霞んだ春を

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 私の言葉に、先輩は両手で顔を覆いながら、反対側の柵へと、小走りで移動する。 放っておくことも出来ずに、私は先輩を追いかける。 どうしたの、と聞こうとするより前に、追いかけてきた私に気が付いた先輩が、口を開く。 「小夜ちゃんって、キスしたことある?」 その言葉に思わず、え、と声が漏れそうになるのを、必死で堪える。  私は実は前にも一度だけ、このように先輩とポッキーゲームをしたことがあった。 興味本位で。 もっとも、その時は本物のポッキーを使ったのだが。 その時もゲームを開始する前に、今と同じ事を聞かれ、ううん、と私は素直に答えた。 その結果、ゲームは今と同じようにクリアすることなく途中で終わり、唇が触れ合う事は無かった。 私の返答を聞いた先輩が、 「ファーストキスを、奪っちゃいけないから」 と、私に気を遣い、躊躇ったが故の結果だった。  その出来事が瞬時に脳裏を過り、私はすかさず、 「え、なんで教えないといけないの」 と、返答を躊躇して見せる。 「え、じゃあ俺も教えるから」 私の返答に、食い入るように言葉を返す先輩。 少しだけ必死そうなその様子に、 「え、私は別に、先輩のそういうのに興味はないんだけど」 私はそう、少し突き放すような言い方をしてみる。 そんな言い方をすると、先輩は確実に教えてくるはずだ。  そんな事言わないで、とでも言うように、 「俺は中二の時に初めてしたんだけど、小夜ちゃんはどう?したことある?」 思惑通り、早速自らのことを公表し、私の答えを促す先輩。 その内容に、先輩が今まで関わってきた「女の子」の数の多さを改めて実感する。  「え、先輩は早いなあ。それに比べて、私は本当に遅いんだけど」 言いながら、少しだけ考えを巡らせる。 「そんなの、全然いいから」 早く教えてよ、とでも言いたげな態度の先輩に、私は躊躇する素振りを見せつつも、 「つい、半年前くらいだよ」 と、答えを返す。 「え、まじか。知らなかったわ」 驚いた様子の先輩を、出来るだけ表情を変えぬまま見つめる。 体に、緊張が走る。 しかしその緊張も、一瞬だった。  ふと、先輩が歩き出し、さっきまでいた反対側の柵の所へと移動する。 寄りかかるようにしてそこに座ると、ポケットからまた袋を取り出し、中身を一本取り出して、それを私に見せる。 「今度は、俺からね」 口角を上げる先輩の元に、私は駆け寄る。 先輩は私の嘘に、気が付いていないのだろうか? 知的な為に、勘もいい先輩だ。 果たしてどうなのか、正直よく分からない。 けれど私は嘘をついてまでも、目の前にいる先輩に、ただ私の初めてを奪って欲しかった。その為に私は今日、こうしてここに来たのだから。
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