第三章 寮

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「じゃあテンポ良く、時計回りにいきましょう。まずはあたしからね」  彼女はこほんと咳払いをして、にっこりと笑った。 「青山華(あおやまはな)です。皆からは華さんって呼ばれてます。影正さん、大河くん、よろしくね」  敬語は影正用だろう。長い茶髪を一つにまとめた派手な美人だ。無駄に色気が漂っているが、飾り気のない笑顔は好印象だ。 「で、この子たち。男の子が(れん)、女の子が(あい)。五歳の双子。ほら、よろしくーは?」  顔を覗き込むようにして華が促すと、双子は照れたようにはにかんだ。髪型が違うくらいで、顔は見分けがつかないほどそっくりだ。華さんの子かな可愛いなー、とさっきの恐怖をすっかり忘れて双子にへらっと笑顔を向けると、次の自己紹介が続いた。 「小泉夏也(こいずみかや)です。よろしくお願いします。好きに呼んでください」  声を聞いて驚いた。何と女性だ。背はあまり高くないが、スレンダーな体型に涼しげな顔立ち、黒髪のショートカットが爽やかで、男だと思っていた。無表情な上に抑揚のない口調が気になるが、冷たい印象は受けない。 「里見怜司(さとみれいじ)。好きに呼んでくれて構いません」  先ほどの眼鏡男だ。ベリーショートの髪型が、いかにも仕事ができそうな風体だ。ちゃんと開いているのかと思うほど糸目で声が少々ぶっきらぼうだが、こちらも冷たい印象は受けない。むしろさっきの態度で、この人もちょっと変わってるかもしれないと推測している。  隣が一席空いているのは、樹の席だろう。華が晴の隣を指差して言った。 「それ、成田樹(なりたいつき)。大河くん、さっきはごめんね。その人、術のことになったら人が変わるのよ。あんまり気にしないで、絡まれたら適当に逃げてね」  無理だろ、と思いつつ「はあ」と曖昧に返事をしておく。  先ほど間近で見た限りの樹の特徴は、目は据わっていたが鼻筋の通った綺麗な顔をしていた。櫛を通していなさそうな長めのぼさぼさの黒髪。ひょろりとした体型に見えたが、おそらく鍛え抜かれている。肩を掴まれた時、握力がかなり強かった。  そして、テーブルを挟んで続いたのは、京都駅まで迎えに来てくれた中年の男性だ。車の中で軽く自己紹介してくれた。 「改めまして、佐伯茂(さえきしげる)です。しげさんって呼ばれてるんで、そう呼んでください」  何か武道でも嗜んでいるのか。影正と似て姿勢が綺麗だ。中肉中背だが、優しそうな笑顔は七福神の大黒様を思わせる。影正が「先ほどはありがとうございました」と礼を言い、次に続いた。 「やっと来た! 俺、奥村弘貴(おくむらひろき)。高二。弘貴って呼んで、ください。よろしく!」  にかっと擬音がつきそうなほど笑顔が眩しいグッジョブ少年だ。高い身長と大きな口元が特徴的で、はきはきとした口調と日に焼けた肌はガキ大将という言葉を彷彿とさせる。 「松浦春平(まつうらしゅんぺい)です。同じく高二。春って呼ばれてるので、そう呼んでください。よろしくお願いします」  色白な肌に少しふっくらした体躯。話すスピードも皆より遅く、おっとりした雰囲気だ。 「樋口美琴(ひぐちみこと)。高一。よろしくお願いします」  少し癖がかった髪を顎のラインで切り揃えているくらいしか分からないのは、こちらを見ようとしないせいだ。人見知りだろうか、じっとテーブルを見つめたまま顔を上げようとしない。  そして隣は、例の刑事に組み伏せられた昴だ。さっきの、と言外に大河が表情を変えると、昴は笑みを浮かべた。 「えっと、さっきはありがとう。改めまして、朝辻昴(あさつじすばる)です。よろしくお願いします」  会合の時といい、酷く気が弱そうに見える。どこか怯えたような垂れ目が、余計その印象を際立たせている。 「いえいえ。こちらこそ、よろしくお願いします。怪我とかなかったですか?」 「はい。お陰さまで」 「良かったです」  笑顔を交わし隣に視線を移すと、今度は昴と一緒に茶を運んでいた少女だ。 「あ、の、野田香苗(のだかなえ)ですっ、高校一年です、よろしくお願いしますっ」  肩まで伸びた黒髪に、アーモンド形の大きな目が印象的だ。意を決したように一気に言い終えると、勢いよく頭を下げた。その様子を見て、大河は良く知った人物を思い出した。これはアレだ。ヒナキと同じタイプだ。影正もどうやら同じことを思ったようで、二人でこっそり苦笑いを浮かべた。 「あと二人、紹介してもいいですか? 私の末弟です」  明が口を開いて、隣に座る少年に視線を落とした。会合の時、寮の皆と一緒に並んでいた一人だ。  大河の記憶力はもう限界を突破している。だからと言って一晩を一つ屋根の下で過ごす以上、「覚え切れないんでいいです」とは言えない。とりあえず下の名前だけでも、と大河は定期テスト以上に気合を入れた。 「土御門陽(つちみかどはる)です。中学二年です。影正さん、大河さん、よろしくお願いします」  陽は笑顔で丁寧にお辞儀をした。  中肉中背の明と、どちらかと言えば筋肉質な体格で背の高い晴とは似ても似つかない。ずいぶんと華奢で小柄だ。だが、顔つきや雰囲気は明の方に似ている。  大河は慌ててお辞儀を返し、下を向いたままちらりと晴を盗み見した。 「……何だよ」 「いえ、別に」  三兄弟の中で、晴だけが似ていない。顔を上げると、晴が宗史の向こうからむっつりとした顔をのぞかせた。 「言っとくけどな、血ぃ繋がってんぞ、ちゃんと」  自覚はあるらしい。だがそこではない。 「そんなこと思ってないよ」 「じゃあ何だよ」 「いや、同じ環境で育ってこんなにも違うんだなって思って」 「うるせぇよっ」  吐き捨てて顔を引っ込めた晴に、宗史も苦笑いを浮かべる。 「あと、こちら。うちで家政婦をしてもらっています。今日は皆が会合に参加するので、藍と蓮のお世話をお願いしました」  さすがに幼児を会合に参加させるわけにはいかない。明の紹介を受け、背後に待機していた中年女性が恭しく頭を下げた。 「初めまして、宮沢妙子(みやざわたえこ)と申します。土御門家で家政婦をさせていただいております」  ふっくらした体型に割烹着姿はいかにも「お母さん」だ。ああそうだ、と宗一郎が何かを思い出した。 「母からお二人に伝言を預かっています。明日、お時間があったら自宅へ遊びにいらしてくださいと。どうやら大河くんのことを気に入ったみたいだね」 「え、俺?」  確かにあの時優しく声をかけてもらったが、気に入られるようなことはしてない。むしろ酷い悪態を見せたのに。 「ああ。母はああ見えて笑い上戸な人でね。大河くんが草薙さんに食ってかかった時も、冷静を装っていたがかなり面白がっていたと思うよ。帰り道、大笑いしたんじゃないかな」 「面白い……」  こちらはかなり真剣だったのだが。大河が複雑な表情を浮かべると、宗一郎は小さく笑った。  テレビの上の掛け時計が、四時を回った。 「そう言えば、宗一郎さん。今日のお夕飯どうされます? 明さんたちは一緒にと聞いてますけど」  華が席から立ち上がって尋ねた。 「いや、今日はこれで失礼するよ。実は仕事が残ってるんだ」 「そうですか、残念。宗史くんは?」 「俺もこれで。レポートの提出に手こずってて」 「あら、珍しいわね。宗史くんが」 「思ったより資料が少なくて、参ってます」  溜め息交じりに言いながら腰を上げる。すると、寝こけた樹を残して皆が次々と腰を上げた。ぞろぞろと並んで玄関までお見送りだ。起こさなくていいのかな、と思いつつ、起こしてまた絡まれるのは勘弁なので、大河は樹の側をそろそろと素通りした。宗史が「車を回してきます」と言い残して速足で先に出た。  外門に全員が揃う前に、宗史が運転する車が到着していた。  VIP御用達高級車だ! と大河が目を丸くしていると、宗史が運転席から降りちょいちょいと手招きをした。大河は首を傾げながら運転席の方へ回り込む。 「何?」  わざわざ降りてまで何だろう。宗史は玄関に背を向け、小声で言った。 「ありがとう、嬉しかった」 「……ん?」  何のことか分からない。大河が首を傾げると、宗史はさらに小声になった。 「悔しいって、言ってくれただろ」  大河が草薙にブチ切れた時だ。 「きっと椿も喜ぶ。ありがとう」  あれは本当に個人的に腹が立って、感情に任せて行動した結果だ。迷惑もかけて、後悔も反省もした。だが、 「へへ」  ありがとうと言われると、やっぱり嬉しい。大河は照れ笑いを浮かべた。 「じゃあ……」  宗史はドアを開けて乗り込もうとして、ふと大河を見返した。 「そうだ、明日はどうする?」 「あ、どうするのかな。じいちゃん次第。京都初めてだし観光もしてみたいけど、宗史さんちも興味ある。陰陽師の家ってどんなの?」 「普通だよ。もし来るなら、俺が京都を案内するけど」 「ほんと? じいちゃんに言ってみる」 「分かった。決まったら連絡……そうか。まだ交換してなかったな。あとで晴に聞いといてくれるか?」 「うん」  宗史が運転席に乗り込み、大河はぐるりと回り込んで皆に紛れ込む。何やら雑談で盛り上がっていた宗一郎も後部座席に乗り込んだ。下ろされた窓を覗き込むように明が腰を曲げる。 「では、お気を付けて。お疲れさまでした」  明に続いて口々に労いの声が上がった。二人が笑顔と会釈を送り、車は慎重に発車した。  国産高級車も憧れるが、単純に車の運転ができる男は格好良く見える。バイクの免許はあるが、もし地元に残るのなら車の免許は必要不可欠だし、就職するにも持っておいた方が何かと選択肢が広がるかもしれない。  まったく無事だったとは言えないが会合も終わり、明日の予定も立ちそうだ。 正直、殺人事件がきっかけだったとはいえ、こうして知人が増えたのは喜ばしい。しかも、皆同じ力を持っている人たちばかりだ。特に宗史と晴はあの危険な状況をくぐり抜けた影響か、山口に帰ってそのままというのも寂しい気がしていたので、明日また会えるかもしれないと思うと、自然とテンションが上がる。  大河は顔を緩ませ、ぞろぞろと寮へと戻る皆の一番後ろをついて入る。と。 「ん?」  唐突に、皆が一斉に示し合わせたように左右に避けて真ん中に道を作った。しかも明もだ。頭にクエスチョンマークを飛び交わせる大河の目の前には、 「大河くん」  樹だ。ついさっきまで寝こけていたのに。  樹は玄関からゆったりとした足取りで大河に近付く。げっ、とあからさまに嫌な顔をし、じりじりと後退する大河の腕を、影正と晴が両側から掴んだ。 「ちょ……っ」 「いくら可愛い孫とはいえ、背に腹は代えられん。彼は危険だ」 「大河、俺らの平和な憩いの時間のために生贄になれ」 「はあ!?」  影正と晴に力づくで引き止められ、とうとう樹に両肩を掴まれた。 「さあ、話してもらおうか」  にやりと不気味な笑みを浮かべ告げた樹の表情は、どこか恍惚としている。まるで捕まえた獲物をじっくり味わおうとする凶暴な野生動物のようだ。 「心配しなくても大丈夫。ちょっと話を聞くだけだよ。その時の状況を事細かに詳細に細部に渡って喋ってくれればいいだけだからね」  絶対ちょっとじゃ済まない言い草なんだけど!? 大河は危機感を覚えた。 「いや、ちょっと……」  さあ行こう、と腕を引っ張られながら、ふと晴の言葉が脳裏に蘇った。 『今回のこと根掘り葉掘り聞かれてウゼェかもだけど』  会合でのことだと思い込んでいたが、もしかしなくてもあれは樹のことだったのか。ちゃんと説明してくれていれば何か対策が立てられたかもしれないのに。  晴さんのアホ! と毒を吐きながら樹に若干の抵抗を示す大河の目に映ったのは、非情にも皆が両手を合わせて拝んでいる姿だった。 「無事に帰ってこいよ、大河」 「骨は拾ってやる。思う存分喋ってこい」 「成仏してくれ」 「ありがたや、ありがたや」 「ごめんね、大河くん」  拝まれても感謝されても謝られてもこれっぽっちも嬉しくない。口々に放置宣言する皆に交じって、明が楽しそうに笑いながらひらひらと手を振った。 「明さんまで……っあんたら……っ」  明もいる。ほとんどが年上で、初対面の人ばかりだ。だからこんなことは言いたくないが、言わずにはいられない。 「この……っ薄情者―――――――ッ!!」  悲痛な大河の声が虚しく夏の空に響き渡った。  その後、ソファの一角を陣取った樹の聴取は、途中で怜司が加わり異様な空気を漂わせながら行われ、夕食の支度が整い、華が「いい加減にしなさいよあんたたち」と声を荒げるまで延々と続いた。さらにこれで終わりかと思いきや食事中、食後も続き、もう話すことなんかねぇよっ! と大河がキレて逃げ出す始末となった。その間、助け船はおろか、誰一人として周囲に近寄ろうともしなかった。  ただ、十時のニュース番組の、先月から連続して起こっていた少女誘拐殺人事件の犯人が自殺をした、という内容には皆が興味深げに耳を傾けた。警察は犯人死亡のまま書類送検したことを発表し、事件の幕引きを告げた。  二か月にもわたる非道な事件の終わりに皆が安堵の息をついたところで、樹の聴取は再開された。 「せっかく術のこととか色々聞きたかったのに……」  後、ごねる樹を華が説得してくれ、弘貴と春平と一緒に入った風呂でそう大河が涙交じりに嘆いていたと、昴が報告した。
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