霞んだ春を

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 物心ついた時から、どこにいてもどんな状況でも、私はいつも、楽しいことを探して生きてきたし、そのことに生きがいや楽しさを感じてきた。  どんな小説を広げてもどんなドラマをつけても、多種多様の話の世界の中で、形は違えども共通して登場してくる事項は、「恋愛」。 それに気が付いた時から、大多数の人間が惹かれ、手を出す恋愛に対する私の興味や好奇心は始まった。  大多数の人間が楽しいと思うことに楽しさを見出せたことが、今までにほとんどなかった為、そういうのに対する憧れが強かった。 恋愛は自分にとって、憧れを実現する為の新たな実験対象になった。 だから自分も不慣れながら一生懸命恋愛をして、思いが結ばれ、彼氏も出来た。 それなのに、いざ彼氏ができても、私には分からなかった。 大多数の恋愛をする人達が、覚えるだろう楽しさが。  楽しいだろう、と思って手を出してみたのに……。 予想と反する結果に、私は落胆した。 そして彼氏と過ごす時間が長くなるにつれ、私の感じる落胆は増えていった。 彼氏ができたばかりの頃に多少は抱いていた、手を繋いだりキスをしたりしたいという欲望さえ、すぐになくなり、あっという間に枯渇した。 私にとって恋愛とは楽しみでも何でもなく、ただの退屈な事柄になっていた。 そんな私の思いと、「多数派」の彼氏の思いの間に、すれ違いが生じた。  それから間もなく、彼氏と一緒に写っている写真が載ったインスタグラムの投稿を、全て削除した直後だった。 先輩から、例のメールが届いたのは。
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