第三章 寮

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 何度も言うが、彼らを信じたわけではない。ただ、今の捜査状況を鑑みて必要だと判断した。だから、突然の会合出席の打診を受けた。それなのに、 「いやぁ、まさか紺野さんが会合に参加するとは思わなかったです。陰陽師と手を組むなんて」  何でこいつは嬉しそうなんだ。  紺野は携帯をいじる手を止め、何故か浮かれた様子の北原を睨みつけた。 「別に手を組んだつもりはねぇよ」 「え、でも情報流すって約束してたじゃないですか」 「あれは警察に必要ない情報だけだ。聞いてたのかお前」 「聞いてましたよ。紺野さんの守秘義務違反宣言」  警察に必要のない情報であろうとなかろうと、捜査過程で入手した情報を他人に漏らすことは公務員法上の守秘義務違反となる。  ぐ、と声を詰まらせ、紺野はふいと手元に視線を落とした。  手の中にある二枚の名刺には、先ほどまで目の前にいた土御門家当主と賀茂家当主の名が印字されている。せっせと携帯に登録していたのは、二人の電話番号とメールアドレスだ。  守秘義務違反を上司に知られれば懲戒処分確実だ。だが紺野自身もそれは覚悟の上だし、情報を享受した側にも罰則が与えられる以上、彼らも同じだろう。裏を返せば、そうせざるを得ないほど互いに追い詰められているということだ。  何と言われようが手を組んだつもりはない、と素直に受け入れられないのは刑事としてのプライドか。  紺野は携帯をスーツの内ポケットに押し込みながら、余裕面を浮かべている北原に反撃した。 「俺はもちろんだが、聞いていて止めなかったお前も処分されるぞ。分かってんのか」 「えっ」  不自然に体が傾いだ。北原が驚きのあまりハンドル操作を誤ったのだ。 「おいっ!」  反射的にアシストグリップを掴み、噛み付くように北原を振り向く。 「俺も処罰対象ですか!? そんなの困ります!」 「困るんなら前見て運転しろ馬鹿!」  警察車両がわき見運転で事故など笑い話にもならない。  北原の頬を叩くように押しやり無理矢理前を向かせる。北原はハンドルにしがみつき、眉尻を下げて「嫌ですぅ」と情けない声を上げた。 「処分を受けたくなけりゃ、今日のことは墓場まで持って行くことだ」  溜め息交じりの忠告に、北原は分かりましたとしぶしぶ頷いた。 「でも、現代に陰陽師がいるってことは認めたんですよね?」 「…………何でそうなる」  北原の思考回路は時々紺野の斜め上を行く。彼ら自身もあのおとぎ話も信じていない。ただ事件解決に必要だから接触するだけだと、会合前も散々説明したはずだ。  お前何度言えば分かる、と言外に訴える紺野の痛い視線を物ともせずに、北原はだってと続けた。 「紺野さんのお婆さんの実家が陰陽師の家系だってことは信じたんですよね? なら、紺野さん自身もその血が流れてるってことじゃないですか。何か身に覚えないんですか?」  あからさまに霊体験談を期待する北原の言葉に、紺野は思考が一時停止した。  今、何つった? 「俺に……?」  陰陽師の血が流れている。  確かに、祖母の血が流れている。それは確かだ。だが、北原が期待するような体験は一度たりとも覚えが――。  紺野は手を顎に当てて記憶を掘り起こした。そう言われればあの時、妙な感じがした。 「北原、お前、前に土御門家に行った時何か感じなかったか?」 「え? 土御門家ですか? うーん、特には何も……」  何か感じたかなぁ、と首を傾げる北原を置いて、紺野は再度記憶を探った。  初めて土御門家を訪れた時。数寄屋門をくぐったあの瞬間、夏とは思えない爽やかな風を感じた。一点の汚れもない風。排気ガスや砂埃、街の喧騒や騒音など人工的なもの全てが払拭された風――いや、空間といった方が正しい。  神社にある鳥居は、俗世と神界との境界線の役割を果たすと聞いたことがある。実際、境内は不思議と空気が澄んでいるように思えていた。まさにそれと同じ感覚だった。それ以上と言っても過言ではないかもしれない。  もしあれを自分だけが感じ取ったのであれば、それは祖母から受け継いだ「陰陽師の血」のせいなのだろうか。それに、昴が持つあの力。あれがもし陰陽師の血の影響ならば、彼らは本当に――。 「紺野さん、もしかして何か感じたんですか? 土御門家で」  にやにやと薄笑いを浮かべて横目で窺う北原の声で我に返った。 「そ……んなわけねぇだろ! いいから前見ろボケ!」 「馬鹿の次はボケですか!」 「ああそうだよ、モラハラで訴えたけりゃ訴えろ!」  開き直りの言葉を言い放ち、紺野は窓の外へ顔を向けた。何ですかそれぇ、と北原が呆れた声でぼやいた。
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