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烏
帰りの車内は水を打ったような静けさで2人とも言葉を発さなかった。
榛名はまるで液体化した鉛に溺れているような感覚だった。
重苦しく身動きが取れない。
鼻腔に詰まった生ぬるい血の香りと重みが血管をゆっくりと流れていく。
自分の体の中に流れているものを再認識させるように。
手元にある資料は彼女が行なった犯行を鮮明に語っていた。
初めて見る遺体の写真は死んでいるというより眠っているだけのようにも見えてしまう。
その亡骸の美しさに一種の芸術性を感じ自分が狂ってしまったようだった。
致死量の血液が抜け落ちたあと完璧に止血され丁寧に血が拭き取られている写真の奥に死があるようには全く見えない。
「綺麗な遺体だよな。」
叔父の言葉にハッとする。
俺だけが感じていたことではないと思えたことが救いなのかもしれない。
「なんで犯人は残酷な殺し方をした後に綺麗な状態にしたんだろう。」
「俺が思うに、一種のトラウマにも見える。酷く汚れきった自分を精算しているんじゃないかって思っちまうよ。」
「何人も人を殺しておいて罪悪感があるってこと?」
「罪悪感というより…のんだ。俺の語彙力じゃ伝えらんねぇな。」
叔父は眉間にシワを寄せて悩んでいた。
確かにこの現場と彼女の心理を説明することは言葉では難しい。
「この犯人、多分篠崎さんなんだ。」
叔父が急ブレーキを踏み上半身をシートベルトが押さえつけた。
「この犯行が行われた次の日は必ず彼女の手から少しだけ血の香りがしたんだ。悪意を持った匂いとは違ったから僕も特には気に留めてなかった。
でもこの資料を見て気づいたんだ。彼女は悪意で人を殺してない。篠崎さんにとって人を殺すことは僕らが食材を刈り取るのと同じで一種の命に対する敬意なんじゃないかって。」
「だとしたらお前が惚れた女は酷く悲しい人間だな。刈り取った命よりも自分の命は価値がないモンだと思ってるに違いねぇ。もし篠崎が犯人だとしたら烏にヘッドハントされたんだろうな。」
「叔父さん。俺やっぱり彼女を助けたい。人として生きれなくなってしまった彼女を…」
叔父は俺の右肩をポンと叩いた。
「そしたら帰って作戦会議だな。久瀬ってやつの方も洗うぞ。久瀬から血の香りや匂いがしたことはなかったのか?」
「うん。なかったよ。あ、でも。教会で警察官が殺された次の日久瀬さんの手からは重い鉄の匂いがした。」
「まぁ、あいつらが教会の件も何かしら関わってるだろうな。そら、着いたぞ。」
車を降りると事務所からガスの匂いがした。
本来都市ガスに使われているガスは無臭だがガス漏れの判別が容易になるよう悪臭がするようになっている。
ガスコンロをつけたときに漏れるガスの匂いが事務所から漂ってくる。
「叔父さん、事務所がやばい!!」
「クソ!!榛名走れ!!」
俺が事務所に背を向けて走り出した瞬間だった。
映画で聞くような爆音共に事務所が吹っ飛んだ。
空間を焼いたような匂いと熱気が俺たちに覆いかぶさる。
衝撃で体は地面に投げ出される。
「クソが!!!」
地面にへばりついた叔父が叫んでいる。
叔父があそこまで感情をさらけ出したところを初めてみた。
俺はただ燃えていく自分ではどうにもならない現実を眺めているしかなかった。
黒い煙で覆われていく空は烏の支配を暗示させた。
自分の目の前で起こる非日常が烏の危険性を再認識させた。
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