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それから1年後。
「おい、正吾。ちょっと頼まれてくれないか」
仲間からに買い出しを頼まれ、正吾は腰をあげる。
長い間下を向いて作業していたので気分転換にはうってつけだ。
「お安いご用よ」
金子を受け取り、仕事場を出て大通りへと向かう。
季節は秋になっていた。
(そういえばそろそろ中秋の名月か)
団子屋の団子を見ながら、正吾はふとそんな事を思い出した。
今宵は仲間たちと団子でいっぱいやるか、と思いつつ、ふと絵双紙屋の軒先に吊るされた錦絵を覗き込んだ。
今どのような絵が売れているのか、絵師として気になるところだ。
ずらりと並ぶ役者絵や風景画。
一番目につきやすいところにおいてある絵は豊師匠と、ヨシのものだった。
あの騒動から、ヨシはすっかり人気絵師として地位を確立していた。
実際正吾が見ても、ヨシの独創的な画風は魅力を感じる。
師匠とて、ヨシを嫌って仲違いしたわけではない。
(二人が合作でもしたら最強なのになあ)
騒動前ののんびりしていた頃が懐かしい。
「郁さん、この絵よ。今評判なんだから」
背後から女性の嬉しそうな声がして振り向いた。
郁さんと呼ばれた男性は一枚の絵を見ながら顎をさすっていた。
二人は夫婦だろうか。仲良く笑いあっている。
「おお、こいつあ評判になるわ。色っぺえ」
「でしょ。女の私でも惚れちまうよ。顔を見せずにこんなに艶やかさが出るなんて」
絵を見ながら絶賛し合っている。
そんなに評判のいい絵なら、見てみたい。
「ちょいとお聞きしやすが、どんな絵なんで?お二人がえらく褒めてらっしゃるんで気になって」
思わず二人に話しかけると、手にしていた絵を正吾へ見せてくれた。
薄墨の空に朧月夜。
ぼかした蒼い海に月光が浮かんでいる。
そんな月夜を一人の女が障子を開けて眺めていた。
後頭部から描かれているため、顔は全く描かれて居らず、白く長い首筋が儚さを感じさせる。
漆黒の帯と紅絹の八掛。
見るものを惹き込む海の蒼と月光。
(こりゃあ…)
「良いでしょう?なんでもこの絵師さん、誰か分からないらしいのよ」
「噂じゃ、絵師はこの女に惚れてたが、女には他の奴が居てそれを分かって居ながら描いたとか。相当、横恋慕してたんだろうなァ。『人待ち月夜』てえ名前らしいぜ」
泣けるわあ、この絵が手に入ってよかったあと女は笑う。
この繊細で何処と無く頼りない雰囲気に、この色遣い。そして月を使った構図。
(…月次郎だ)
女を描けるようになったのか。
そしてその女に横恋慕して居たというのか。
話を聞きながら、再度じっと絵に見入る。
ふと白く長い首筋に黒い点があることに気づいた。
点は、3つ。
「この首筋の黒子がまたたまんねえなあ」
「あら、お兄さんもおんなじとこに黒子があるのねえ」
黒子を指さされ、正吾は目を見開く。
『ここに居ても描きたい絵はみつからない。欲しいものは…手に入らない。ならここに居る必要は無いんです』
あの日、月次郎が呟いた言葉を思い出す。
(まさか)
絵を見せてくれた二人に深々と礼を言い、正吾はそのまま摺師の勘七の所へ駆けていった。
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