこから血が流れている。 その血は涙の様に見えるが、表情は嗤っている様に見えた。 ボスに対して、少年が嗤い返しているのだ。 もう一枚は切断された首のアップである。 だが彼は一枚目しか認識出来なかった、…出来なくなっていた。 死人が自撮り出来る訳が無いじゃないか? あんな趣味の悪いアプリで脅そうなんてふざけてる。 ボスは必死に自分自身を説得しようとしていた。 しかし、それは無駄な努力であった。 何故なら彼の肉体は、写真が本物である事を判っていた。 身体中が震えて止まらなくなっていたからである。 その震えに我慢出来なくなった彼は電話を掛けた。 もしかして、あの写真が本物だとしたら。 電話を取らせるなら胴体だが、通話するなら頭部だろう。 予想に反して電話は直ぐに繋がった。 もうボスには状況判断力も理解力も無くなっていた。 ただただ感情を吐き出して、恐怖をどうにかしたかった。 「てめえ、こんな偽物の写真でビビると思うなよ!  明日、学校で殺してやるからな!」 早口で捲くし立て過ぎて、呂律が廻らなくなってしまっていた。 続けて出て来たのは、もはや言葉ではなく唸り声である。 恐怖という感情が理性を超えてしまったのだ。 …もう既に通話は切られていた。 かなり長い時間、高級なソファーにボスは沈み込んでいた。 後から後から溢れ出る涙を拭う事もせずスマホを握り締めている。 「…消去…しなきゃ…、…ママに…見られた…ら…。」 彼はスマホの操作だけを、文字通りに必死にしていた。 送り付けられたメールを写真を、消去したい。 ママにバレたくない、…無かった事にしたい。 もはや、その一念だけで蠢いていた。 だが、いくら削除を押しても消えてくれない。 写真もメール本体も。 その写真の中の少年の頭部が、嗤っている。 ボスは見たくないのに操作する度に目が合ってしまう。 …少年は嗤い続けている。 暫く続けて全身から冷たい汗が噴き出したボスは、次の手を考えた。 もう直ぐママが帰ってきてしまう。 もう時間は無い。 それなら…、スマホごと木っ端微塵にすればいいんだ。 彼の住居は団地の最上13階である。 ここから道路に落とせば砕け散るだろう。 ベランダで通話していて強風で落とした事にする。 パパなら直ぐに最新モデルを買ってくれる。 何と言ってもウチは裕福なんだから、壊してしまえばいい。 彼は唸りながら窓を開けて台風を迎え入れた。 粘度の高い風が湿気と共に部屋に流れ込んだ。 ボスは太った身体を揺すりながら風を掻き分ける。 スマホを乱暴に握り締めたまま。 そしてベランダに出て腕を振り上げて投げた。 だが、その腕は空を切っただけに終わる。 手が強張っていて、そのスマホは握られたままであった。 彼は落とすだけにしようと手摺から身を乗り出した。 それでも、この高さからなら充分スマホは壊れる筈だ。 強風で身体の固定にも力が必要であった。 身体半分を空中に置いて、腕を伸ばしスマホを差し出す。 予想以上に強張っている手は、思い通りに動かせなかった。 思い通りに動かない。 右手で左手の指を剥がし始める。 …小指…薬指…中指。 一本剥がし終える度に写真の少年と目が合う。 …人差し指…親指。 その時である。 遠く玄関の方から、彼の母親が帰宅した音が聴こえた。 焦った彼は不自然に振り向こうとしてバランスを崩した。 彼の望み通りにスマホが先に落ちて行った。 続いて彼自身も、手摺から強風の中に身体を投げ出してしまった。 それは彼の望みではなかった。 …では誰の? ベランダから滑り落ちていく瞬間に、屋上に人影が見えた。 …あの少年だった。 目を合わせた少年は嗤っていた、…嗤い続けていた。 ボスは頭上の少年のいる場所に降りていっているのだ。 加速を付けて。 これで彼等の夏休みは、永遠に終わらない事となった。 …八月三十二日。
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